エドワール・フィリップについて知るべき10の事項

小さなジュペ、ボクサー、小説家...
エドワール・フィリップについて知るべき10の事項


ル・アーヴル市の国民議会議員兼市長の共和党員で、アランジュペの側近が、エマヌエル・マクロンの任期における最初の組閣を任された。


彼の名前は、この数日間、最有力候補者として上がっていた。5月15日に、エドワール・フィリップは、エマヌエル・マクロンによって首相に任命された。彼は大統領の任期における最初の組閣を任され、そのメンバー構成は16日から発表されることになるだろう。

この新しい首相に関して知っておくべき10の事項は、こんな感じである。



1 小さなジュペ
「ジュペに似ているけど、もっと若くて柔軟ですね」とある友人は笑う。エドワール・フィリップ 46歳は、つまりは背が高く、ピカピカで(brillant)、テクノで、ときには傲慢なあご髭だという点で、彼の助言者ジュペと共通点を持つ。この二人の関係は、すべて2002年に出来あがっており、ジュペは当時UMPの創設の準備をし、誰か協力者を探していた。ある人物が、この若きエナルクでコンセイユ・デタ評定員の名前を耳打ちした。用件は10分間、2回の面談で終わった。エドワール・フィリップはUMPのdirecteur généralになる。

「彼らは言わずとも互いに理解しあい、物の考え方が同じだ」とボルドー市長ジュペの腹心で、エドワールの親しい友人 でもあるジル・ボワイェは言う。

エドワール・フィリップは、この前首相ジュペが告発されてカナダに亡命したまさにその時にも、彼との関係を保ち続けた人物の一人である。彼は、2007年にアラン・ジュペ内閣に参画する。つかの間の環境相であった。「その効果は信じがたいものでした。環境省の準備を1ヶ月間で整えて見せました」とジュペは言う。

ジュペの良き支持者として、彼はニコラ・サルコジを良く言ったことがない。もしも党首が彼を第一回投票に送ったなら、ル・アーヴル市長エドワール・フィリップには、重要な地位が約束されていた。ジュペは、彼を首相官邸に任命すると考えていたのだろうか。マクロンがこれをやった。


2 マクロンへの鞍替え
マクロンについて語るとき、エドワール・フィリップはいつも「彼は気に入っている」と言ってから始める。しかし数ヶ月前には、第一回投票の候補者だったジュペのこの筆頭補佐役は、マクロン現象に対して手厳しかった。

「頭はいいけど何もない、全くもって内容がない」、マクロンが経財相を辞任した直後で、まだ政党も政策綱領もなかったときに、彼はこう言っている。

彼らと親しい人々によれば、フィリップは、2011年に共通の友人宅で行われた夕食会でマクロンと出会っている。エナルクであり、文系で、フランスアメリカ協会の「ヤング・リーダー」プログラムに古くから参加していたなど、7年の開きがあるこの二人には共通点が多い。一方が経財相、一方がル・アーブル市長であったときに、彼らは風力発電所の設置という共通のテーマに関わっていた。近頃では、彼らは政界の再編成について話し合っていた。


3 画期的な人物なのか裏切り者なのか
共和党員の目からは、エドワール・フィリップは裏切り者として映ることになる。フランソワ・バロワンは、彼は新たな大統領と手を組む人々を共和党からは期待していないだろうと既に予測していた。フランス・アンテルで、ジャン=フランソワ・コペがこの点について語っている。

もはや自分は派閥を必要としていないということを伝えるために、彼は途方もないエネルギーを展開しています。これは、サルコジがベルナール・クシュナーとやったことと似ています。

ジュペもしくはフィリップに近い友人たちにとっては、エドワール・フィリップは、右翼-左翼の対立を克服すべく邁進する人物であり、先駆者である。しかし、政府内で、もしくはこれから議会で、どれだけの人々が彼に従うのだろうか。


4 かつてはロカールのファン
フランス語教師とリセの校長(特にボンのフランス人リセ)との息子、エドワール・フィリップは、ある時期には左翼だった。エコール・ノルマル受験クラスでは、彼はロカールやマンデス=フランスの伝記を読みまくり、彼らを賞賛していた。シアンス・ポでは、彼は社会党で活動していた。エナで学んでいた頃、右翼に移る前のことである。その理由は、自由主義者たちとの出会いとその著作を読んだこと、そしてのちに「重要な時期」となった兵役であったと、友人の一人は明言する。


5 良好な関係にある彼の街 ル・アーヴル
2001年に彼に注目し、市の助役の一人としたのは、ル・アーヴル市長アントワーヌ・ルファナフだった。その9年後に、彼はこの若者にその市長職を譲る。40歳にもならずに、尊敬を集めたシラク主義者を引き継いで、以前には共産主義であった街で首長の後任となることは、容易ではない。エドワール・フィリップはそれを成し遂げ、2014年の第一回投票で当選した。しかし、先週木曜に行われた国民議会選挙選におけるエドワール・フィリップの補欠選を始動する会議では、ルファナフは、彼の以前の弟子が急速にマクロン支持となることになるような考えはいただけないと公式に語っている。

エドワール・フィリップが国家の責務を担うことには期待するが、あまりに早い。6月18日からなんて。まずは何よりも、私たちの考えを認めさせてからだ。」


6 原子力の元ロビイスト
マクロンと同様に、彼も民間企業、Debevoise & Plimpton LPP事務所を経験している。短期間ながらアラン・ジュペ内閣の環境相執務室を経て、2007年にエドワール・フィリップはアレヴァ社の公務部長に採用された。言葉を換えれば、原子力産業のロビイストである。そこで彼は、とりわけアルストム社との合併プロジェクトに携わった。そしてそこでアンヌ・ロベルジョンの信用を得る。「彼は日程表のすべてに仕事を入れ、後悔することがなかった。がむしゃらな仕事好きだよ」と、アレヴァ社のあるOBは言う。


7 アタリの友人
エマヌエル・マクロンとのもう一つの共通点は、エドワール・フィリップが、各方面でコンサルト役となっているジャック・アタリと親しい人物であることである。彼はアタリとともに、ル・アーヴル市において経済会、政界、学会の責任者たちを集めた現実的経済フォーラムを開催した。以前には共産主義であった街における、ミニ-ダヴォス会議である。マクロンとフィリップが組むことを画策したのは、アタリなのか?「今回の一件で、私は実際以上に大きな役割を果たしたこととされている」と彼はl'Obs誌に答えるのみにとどめている。


8 映画の主人公
ローレン・シビアンは、1988年当時エドワール・フィリップとともに、Janson-de-Saillyで高等師範学校受験クラスにいた。フィリップが左翼であった時期である。数年後に彼は、シリーズ映画「エドワール、右翼の友人」を捧げようと考えるにあたり、「何で右翼になんかなったんだ」と彼に尋ねてみた。その第1作(Lardux Films製作)は、昨年フランス3で放映され、第2作が編集中である。2014年1月に、このテレビドキュメンタリーの未来についてフィリップは自ら皮肉を言っている。ローレン・シビアンにカメラを向けられてドギマギしている人々を前にして、「彼はフィルムには撮影するけど、きちんとしていてフィルムを売るようなことはしなかった。彼がフィルムを売るようなことはまずありえない、と考えるのがもっともである」と説明している。これからは、真逆のことをするだろうと考えるのがもっともだし、まず間違いない。


9 小説家、モノマネ、ボクサー
エドワール・フィリップは、何でも屋である。彼はジル・ボワイエとの共著として2冊の政治小説「L'Heure de vérité (真実の時)」(Flammarion社)と「Dans l'omble (闇の中)」(JC Lattès社)を書いており、そこで彼は、第一回投票が大規模不正によって偽装される方法について述べている。今度の首相は、気が向いた時にはボクサーにもなり、またモノマネも上手である。YouTubeを開けば、ヴァレリー・ジスカールデスタンの声を再現する彼が見られる。


10 自信過剰
ジャーナリスト ガエル・チャカロフは18ヶ月間にわたってアラン・ジュペのスタッフをしていた。彼女の著書「Lapins et Merveilles (ウサギたちと不思議の国)」(Flammarion社)の中で、一つの章が「エドワール」に捧げられている。「彼は金の塊であり、掘り出し物であり、ジュペ主義の未来のアイドルである。彼はそれを知っている」と彼女は記す。このジャーナリストは、彼の鷹揚な外見やおどけた裏側に、「尊大さ、過剰な自信と、とてつもない野望」を指摘する。

彼の言葉は、いずれも自分自身に対する意見を表している。「自分には、ジュペとの真の知的な類似点がある」。つまり「自分は協力者ではない、ジュペと自分は同じセリエでプレーしているのだ」ということですね。

確かにこれからは、彼はその指導者と同じカテゴリーでプレーするのだ。首相というカテゴリーである。
(L'Obs誌 サイト 2017年5月15日)