民主主義は脅かされているが、持ちこたえている

「民主主義は脅かされているが、持ちこたえている」


16年前、フランシス・フクヤマは『歴史の終わり』、つまりは自由民主主義と市場経済の勝利について公表している。今日では、彼はこの分析に熱心に様々な意味合いをもたせている。



自由民主主義は、歴史のプロセスそのものの過程のなかで、ヨーロッパの知性に基づいて構築されています。それは可能な政治体制としては、しばしば最善である、もしくはそう悪くないものとされています。この動向は世界的なものだと思われますか?
自由民主主義が世界的な価値であったことなどありません。それは2世紀前に西側諸国で、現実に歴史的な期間として登場しました。もしもそれが世界的であろうとするなら、実際に様々な社会が現代化し豊かになるにあたって、ますますそれが求められるようにならなければならないということ、そして市民は高水準の経済的なゆとりと個人の自由を求めているということです。手っ取り早く言えば、私たちの世界の政治機構は、社会が、群れそして部族としてまとまることを経て、ついで国家を、そして侵略国家を、最終的に法と民主主義の責任により拘束される法治国家を構成するという、いくつかの歴史の段階を介して発展しました。経済的な生活は激変しました。私たちは狩猟採集民から主食型の農耕へ移り、そして手工業と商取引を経て、産業社会が誕生し発展するに至ります。

研究によれば、繁栄と教育の水準が上がった国民は、選挙により選ばれて市民に対して責任を負う政府を尊重することが示されています。この歴史的傾向は、私がLa Fin de l'histoire était le dernier hommeにおいて記載したものであり、現在私たちが「民主主義の後退」に直面しているとしても、それは今でも多くの国において真実です。「歴史の終わり」にある民主主義社会に生きるにあたって、ほとんど普遍的な希望があるということについては、何百万人もの人々が、危機的状況にある貧しく独裁的な国家から逃れ、北アメリカとヨーロッパの自由主義社会に合流しようとしている事実がその証拠です。この人々は、子供たちに教育へのアクセスがあり、大人になれば通常は男性でも女性でも職を見つけ、その才能を伸ばせるという、繁栄した私たちの民主主義が提示している生き方に対して、「自らの足で投票している」のです。

文化や国家によっては、未だに民主主義はこれとは異なる解釈をされているようです。まさに血族関係や家族関係の概念のような集団的アイデンテティが、国家当局を尊重することや、表現の自由を要求する階層などと対立しているのです。アメリカとフランスは、これらのすべての問題に対して、非常に異なる政治的文化を提示しています。その反面では、今や複数の自由民主主義が、私たちが見てきたように高水準の腐敗、操作された選挙、個人および法治国家の権利があからさまに侵害されることによって、危機的状況にあります。それはさておき、この不寛容と独裁主義の台頭が、長期的に幸福かつ安定した社会を作るのかどうかは明らかではありません。こういう意味では、民主主義は未だに持ちこたえているように私には思われます。


このたび刊行されるあなたの小論のタイトル『Identity. The Demand for Dignity and the Politics of Resentment 』は、ポピュリストたちによって傷つけられたアイデンテティの問題に、あなたが正面から取り組もうとしていることを示しているようですが。
アイデンテティにおいては、私たちの一人一人が、自由民主主義の権利によって守られ、他者と平等な市民として受けとっている承認は、民衆の集団的アイデンテティの承認やその政治的表現に対する要求を満たすにはもはや十分ではないのではないかという問題を分析しています。アフリカ系アメリカ人アメリカ先住民、LGBTコミュニティ、障碍者などなどといった、今までにはなかったようなマイノリティー集団が、彼らの人権と承認要求を主張し始めたとき、それはイデンティテールな政策と承認の要求として左翼に現れました。今日では、これらの共同体の政策は、白人アメリカ人が自分たちをますますイデンティテールな色眼鏡で見て、彼ら自身も承認されるよう要求している右翼において表明されています。

これに近いバージョンの承認運動は、フランスとヨーロッパに存在しています。左翼では、西洋の民主主義文化は、移民の擁護としてのマイノリティーのイデンティテールな政策によって問題とされました。左翼にとって、イデンティテールな政策は、資本主義体制の主な犠牲者とされたプロレタリアートがつい先ごろ演じていた役割を代わりに演じるようになりました。この政策が右翼にフィードバックを引き起こし、右翼は、民族への帰属とカトリック信仰を基盤としているフランスやヨーロッパの古いバージョンのアイデンテティを復権させようとしています。自由民主主義や開かれた社会にとっては、イデンティテールに解決する方向に向かうこの経済的、法的反応の動きは望ましくありません。私には、アイデンテティが、確固とした基盤や生物学的な部分の中に根を張り、硬直化しているように思われてなりません。


この作品において、あなたは国家のアイデンテティという硬直した概念を再定義する可能性について言及しておられます。あなたはどのようなことをいいたいのでしょうか。
私たちは、異なる人々が一緒に生活し働くことができる民主主義的な共同体の基礎となるものは、同化を進めていくような国家のアイデンテティの概念であると考えることによって、国家のアイデンテティの概念に戻らなければなりません。歴史的には、国家の強いアイデンテティは、20世紀にヨーロッパを荒廃させた侵略的ナショナリズムと関連していました。しかし、自由民主主義の諸原則の上に、国家のアイデンテティを構築することも可能です。アメリカと同様にフランスにおいても、最も有効な国家のアイデンテティの概念は、例えば宗教的中立、個人的自由といった理想を共有した市民をまとめていく、憲法および共和国の原則を巡って作り上げられました。

その反対に、文化や共同体の差異を永続させるイデンティテールな政策は、あらゆる文化的な伝統は現代的な民主主義と相いれないとして、ほとんど常に民主主義の原則と衝突してきました。今日、自由民主主義の存続を望む人々は全て、ヨーロッパの栄光の時代に定義された平等と自由という基本原則に基づいて、開かれて同化を進めていく国家の文化を促進し、そして新たに訪れる人々を、この国家のアイデンテティの核心部に同化させるようにしなければならないのです。


『La Fin de l’histoire et le dernier homme 』 (Flammarion出版, 1992年)を出版してから22年後となる2014年に、あなたは『 Political Order and Political Decay 』を出版しています。あなたはそこで、多くの国においてそれが脅かされていることを指摘する前に、あなたが民主主義に必須の3本の柱と呼んでいるもには何かを記述しています。
今日では、自由民主主義の3つの大原則ーその公共サービスに対して尊重される国家、法治国家の法と独立が優先されるという原則、権力の民主主義的な責任ーは、複数の国家の異なる体制によって損なわれ脅かされています。その最初の脅威は中国からもたらされ、そこでは2017年10月の第19回中国共産党大会以来、単一政党による独裁体制を半資本主義的な経済体系と組み合わせたもう一つのモデルを、独裁国家が人民に与えています。

現代化と富裕化は、通常ならば民主化にいたるのだとする古典的な分析に反して、中国の新たな中産階級は、今のところ民主化への強い要求も表明せず、さらなる個人的自由の獲得も要求していません。彼らは、党の監督のもとで生き、裕福となることに甘んじている。同時に、中国の外交政策とそのモデルの影響は、潜在的南シナ海全体に広がっています。インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、台湾そしてベトナム...


しかしいくつかの民主主義国家においては、自由民主主義はさほど脅かされていないのではないですか。
結局、最も油断のならない自由主義モデルに対する脅威は、民主主義国家の内部から訪れるのですが、そこではポピュリストの政治家たちが、自由な選挙の過程を経てその正当性を獲得したのだとして、民主主義の最初にあげた2本の根本的な柱を白紙に戻しています。つまり、彼らが捻じ曲げている法治国家と、彼らが腐敗させている国家機構です。現在ハンガリーポーランド、トルコ、そして忘れてならないのはアメリカで起こっていることをみてください。ハンガリーでは、2014年7月にヴィクトル・オルバンが、自分は『自由』ではなく『不自由』な民主主義を促進しようとしているのだと明からさまに宣言しました。これは、市民を支配政党の決断によらず擁護している、法と人権の優位性を拒絶することを意味します。同じような動きはポーランドも巻き込み、そこでは司法に対する行政の統制を強化することによって、政党「法と正義」がその支持者たちとともに法廷を管理することを可能とする、EU憲章に反するような憲法改正を発表しました。合衆国では、ドナルド・トランプ大統領が、司法の独立性において、そして彼自身とその家族をあらゆる形態の司法の追求から護るための法を施行することにおいて、信頼を台無しにしようとしています。


あなたは、アメリカの民主主義と政治体制は重大な危機にあるという考えを提唱しています。それについてより詳しく教えていただけますか。
私は、この数年間でアメリカを掌握したポピュリズムの波には、2つの原動力があるとみています。まず一つは経済的なものです。ここ数年でグローバル化は、主に少数の前の世代のエリートに利益を与えた大きな経済成長をもたらしました。この時期には、多くのアメリカの労働者が、自分の実質賃金は停滞しているか下がっているのを見ることになり、この経済的な衰退は重大な社会の荒廃を伴いました。多くの低所得独身所帯、惨憺たる薬物乱用の流行、犯罪の増加。

2つめの原動力は政治的なものです。古典的な権力均衡の仕組みが破られ、これが私が意思決定における『拒否主義』と呼んでいる手法を生み出し、これによってある形の政治的麻痺状態と凋落に至りました。しっかり組織化され資金供与された金銭的利益を共有する集団が、自分たちの拒否するあらゆる政治的主導権をブロックすることがとても容易になりました。このブロックが、極度の政治的な一極集中と結びつき、それは、多数派の国民の支援を受けた立法であるにもかかわらずそれを実行できないという、議会の慢性的な無能さに至るのです。政府の行動を連邦予算の規定が妨げるという、基本的でもあるはずの選択に関して、毎年私たちは無力化する勢力の証を見ているのです。この状況は、自分の決意を強要するためにこの「拒否主義」を唯一打ち砕けるような、強い指導者による政権獲得を容易にします。


ドナルド・トランプの当選は、この状況を悪化させたのでしょうか。
もちろんです。それはポピュリズムには第三の原動力があったからで、それはアメリカのアイデンテティの問題です。庶民階層の経済的衰退は、国内では文化の衰退だと解釈されています。ドナルド・トランプは、多くの普通のアメリカ人の感情に付け入りました。彼らは、政治家や大手メディアは自分たちを尊重していない、彼らを見下し、自分たちの問題を重要視しないと考えています。そのうえトランプ大統領は、ヨーロッパのポピュリストたちのように、自分はアメリカ合衆国が社会的にさほど多様ではなかった時代を懐古趣味的に擁護する者だとしっかりとアピールしながら、移民をアメリカの価値観とアイデンテティに対する脅威であると告発しています。


あなたは、この大統領をどのようなものだとしていますか。
ドナルド・トランプはタチの悪い大統領で、彼は想像を超えた手法で統治しています。彼は、民主主義と人権が、合衆国と世界の諸外国にとって望ましい目標であるとは決して表明しなかった、合衆国で最初の大統領です。彼は、私たちの同盟国である直接民主主義国家とともに闘っていながら、有力で独裁的な人物を評価しているようです。例えば、ロシアのウラジミル・プーチン、フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ、エジプトのアブドルファターファ・アッ=シーシと中国のシー・ジンピンのような。彼は、プーチンとシーシが不正な選挙を勝ち取ったことを公然と祝福し、またシー・ジンピンが中国総書記の任期制限を撤廃した決断を賞賛したことを思い起こさせました。

公共のプロジェクトの中で、この国を統合していく大統領を売りとしていくのではなく、トランプはこの国の人種的、社会的、文化的な分断をさらに強めています。彼は、自分を支持する白人至上主義の人種差別主義者たちをしっかり優遇しつつ、政治に関わったアフリカ系のスポーツ選手や有名人を周到に批判しています。彼には法治国家の意義やその原理という概念が全くなく、大半のポピュリストと同様に、法や司法が彼に強制しようとするや、これらを攻撃します。彼が「自由主義世界」のトップだとみなされていれば、この態度は独裁的でポピュリストな指導者たちに力を与えることになり、私たちが生きるこの開かれた世界を脅かします。


「開かれた世界」とは、どういうものでしょう。
1945年以来、発展した民主主義国家は、商品取引、投資、人間とその思想が、国境を越えて容易に流通しうる、自由な国際的秩序を実現しようとしました。これが成功することで力強い経済成長が進み、1970年から2008年にかけて、世界の生産量は実質的に4倍となっています。しかし、この開かれている民主主義の世界は、今日ではこのプロセスをひっくり返し国境を閉じようとする、ポピュリストの国家主義者たちからの圧力を受けています。世界がどんどん閉ざされれば、ますます繁栄しなくなるでしょうし、資源もしくはそれぞれの国家の相対的な地位の問題で、衝突していく傾向となるのです。
(Le Mond idée 紙 2018年6月16日)