結局のところ/アカウントを見切る

結局のところ/アカウントを見切る

 

怒涛のような侮辱的行為やフェイク情報やどうでもいい無駄話に疲れ果てて、ツイッターをやめたいと思う人々が日に日に増えている。しかしこのSNSをやめてしまうと、「ヘイト常習者」やほかのトロウルたちに取って代わられることになる。良心に従うべきなのだが、なかなか決めかねる問題である。

 


朝には、マチルド・ナヴァロには美の儀式がある。下着姿で寝室の大きな鏡の前に立ち、お腹のかたまり、腕や脚から下がる脂肪に手をやって、自分の身体に大好きよと言うのだ。それというのも、肥満だからである。ボルドーでモードを学ぶ18歳のこの女性は、きれいな褐色の髪で、メイクとSNSが好きで、5年前から「body positive」というツイッターアカウントを持っていて、この運動は肉体、毛深い、太った、痩せた、障がいのある、傷んだ、女性雑誌にのっているような基準からはかけ離れたあらゆる肉体を可視化しようとしている。

 

彼女は、ブラジャーをつけたり、水着を着たり、ぴっちりとした服を着たりしてそこに自分の画像をあげている。「「クジラだ、石油タンクだ、太った雌牛だ、手術室に行かなきゃダメだ、30歳になったら破裂するぞ」、こういった通知が、画像をあげるたび100ぐらい来て、それが1週間続くんです」とこの若い女性は説明する。「私は侮辱には慣れていて、幼稚園から侮辱されてきてますが、でもとっても耐え難い時もあるんです。なのでしばらくツイッターをやめました。」それではなぜ、きっぱりとこのSNSから離れず、マッコウクジラとセックスしているような類いのコラ画像に 自分が晒されるのをやめないのですか?「ツイッターを止めて良かったのですが、だと彼らの主張を認めることになるし、彼らが私を傷つけたと示すことになるし、私の1万3千名のフォロワーさんたちに、人は太っててもいいしそんな自分が好きでもいいんだと示すことができなくなるので。」

 

こう証言したのには、フランス国内1000万人、世界的には3億2600万人のツイッターユーザーに浸透しているたくさんの内紛がある。「アラブの春」、ブラック・ライヴス・マター、Metoo、近年の多くの社会的進歩は、この青い鳥の企業無くしてはここまで反響がなかっただろう。そこはユーモアの空間で、気の利いた一言を言うなら文字数制限に限る。情報の場であり、意見交換の場であり、そしてエゴの場でもある。2006年から構築された人間社会そのものなのである。ある人々からは放棄された社会。ミシェル・サイル博士、アニメーターのカリヌ・ルマーシャン、俳優イサ・ドゥムビア、ルヴァロワ-ペレ市長パトリック・バルカニ、多くの著名人がツイッターからの撤退を表明している。最近の撤退者、エンジョイ・フェニックスは、フォロワー数350万人というフランスで最も偉大なユーチューバーである。完璧なヘアブロー、マニキュア、アイライナー、本名マリー・ロペスは、クリーム色のソファに腰掛けてビデオに2019年の抱負を語る。ツイッターアカウントを、ぐずぐずと先延ばしにせず、あまり考えずに削除する。「これ以上は無理だし、何の役にも立たないSNSだと思うから。」

 

「モニターに振動する小さなアイコンがあったあの日、私はバツ印を押したことを覚えています」ル・モンド社の司法担当記者、パスカル・ロベール=ディアールは続ける。彼女はフォロワー数3万人のアカウントをその秋から閉じている。「ボイラーにトラブルがあると鳴り続ける、嫌なパイプ音のような音を鳴らないようにした気がします。それは、息がつまるのを止めるための行動でした」と彼女は語る。パスカル・ロベール=ディアールは、ニューヨークタイムズホワイトハウス特派員で、自分はこの夏はもうほとんどツイートしていないと言う、マギー・アベルマンの座談会から影響を受けて、「私、私、が羅列された陳列台」と成り果てたこのSNSを告発する。「私は自分の気分が通知によって換わっていたり、ツイッターが無用な社会的義務、自発的隷属、とても拘束力があって体系化された第2の社会になってしまったことに気づいています。巨大アカウントを持った有名な貴族のような人々と、大アカウントながら有名ではないブルジョワ、ろくにフォロワーがおらず考慮されない平民がいるのです。ツイッターは、アルベール・コーエンの選ばれた女のあのシーン、誰もが自分より上位の者に近づき、注目される人物とともに見られようとする、あの国際連盟でのシーンに似ています。ツイートすること、それをリツイートすることは、宮廷/法廷みたいで時間の無駄だという印象を与えました」。それ以後、このジャーナリストは本をあまり読んでいなかったし、自分が「より公正だ/もっとギリギリだった」(plus juste)と思うといった。

 

ジャーナリスト ナディア・ダームは、とても激しい運動の槍玉に上げられて、自分のアカウントを削除するはめになった。その経緯は有名で、トロウルたちのうち3名が有罪となる中で、それはサイバーハラスメントに関する画期的な出来事となり、裁判沙汰にもなった。そして、ナディア・ダームは「精神衛生上」ツイッターをやめた。彼女は、もう一度友人のアカウントでそこに顔を出しただけだが、「しかし私は、1日に数時間をそこで潰すために、どうやってたのでしょう。まるで、前の夫とすれ違って「このアホと長い間一緒にいるために私はどうしてたんだろう」と自問するようなものです。」その後の彼女の生活はどういったものですか。「私は、髪は最も綺麗なままで白髪にはなってませんよと答えるようにしているのですが、これも冗談ではありません。SNS、とにかくツイッターは、疲弊させ痕跡を残します。そこで私がハラスメントを受けていようが受けなかろうが。現在、ツイッターは変わってしまって、ただの雑音にすぎません。このSNSに対する適切な「反応」という偏見を無くしたので、私の働きぶりは、以前より酷いものではなく、たぶん良くもなっているでしょう。」

 

ツイッターを見放しているこれらの人々は、『インターネットの幻滅:情報操作、噂とプロパガンダ 』(FYP出版 、2017年)の著者が「進歩主義の声」と名付けたものの一部となっている。ロマン・バドゥアールはIFP(フランス報道研究施設)の助教授で、彼にとって、こういった寛容で良識のあるメッセージの伝達者たちが離れていき、離れては戻ってくることは民主主義にとっては悪い知らせなのだ。

 

彼によれば、コップに入った水のように密接に連携したパリのジャーナリストたちの中で起こった嵐の問題なのではなく、まさに「社会の重大な翳り」の問題なのです。「最初の頃、ウェブと同様にツイッターは左寄りで、そこは諸団体とユマニストたちの場でした。2010年代の始めにより急進的な活動家たちが登場してから、荒れたり衝突が炸裂しました。表現の自由を擁護するためのトロウルたちがいて、面白いことにむしろ彼らが表現の自由を口実として、むしろ彼らが傷つけて、むしろ穏健な人々が明らかに投げ出しているのです。このため公開討論が盛り上がりません」とこの研究者は分析する。ツイッター社幹部たち(とりわけ設立者でCEOのジャック・ドルセー)は、その放任主義すぎる中庸な行動をしばしば責められてきており、彼ら自身の責任に関しては十分に明らかであろう。「シリコン・ヴァレーの絶対的に自由なイデオロギーにどっぷりと浸かってるので、彼らは自分を、何よりもパイプでも管理する配管工のように思い描いています。こうやって人々が離れると沢山のものが失われ、問題があるだろうと理解するのに時間がかかりました」とロマン・バドゥアールははっきり言う。

 

Quitter ou ne pas quitter Twitter ? ツイッターをやめるべきか、やめないべきか。長いドレッドで青く鋭い目のジャロン・ラニエは、インターネット史の哲学者で、たくさんのベストセラー作品の著者である。このカリフォルニア民とコンタクトを取るためのSNSは一切なく、ビンテージなデザインの個人Webページだけである。彼は先ごろ『Ten Arguments for Deleting Your Social Media Accounts Right Now (Bodley Head出版, 2018年、仏訳未)を出版し、あるより決定的なアプローチを擁護する。「ツイッターをやめること、それはアルコールやタバコのような危険な常習をやめることとと同じで、1つの選択なのだと理解しなければなりません。ツイッターには中毒性があって、ユーザーのメンタルな健康に実際に影響します。アメリカでは、ツイッターと青少年の自殺との関連に対する研究、もしくは例えばそれに携われば人はより幸福ではなく、それをしなければより幸福であると示している研究が行われていますが、人はもはやそれを考慮していません。」

 

私は電話での彼との交渉を試みた。メディアの夜明けに倣って小さなアカウントを持っているのですが、それは仕事のためで、ツイートはしておらず、鍵垢なのですがと言うと、彼は激高しつつ、「うわ、じゃあなんでやめないんです。ツイッターアルゴリズムは、あなたのネガティブな情動を呼び覚まして、あなたをケツの穴にしてしまうよう作られていて、これに対して闘うことはできませんよ。あなたを依存した状態に戻すにはそれが最も良い方法で、それはカジノのスロットマシーンと同じバネ仕掛けなのです。」こちらもツイ廃気味のジャーナリストなので、最後の精神的抵抗を試みる。でもやっぱり、Metooやブラックライヴマターズ、「アラブの春」、こういった運動はツイッターがなければあまりうまくいかなかったんじゃないでしょうか。「そのツイッター上の反対運動は見ましたか。ブラックライヴマターズへの反応としてナチスKKKが登場しましたし、フェミニズムに反応した男性至上主義のハラスメント野郎を見ましたか。ツイッターに触発された人間の進歩には、いずれにも恐ろしい揺れ戻しがあるんです」と言って彼は切り上げる。

 

それでは、あなたが本当にツイッターにとどまっていたいなら、少しは自己防衛しつつ自分の常用癖を認めたいなら、1つの解決策があります。23歳の情報科学においてちょっとした天才的なフランス人、シャルル・コーエンが考案したアプリ、Bodyguardは、10歳の時に自分の部屋のPCでプログラミングで一人前になり、このソフトウェアを一人でコード化した。その原理は単純で、嫌悪に満ちたツイートをその受信者に届く前に消滅させるのである。そのアルゴリズムは、書かれている単語と、その文脈、AIを少し、その人間関係を考慮して、最終的にその内容に関する攻撃性のスコアを提示する。このアプリは16000回ダウンロードされていて、何よりもデジタル化担当大臣ムニール・マージュビ自身がインストールしている。「私はツイッターの技術を逆転させて、優しいものを際立たせるのです」とシャルル・コーエンは楽しげだ。 その後これをインストールしたマチルド・ナヴァロは、クジラみたいだと言われることもちょっとは減った。

(LeMonde l’époque 2019年2月10-11日)