セバスティアン・ルシェヴァリエー衰退期にあるニツポンの展望はあまりに単純である

セバスティアン・ルシェヴァリエー衰退期にあるニツポンの展望はあまりに単純である

 

この経済学者は、ニツポンの主要な試練は、人口統計学上の試練もしくは国際的な試練である以上に、社会的な試練である。ニツポンは、共通の目的をめぐって国民の活力を動員しうる1つの社会契約を再建しなければならない、と分析する。

 

1989年1月8日に始まった平成の時代は4月30日に終わり、アキイト天皇が退位すればレイワの時代となる。天皇が象徴としての権力しか持たず、年号が西洋暦と並行したある種の暦法に過ぎないというような制度的な文脈のなかで、経済的な視点のこの変化を解釈しすぎてはならない。しかし、それぞれの近現代のニツポンの時代は一人の天皇と結びついており、ニツポンの一つの発展の期間に対応しているのだ。ニツポン経済の展望をしっかり見定めることで平成を総括することが可能である。つまりは、思慮を欠いた経済のリベラル化である。

 

たとえば明治の時代(1868-1912)は、根本的な制度の入れ替わりの時代で、ショーグンが実権を掌握していた江戸時代が終わって、天皇が最も重要な地位に戻った時代であり、しかしまた何よりも西洋的な意味合いでのニツポンの経済的な地位向上と現代化の始まりの時代でもあった。大正(1912-1926)は、経済的な観点からは通常は強い不安定性をその特徴とする移行期であると考えられている。昭和(1926-1989)は、ニツポンの国粋主義の台頭が顕著であり、それは大戦および敗戦の惨状となっていったが、1945年以後、昭和は、復興に引き続いてこの国が西洋列強へ追いつくこととなる力強い経済成長の期間にも相当するため、経済的に重要な側面も有している。この国は、1970年代の終わりから世界で第二の経済大国となる。1989年に平成が始まった際、世界で最も優秀な経済学者たちは、20世紀が終わるまでにニツポンはアメリカをしのぎ、エズラ・ヴォーゲルの有名な著作のタイトルを借りるならNo. 1になるであろうと考えていた。(Japan as No.1  Lessons for America, Harvard University Press, 1990年) しかし1990年代の初めに金融・不動産バブルが弾け、1997年のアジア経済危機、2008年の世界経済危機、そして何よりも2011年のフクシマ原子力災害がこの予測をあっさりと無効にした。その30年後には、その圧倒的なイメージは経済停滞であり、その結果として平成を特徴づける「失われた10年間」という表現である。この衰退の象徴は、少なくとも相対的にはニツポンでは出生率が下落して高齢化が加速しており、そして絶対的には2005年から人口が減少している。

 

衰退期にあるものとしてのニツポンのこの展望は、しかしながらあまりに単純である。 「悲観論者」と「楽観主義者」との際限のない、フランスに関するそれにも匹敵する論争に寄与するつもりはないが、グローバル化の本性と1980年代の始めからの経済のリベラル化の過程に対する教訓をそこから引き出すために、この展望にさまざまな色合いを持たせることが可能である。低い経済成長とデフレは、いくつかのヨーロッパの国において特徴ともなっている病根であり、それらに関しては低い失業率と黒字の貿易収支がニツポンをフランスのようなヨーロッパ諸国から分けかち、しかしドイツには近づけているのである。国家による介入様式と大企業の機能形態に関しては、最近ゴーン事件で思い出したように高度に発達している。

 

これらの条件の中で経済が停滞している主要な理由は何か。ニツポンの経済危機は大部分が内部から由来するものであった。経済危機は、その一部は思慮に欠け、誤って実装された経済のリベラル化の結果であり、このリベラル化がニツポンの体制を揺るがせ、この体制が国家にもたらしている比較上の優位性を損ねた。それぞれの景気縮小の時期が終わっても、ろくに反応もせず、フランス経済とかなり近い経過ではあるが、その回復が続く経済危機によって損なわれるような危険に晒してしまった経済政策の過ちを、もはや無視してはならない。ニツポンは、民主的な議論を行うこともなく貧困と格差を助長した主要な原因であるテクノロジーの競争や給与分野での賃下げ競争に乗り出している。その結果としてニツポンは社会の革新を度外視し、とりわけ以前には取り柄であったもの、すなわち政治組織の革新によって技術革新に付いて行くことを忘れてしまった。

 

それゆえニツポン経済の未来は、その試練に立ち向かう能力次第であろうと予言することができる。とりわけエネルギーとか、フクシマの災害後の特殊な環境という文脈の中では、経済成長はその試練の一つである。しかし、(世界におけるニツポンの立場と、特に中国との関係が、アベ政権の主要な関心事であったとしても、)その主要な試練は、人口統計的な試練もしくは国際的な試練である以上に、社会的な試練である。共通の目的をめぐって国民の活力を動員しうる1つの社会契約を再建することがその焦点となることは間違いない。このために、格差が増大していく状況下での保護の要求に応え、同時に一つの展望を示さなければならない。税制をめぐる議論は、フランスの状況をあげるまでもなく、これを終わらせる必要がある。つまりは、それを誰が負担しなければならないのかとか、それでどんな利益があるのかとかいっている議論(*受益者負担の主張?)である。

 

セバスティアン・ルシェヴァリエはEHESSの研究局長、EHESS 仏日基金総裁である。『La Grande Transformation du capitalisme japonais』(Sciences Po出版局 2011年)およびBrieuc Monfortとの共著『Leçons de l’expérience japonais. Vers une autre politique ?』(Rue d’Ulm出版2016)の著作がある。

(Le Monde紙 2019年4月28-29日)