文化における覇権(hégémonie culturelle)

文化における覇権(hégémonie culturelle)

 

この概念は、イタリアの共産主義の知識人、アントニオ・グラムシが作り上げたもので、権力の掌握が知性を介することを思い起こさせる。皮肉なことに、今日では右翼が、世論をめぐる闘争で勝利するためにこの理論を持ち出している。

 

 

それは現在進行中の戦略的な闘いです。イデオロギー的な対立の泣き所なのです。進歩主義者とポピュリストたちとの、グローヴァル主義者と民族主義者たちとの、あらゆる政治闘争を産み出しているものなのです。気候温暖化問題であれ移民問題であれ、候補者、政党、もしくはある一つの運動であれ、選挙で栄冠を手にするには世論をめぐる闘争で勝利することから始めなければなりません。知的な闘いにおいて認められることによって、「文化における覇権」を勝ち取らなければならないのです。

 

この概念は、共産主義のイタリアの知識人 アントニオ・グラムシ(1891-1937)によって作り上げられ、長い間左翼によって語られ、この10年ほどでは右翼に取り込まれています。ニコラ・サルコジは2007年の大統領選の際に、「とうとう私はグラムシの分析を自分のものとした。右翼の人間がこのああいう闘争を認めたのは初めてである」と宣言しています。

 

今日では、文化における覇権というこの考え方は、マリオン・マレシャルとその周囲の人々によって再び取り上げられていて、彼女たちは、闘いは選挙のものである以前に「政治を超えた闘争」でなければならないだろうと考えています。闘いは、学校や新聞や研修所を作ることを介して、メディアおよび世論において行われなければならない。左翼の様々な理念が右翼を腐敗させており、1968年5月の思想が社会のほぼあらゆる部分に行き渡っているので、それを覆さなければならない。ひとことで言えば「グラムシの教えを適用する時なのだ」と彼女は断言しています。ジャーナリストで闘士でもあり、1924年から26年までイタリア共産党のトップであったグラムシは、ファシストによって1924年から1937年まで投獄されており、このため彼の獄中手記となる約3千ページの原稿をしたため、これを隠し持っていたのです。

 

しかし、それでは文化における覇権とは何なのでしょうか。古代ギリシャでは、覇権(hégémonie, eghemon)という言葉は、ほかの都市を支配する都市のことです。そして国際関係では、この用語は軍事的、経済的に頭角を現している国家を示します。プレハノフからレーニンにいたる一連のロシア革命において、プロレタリアを後ろ盾とした農民と労働者階級の協働を表すため、もしくはまさにボルシェビキとメンシェビキとの勢力争いを形容するために、この言葉が再び用いられました。

 

リーダーシップの同義語

結局は、覇権はしばしばリーダーシップと同義です。しかし、アントニオ・グラムシでは、覇権の概念は統治にとどまらず、惹きつける力をも意味します。彼によれば、革命が基盤としえたのは、人々への強制権ではなく人々からの信奉だったからです。教会が何世紀も精神を陶冶し惹きつけながら社会を支配し組織化したように、ルミエール兄弟の哲学が市民たちに革命の勃発を準備させたように、ブルジョワジーが自らの技術者や弁護士や物書きたちによって武装して産業革命をもたらしたように、共産主義社会は、社会闘争と彼らの理念への同意とがともに機能すること以外では実現し得ないのでしょう。

 

グラムシによれば、「新たな知識人」はまた「実生活に、一人の構築者、まとめ役として参画しなければなりません」。「有機的」な知識人とは、新興階層を率いてその方向を示すものであり、教育者・教育家でなければならないのです。ジャーナリストで演劇評論家でもあるグラムシは、学術的な文化のみならず大衆文化の重要性も理解しており、したがって商業文学の成功のうちにある「その時代の哲学」の部分を理解することにも打ち込んでいました。彼は自らの時代の報道が社会主義化を進める力を評価しており、読者の(ある階層の)ニーズをみたそうとするだけではなく、このニーズを創り出し発展させようとする、それゆえある意味で読者をそそのかし、次第にそれを拡大しようとするような共産主義の編集者は、「全きジャーナリスト」であるようにと示しました。

 

文化における闘争というこの概念は、同様にあるユニークな人間学をその基盤としています。というのも、グラムシにとっては「人間は誰でも哲学者」だからです。それゆえに、「知るものたち」とそれを「理解するものたち」との協働を打ち立てることが望ましく、それは最もありふれた表象が文化における闘争を伝播していくのと同じように。そしてとりわけ、「常識」、つまり歴史の中で変化し流れを変えることができるこの大衆的な哲学を拒絶しないこと。ジョージ・オアレとナタン・スペルべがその『アントニオ・グラムシ』(La Découverte出版 2013年)の導入部で解説したように、「覇権を主導するのは知識人であり、それは覇権が常識と一致することを自らの責任とするのです」。

 

今では、この文化における覇権の奇妙な後継者、つまり右翼がこれを持ち出しています。これを要約するなら、「左翼の人間がいくつかの新たな理念を作り出す。それが擦り切れたら、これを右翼が使い始める」という、著作家マーク・トゥエインの言葉になるのではないでしょうか。グラムシの投獄を決めたムッソリーニ体制の検察官は、彼について、「我々は彼の脳が機能しないようにしなければならない」と言っていました。彼の死後80年以上が経ちましたが、それはいまだに働いているなんてものではありません。彼を政治的に継承しようとしているあの手の人々は、彼を投獄した人々でもあって、そういう人々によって再利用されてしまうという事実は、悲しいけれど避けがたいことであり、皮肉なことです。

(Le Monde紙 2019年10月31日)