グローバル化の統治は分断している

グローバル化の統治は分断している

ジャン=ポール・ポラン


自由貿易という強迫観念や金融化、環境破壊に対して、国家間で協調した政策的手段、公的投資、企業の長期的展望をもった戦略を構築し直さなければならない、とこの経済学者は考える

 

気候温暖化の危機、繰り返す金融危機、格差の増大... 資本主義が機能不全となっているという客観的な情勢はコンセンサスを得ているようだが、それに対する解決策は様々であってときに相反している。しかしながら、3つの骨組みを模索しうるようだ。しっかりとした協調のためにハイパーグローバリズムを断念すること、国家の意思決定の範囲を企業と同様に拡張すること、そして民主主義の発現を再構築することである。

 


世界で算出される富を力強く増大させることが可能だったのは、国際的な貿易の発展によるものだということに異論の余地がないなら、それはまた敗者たちも生み出している。このプロセスが受け入れられるものであるには、敗者たちもまたその代償を受け取らなければならない。そしてこれらの代償にかかるコストは、ある閾値を超えて貿易の自由化から引き出す利益を超えているかもしれない。すでにいくつかの地域にとっては、明らかにこの閾値は超えてしまっている。


ここで今日では、貿易の自由化を条件づける規定を明確に示し、遵守させることができる、もしくはグローバル化によって相互依存的なものとなった経済政策の協調を保証できるような、国際的な機構はもはやない。気候変動を制御しようとする試みがなかなかうまくいかないことが明確にしているように、グローバル化の統治は分断化し地域的合意にまで縮小している。これらの条件においては、強迫観念としての自由貿易は正当化し得ないものとなるのだ。グローバル化による恩恵を名目とすることでは、国家は例えばその社会システム、ある価値への愛着や環境に配慮した選択を犠牲にできないだろう。


深刻かつ繰り返す危機

金融のグローバル化は、それが深刻かつ繰り返される危機の原因であり、それが実体経済に対する金融の影響力を広げ、通貨政策の独立性を妨げたものの、それによる資本の国際的な配分の改善は示せなかったため、さらにずっとラジカルな批判を引き起こす。ここでグローバルな貯蓄の一部がアメリカの公的赤字を賄うのに役立った(*!!)のは逆説的である。マクロプルデンスな手段を使用することで、資本の動きを再び管理するちまではいかなくとも、資本の移動の重要性やその平衡をおびやかす効果を押さえうる。


もう一つのタイプの解決策が提案するものは、国家の役割を復活させることである。国家の役割には、ネオリベラルな反革命運動が1980年代の曲がり角から異議を唱えていた。この公的介入を再生することは、格差の増大や領土による分裂、生産性の向上の衰弱、環境変化を制御する必要性などから、その正当性は十分に明らかだ。しかしながら戦後の時代に規制によって実現したものとは異なり、今日では人々は、公共投資に関して国家に期待するほどは、所得の再分配の遵守や景気動向の誘導に関しては国家に期待していない。


教育、住宅、科学技術等の政策にあてられなければならない資金は、明らかに膨大だが、それらの資金調達の問題は誇張されてはならない。公平かつ持続可能な発展を促進するためならば、その投資が生み出す公的赤字は制限する必要がないからである。今日では、これらの赤字の大部分は、困難な状況にある社会集団、領域、分野への援助を行うにあたっての移転的支出の産物である。しかしそれは、人々が国家がより主意主義的な政策を推し進めるような手段を退けるからであり、より短期的視点では、人々が国家の最善とはいい難い経済動向によって創り出される損失は、国家が補填するよう余儀なくさせるからである。


「福祉」

しかしながら、国家だけが全体的利益、もしくは「福祉」と呼ばれるものを引き受け、もたらすものではない。社会的つながりを構成する機関、そしてとりわけ企業は、全体として自らをある社会的責任を負ったものであるとも考えなければならない。それゆえ企業の唯一のミッションは株主に対する価値を最大とすることでなければならない、とするような根拠のない考えは拒絶しなければならない。倫理面での考察ばかりからではなく、企業の長期的な永続性は、あらゆる利害関係者の関心をうまく両立させることで、その貢献を一体化できるかどうかによる。


かくして企業の意思決定の範囲を広げることは、企業の戦略を大きく広げるためのみならず、取引先と持続可能な契約を締結していくためにも必須である。短期的展望しかもたない金融市場の影響力や、順応を余儀なくさせるような逆効果となるスローガンには異をとなえるものである。我々はこの意味で、大企業の発言(Notat-Senard報告:アメリカ合衆国事業協議会の最近の宣言)に表明されているような変化を歓迎しなければならない。企業のこの自覚は重要であって、それはたとえそこに最も困難なものが実施されていないとしても。つまりそこには従業員持株制度や投資基金の統治が発達していくことが貢献しうる。


つまり、民主主義の再生は、目的であると同時に、前にあげた提案を実行していくには不可欠の手段でもある。なぜなら歴史を通じて、資本主義には民主主義に依存した部分があったためであり、それらは相互に強め合っている。そして今日では、資本主義への失望が民主主義の弱体化に合流する。しかし、この段階で経済学者は、新たなものとなる民主主義の発現をどのように具体化し実現するのか、それを構想しなおすべく政治学者に手を差し伸べなければならない。


ジャン=ポール・ポラン  オルレアン大学経済学部名誉教授

(Le Monde紙 2019年10月13-14日)