ニツポンのパンツ

ニツポンのパンツ

ダヴィド・カヴィリョーリ

 


何ヶ月か前から、Facebookが私をニツポンのパンツの広告で屈服させようと躍起になってる。いくつかのブランドがオススメされているが、どのパンツも似たり寄ったりで、太もものところが膨らんでてふくらはぎで締まる、サルワールとSSの将校のキュロットの中間というか、北斎風の花柄模様のぼってりした奇妙なジョギングパンツ。どうしてこんなのばかり受け取るのか自分にはわからない。私を社会学的に規定する要素の中には、ニンジャみたいな格好をすることをそそのかすものは何もない。


最初の広告が来たのは去年の秋。たいして注意は払わなかったが、フェイスブックアルゴリズムは、謎のしつこさでますます多くの広告を出してきた。今や私のニュースフィードはもはや2つのコンテンツだけに使われていてそれは近親相姦に関する記事とニツポンのジョギングウェアである。私がその2つを結びつけ始めるほどに。私は娘をニツポンのジョギングウェアを着た人物に預けたりなんてしないが。


もしもFacebookの誰かがこの文章を見たら、御社のトップに通告していただきたい。アルゴリズムが誤作動してますよ。私は取り立ててこういうズボンが好きなわけではないんです。こんなのはいてるヒト、見たことありません。実のところニツポンにも興味がありません。ついでにいえば、まったく望んでもいないのに自分がフランスの市場におけるニツポンのジョギングウェアの攻勢を観察する前哨になっていて、その企業が失敗していることを確認できるだけなんです。街中でも地下鉄でもお店でもテレビでも、どこにも全く1つも見かけてない。ニツポンのジョギングウェアについて語るヒトも誰もいない。私がその最初なんですが、言ってしまえばそんなもの欲しくない。ニツポンのスポンサーさん、無駄に大金を使っていることを分かってください。フェイスブックはあなたたちに、存在してない購買層を売りつけてますよ。


それでも一つ不安があると言わざるを得ない。Facebookアルゴリズムには嫌な噂があるのだ。この間私が読んだものによると、それは一人一人の行動、思考、心理学的な特性を見事に分析しモデル化している。最近のあるドキュメンタリー(『監視資本主義』 2019 年 Netflix)では、収集され処理された私たちのデータが、ある種のデジタル・クローン、私たちのように考え、反応し、画面を見たりクリックするたびに一つ一つの行動がそのモデルに忠実に近づいていくクローンを形成しているとまで言おうとしている。あまり使わなくはなってきているが、私は13年前から今日にいたるまでフェイスブックを使ってる。ならば、もしもフェイスブックが私がこういうズボンを気にいると確信しているなら、おそらく私はそれを気に入りそうなものだとも思う。もしくはすぐに気にいるようになるでしょう。私が再び無視したとしても、近いうちに認知のロジックが私がニツポンの花柄のジョギングウェアを欲しがり、さらには1着購入するように仕向けるだろう。


それゆえ、ニュースフィードに1着のジョギングウェアが登場するとき、私はそれを見る。私は街中を歩きながら、自分がサムライのワラジを履いた姿を想像する。このアルゴリズムは私に何を見ているのだろう。私には何が相応しいと。年齢をくった夫の保守主義に飽き飽きして、もっと大胆なものを着なさいよと夫に言ってる嫁さんみたいだ。フェイスブックが、私が広告に戸惑っている時間を私が関心を持っているサインだと解釈しているのはかなり確実で、だからまたそれを提案してくる。私はどうやったら出られるのか分からないプログラムのループに入ってしまった。この文章を書くために、そこのリンクの一つを私がクリックしてしまったからだ。そこからはもう雪崩のよう。花柄のジョギングウェアだの、フラッシュセールだの、お買い得商品だのが狂ったように。北極だか南極だかに近いどこか氷だらけの人気のない場所の真ん中にあるデータセンターで、一台のサーバーが満足して点滅する。「最後にはあいつはまんまとそそのかされますよと私はあなたに言いましたよ」

(L’Obs誌 No. 2935-28/01/2021)