アニー・エルノーと人生を変えた本:「『嘔吐』は何かムカムカしそうなものかと思いました」

アニー・エルノーと人生を変えた本:「『嘔吐』は何かムカムカしそうなものかと思いました」

 

2018年に、『l’Obs誌』はいろいろな人物や読者たちに「人生を変えた」本について語っていただきました。アニー・エルノーが先日ノーベル文学賞を受賞しましたが、当時サルトルの『嘔吐』について語ってくれています。

 

私の人生を変えた本、いわば私の女性としての立場を受け取った方法ですが、それには明らかに一冊あって、それについてはすでによく語っていて、それはシモーヌボーヴォワールの『第二の性』です。しかし、ある人が自分でものを書くようになったときに重要な本とは、書く方向をあなたに与えるものです。そこでは別の本が、私の世界観を変え同時に私のエクリチュールにも影響を与えています。それは『嘔吐』、ジャン=ポール・サルトルの作品です。

私はたまたまそれを16歳の時に読んだんです。うちにはほとんど本がなかった、高かったので、そしてサルトルはあの時代の悪魔みたいな扱いで、いわば禁書になっていました。しかし1956年のクリスマスのちょっと前にかなり体調が悪くて、だから何日間か教室に行けません。ある叔父が私を訪ねて来ました。彼は電気工で本を読むのが好きでした。どちらかといえばミステリーだったと思うのですが、それ以外にも。

私は家ではずっと本ばかり読んでいると思われていたので、伯父は2冊のペーパーバックを持って来てくれたのです。それはケストラーの『ゼロと無限』(*『真昼の暗黒』)、そしてサルトルの『嘔吐』でした。(その頃は1956年の年末ですがペーパーバックは全ての階層の人たちが読んでもかまわなかったでしょう。)表紙はすごく酷かった、汚いクリ色というのか土色。そして書名が『吐き気』で、何かむかむかしそうな気がしました。

それを病床で読んだんです。あれは一人称で書かれていて、はたして実際の話なんだかフィクションなのだろうかと思いましたが、しかし何よりもこの『私』が私を引き込んだのです(*engageait)。彼によって私は一つの世界観を見いだし、それによって私は青年期の精神を手にしたのです。

こんな本が存在するなんて思ってもいませんでした。それは神が登場しない本で、私はといえばカソリックの私立校にいたのです。しかし、そこにはよく知っている現代の世界がありました。ブーヴィルの町は私の子供の頃のイヴトだし、彼の座るベンチがあるカフェは、母とよく行ったルーアンのカフェ、ジャズの問題も同じで、私がちょうど興味を持ち始めたもので、Europe1でダニエル・フィリパッチとフランク・テノが担当していた「ジャズを愛する人たち」にという放送を聞いていました。

存在(実存)についてなんてあまり考えたことがありませんでした。しかし公園とかマロニエの根とか、あらゆるものが意味を為していました。私はこの本を叔父に返さなかった、お友達に貸してあげたらすごくいいと気付いたのです。よく分かってもいない性について語るつもりもあったと言わざるを得ません。そしてロカンタンと会うことになる女性の名前は、アニーだったのです。

しかし(*自作の)Années』の最後で「何かを救わなければ」と書くとき、今考えればまさにこれは『嘔吐』に呼応していたのでしょう。当時私はものを書くとは考えておらず、ものを書いて生きるなんて考えてもいなかった。しかしこの時これを読んだことが私のエクリチュールを決定した。私はこうしなければならなった。もう『嘔吐』は読み直したくない、私はそれほどまでに入れ込んでいたんです。これを読み直したのは、40歳の時に一度だけ。この小説の始めでロカンタン氏に何かが訪れて、彼の世界認識が「変わって」しまった。それはこの本とともに私にも訪れました。『第二の性』、それに先立って『嘔吐』があったのです。

アニー・エルノー

(L’Obs誌サイト 2022106)