あるフランス人の青年期

l’Obs誌セレクション

『LA LUMIÈRE, L’ENCRE ET L’USURE DU MOBILIER』  (*明かり、インクといい感じの家具のくたびれ具合 (?))

EMMANUEL VENET著 GALLIMARD出版、160 P, 17 ユーロ

 

★★★☆ ヨブとツヴァイクプルーストランボー、空中浮遊データと自己性、ファティマの聖母とサンドミアーノの聖処女、医師で小説家のJacques Chauviréと旅行家で小説家のBlaise Cendras、讃美歌『主は我が羊飼い』とNino Ferrerの『le Sud』、フロイドの誕生と『ボヴァリー夫人』の出版、Vialatte l’Auvergnatと精神病者Wolfson、これらの間にある関係とは何か。その答えは、Emmanuel Venetと彼自身である。作家と精神科医、この二つの役割は時に混じり合い(と言うのが彼の習慣である)、彼は他人の話をするふりをしながら、そして自分の著作のタイトルについて説明するために、まっすぐ歩くと同時にぐるっと回ったりするそぶりもしながら、なんとかここで自叙伝を書く偉業を成し遂げた。この彼の回想記は、風変わりなアルファベ順に分類されていて、Auberg(*宿屋)という言葉から始まる。これはテッシェンの宿屋の話で、それは1882年にフロイドがハンブルグに行き彼が愛していた女性、マルタ・ベルナイスと会う途上に立ち寄ったところだ。彼はこの宿屋から、彼女と早く合流したいと伝える手紙を書き、そこでは「明かりとインクと家具のくたびれ具合が売られていた」という。きれいな表現で、エマニュエル・ベネは、この確かに明るくなるような、作り込まれた、古風な艶のある物語のタイトルをここから取った。

1959年にリヨンの濃密な霧に包まれた街区で生まれ、教皇庁のローマカトリック信仰による教育を受け、つまりペドフィルの司祭から教理を教え込まれた。母親はアルスの司祭やピオ教皇の信奉者で、彼女はいたるところに聖母マリアを見た。父親は、フランスは今にもソヴィエトの戦車によって侵略されかねないと確信したドゴール派。祖父はドリオ主義でユダヤ人排斥主義の「ナチス主義」的言説への協力者で、「国家反逆罪」で終身強制労働の判決を受けている。彼は真顔で、自分は精神科医になる宿命だったと冗談を言う。そしてそれを裏付けるように、1988年、「女優のように美しく」、彼がおかしくなるくらい愛していた女性が死亡したまさにその日に、学位論文『羞恥心への臨床的アプローチ』を提出。「自分はこの患者にある親近さを感じていた。」当時は、その論拠をドストエフスキーの『地下室の手記』やカフカの『審判』、プルーストの『失われし時を求めて』に求め、それらを読みながら準備した学位論文である。ヴネ医師は、アントナン・アルトーを治療した精神科医Gaston Ferdièreの伝記作者であり、彼の作品では文学は常に精神医学の大切な理解者だからである。12歳の時にミサのオルガン演奏で奉仕した音楽についても語られる。グレン・グールドについては、「もの悲しいパサージュをフォルテシモで、英雄的な行進曲はピアニシモで」弾くと触れている。このエマニュエル・ヴネの本の散文作品にも同じ表現が当てはまり、まるで真実の音が素晴らしく響くように大屋根を上げたグランドピアノのようである。

(l’Obs誌 no. 3046  2023年2月23日)