ル=ペンとメランションがバシャール・アル=アサドへの支持で足元をすくわれる
国民連合の代表はこの独裁者をジハード主義に対する防壁とみなし、フランス不服従の指導者は反アメリカ帝国主義に基づいて行動していた
国民連合党(RN)には、国際的な諸問題に関して権威となる発言者は一人しかない。その人物は、12月9日にシリアの独裁者アル=アサドが失墜して以来、声を失ったままだ。マリーヌ・ル=ペンは、シリアで起こっていることについては公式に反応しておらず、極右のネットワークが常に支持してきた一つの体制の崩壊について、コメントを控えている。今回の政治的脅威のもう一方の側にいるジャン=リュック・メランションと同様にこの極右の指導者も、バシャール・アル=アサドはさほど害悪ではなく、さらにパートナーにもなりうるとずっと考えていた。
その長く続く沈黙についてルモンド紙から質問を受け、マリーヌ・ル=ペンは「比較的複雑な」状況であるとしつつ、「いくつかの反応があまりに速くて、その軽率さに驚いている」と言いった。それはつまりフランスの当局者たち、もしくは彼らの喋りすぎる一団のことで、彼女からみれば喋りすぎだとした。この国民連合の代表は国民議会にて、バシャール・アル=アサドを支持したことは決してなかったと言うのだが、ジハード主義からの防壁と考えていたことは認めた。そして反乱軍を率いるシリアの新たなトップ、アフマド・アッ=シャルウ、戦時名アブー・ムハンマド・アル=ジャウラーニーの約束はあまり信じていないと認める。
その直前に国民連合の総裁ジョルダン・バルデラは、ヨーロッパを手こずらせた「移民のリスク」を考慮して、バシャール・アル=アサドの失墜は「地政学的な惨事」であるとした。この極右の2人の指導者は、バシャール・アル=アサドがシリア国民に与えた苦痛についても、彼が数百万人のシリア人亡命者に果たした役割についても、あっさりとこだわることがなかった。
この父親と共に設立した政党のトップとなって以来、マリーヌ・ル=ペンは「イスラム教の独裁者よりも宗教が絡まない独裁者の方が望ましい」として、アラブの革命を常に懐疑的に見てきた。かなり初期から彼女は、この汎アラブ主義体制をジャン=マリー・ル=ペンがしてきたように歓迎とみる顧問たちに取り囲まれていた。そこには前ヨーロッパ議会議員Aymeric Chaupradeや現議員Thierry Marianiのように、ロシアとの絆に導かれた人物もいた。それとは別に、バシャール・アル=アサドとのビジネス上の関係に導かれていた者たちもいた。
国民連合には一貫性がある
その事例としてはFrédéric Chatillonであり、彼はマリーヌ・ル=ペンの個人的な友人で、ずっと国民連合から給付金を受け、彼がこの革命中には政治的プロパガンダを、それ以前には観光PRを請け負っていたいたシリア当局からの金銭で相当に潤っていた。汎アラブ主義の高官たちと親交があったFrédéric Chatillonは、マリーヌ・ル=ペンの選挙陣営で鍵となる役割を果たしていた間にも、頻繁にシリアを訪問している。2021年にも、ヨーロッパ議会議員Thierry Marianiと地域評議委員で現在はルペン女史のスタッフメンバーであるAndréa Kotaracがバシャール・アル=アサドと会見したが、それはアサドが彼女に外交交流の再開を望んでいたのだ。
今回のダマスカスでの出来事に対するこの極右のネガティブな反応は、ある種の一貫性を示している。これとは逆にジャン=リュック・メランションはバシャール・アル=アサドのもう一人の支持者と考えられているが、彼はアサドに対して180度の方向転換を行ったようだ。発言力を失うと考えたのだろうか。12月8日にこのフランス不服従党の指導者は、旧ツイッターでの公式発表にて、「シリアにおけるアル=アサド体制の瓦解を100%嬉しく」思った。過去の自分の発表とは食い違った形で。一例として、2016年2月にこのフランス不服従の指導者は、ウラジミル・プーチンがイスラム国の組織と戦うと主張しており、もうすぐ「シリアにおける問題を解決する」だろうと考えていた。現実として、「確かにロシアの爆撃・砲撃の90%は反乱ゾーンを狙っている」と、シリアの反体制派であり『Syrie, la révolution impossible』(Aldeia出版, 2023年)の著者であるFiras Kontarは言う。
メランション氏は、マリーヌ・ル=ペンのように、シリア人権監視団が発信した情報に由来する、2018年4月にダマスカス郊外のグータ東部で、シリア軍が進めた化学兵器による攻撃には疑いの目を向けている。「(フランス政府が)もしもその証拠を複数持っており、それらを提示したのならね」と彼は言い放っていた。2019年10月にも、彼はフランス政府に「エルドランの軍とそのジハード主義の補完勢力による侵略からシリアを防衛している」シリア軍を「支援する」ようにも勧めている。今回の発言はいずれも、根深い反アメリカ帝国主義とNATOへの強固な敵意に養われたジャン=リュック・メランションの政治路線に背く逸脱である。
彼の突然の豹変は、12月9日にメランション氏が「不当な中傷は情報を与えることではない」というタイトルのブログポストにおいて軌道修正を試みたほど、大量の批判を引き起こした。
12月9日のテレビ局フランス2の公開番組で、ヨーロッパ議会議員Raphaël Glucksmannが、背中合わせのマリーヌ・ル=ペンとジャン=リュック・メランションにこう投げ返している。「バシャールの数々の犯罪を糾弾する発言を一切何もしてこなかった人たちの論評をいま聞いているのですが、その人たちは彼の犯罪を弁護しようとあらゆることをしていた… 今日私は、唐突に彼らがシリアの未来についてとても懸念しているのを見ているということになるのでしょうか。その人たちは恥を知るべきですよね。」
(Le Monde紙 2024年12月11日)