基本的人権を放棄することの危険性

(基本的人権を放棄することの危険性)

 

行ったり来たりする。デモをする。自分たちの意見を表明する。これらの憲法で保障された根源的な自由が、フランスでは数日前から束縛されている。夜間外出禁止が押し付けられたのだ。

 

憲兵隊のヘリコプターが、夜になればいかにもディストピアな雰囲気の特にレパブリック広場の上を光束で照らす映像の記憶が歴史に残るであろう。知事たちはデモを禁止し、裁判所の緊急裁定で異議が出されることがある。若者たちが拘束され、今回の高校生運動の最初の月では、8000名の拘留者たちの大半が未成年、10月17日から18日には別に2700名が拘留された。この数字はかつてない。

 

17日のデモの1日で、治安の統制を失うことによって引き起こされたショックは、過小評価できない。ナントで警察によって殺された17歳のNahelの死を引き起こした暴動から3年後、今回参加したフランス人は、あらゆる地区における略奪、破壊行為に驚いた。暴力の繰り返しは民主主義では栄えることができないのは明らかだ。所有権と商取引の自由は、これもまた憲法に明記されているものだ。

 

しかし、10月17日に暴発した爆風は、政府を致命的なエスカレート状態に巻き込んでいる。高校生、大学生そして社会人は、教育システムの荒廃もしくは物価高に対する平和的な示威運動を続けていきたいと望んでいるのだが、さらに輪をかけて彼らは自分たちの運動が奪われ、参加できなくなるのを見た。2027年大統領選の中道と右翼の候補者たちは、極右に遅れをとるという危機的な展開に巻き込まれていて、抑圧的な提案で張り合うことでその基調を示している。非常事態、武力行使、顔面認証、SNSの閉鎖、刑法適応年齢を16歳に、生活保護の取り消し、国籍の剥奪。

 

任期満了となる共和国大統領、エマニュエル・マクロンは、孤立し弱体化していて、2回の海外出張の間に、「極左」の「反乱分子」は「共和国の打倒」を目論んでいるのだとして、強硬な態度を示したものの、それだけで政策は怠っている。

 

国家の二番手となる元老院議長Gérard Larcherはといえば、La France insoumise党は国政議会に議席を有する政党なのだが、その政務を停止したらどうだろうかと提案したりしながら途方に暮れている。彼に続いて、委託された右翼の上院議員たちは、すでに審議が加速している政府の立法プロジェクトである「壊す人-修復を負担する人」を強化した。法務大臣のGérald Darmaninは、パリ共和国検察官に対して、権力側から見て寛大すぎると思われる暴徒の判決を「徹底的に」上訴するよう厳命したが、この段階で彼が保証すべきはずの司法権の独立性の原則を踏みにじっている。

 

このエスカレートした危険な状況は、Rassemblement national党(*国民連合)に票を与えてしまうことと同じであって、この政党はほとんど何も言わずなりをひそめている。この政党は、この期間の間は責任を問われることがないが、それは未来の政府にとって、たえずより危険な方向に踏み外しかねない道を開くからである。ポーランドやハンガリーでは、何年かの非リベラルな政権が終わり、政府は法治国家を再建しようとしているが、この両国の経験は警告を喚起せざるを得ない。おそらく法治国家へはとても早くすんなりと移行するだろうが、民主主義的な国家に戻るとなれば、最善でも非常に長い道のりをたどる。

 

特別法による措置は常に人権を損なう。治安を名目として、基本的人権を厳密な必要性を超えて反故にしてしまうこと、それは当然の懸念を抱く市民を惑わすほど、その創立の原理を捨て去ることである。

(Le Monde紙社説 2026年10月24日)