尋問でのニコラス・ゼペダ

尋問でのニコラス・ゼペダ

 

元恋人だった日本人女性の殺人罪に対する33歳のチリ人男性の公判が最終週に入る

 

1218日に、ニコラス・ゼペダが自らの訴訟を控訴するつもりだったことの意味を知っておいた方がよいだろう。彼は、日本人の元恋人 クロサキ・ナルミが、201612月の4日から5日にかけての夜に恐怖の叫び声を上げ、そのまま行方が分からなくなった理由と経過を説明したのだろうか。もしくは彼が、ブザンソンコレット大学宿舎の9平米の106号室の中で、若い女性が死亡した最後の瞬間とその謎が分かる唯一の人物なのだろうか。ヴズールのオート・ソーヌ重罪院で開かれた第3週および最終週の公判は、彼の尋問から行われなければならなかった。その評決は1220日もしくは21日に待ち構えていた。彼の罪状否認にも関わらず、捜査は第一審の重罪院に、ニコラス・ゼペダの殺人罪での28年の懲役判決を認めさせた。良家の子息らしい礼儀正しい外観で、両親から尊重され、何度も留学し、多言語話者で信心深いが、その裏で捜査陣は、彼が脅迫的に嫉妬深いことを見出した。彼は、離れていかざるを得なくなった女性を再び支配することに執着するのだ。

怯えたメッセージ

彼の元恋人は経済学を学ぶためにフランスにやってきたが、その後のネット上での彼女の尾行。彼女のメール受信箱への侵入、彼女のフェイスブックのウォールから新しい男友達たちの画像を「こいつらを削除しろ」と指図、そしてこのような最初の警告、「もう我慢できなくなってきている」。1214日に法廷のスクリーンで上映されたそっけない動画では、彼は20169月から彼女に最後通牒を出しており、「これらの取り決めは、ある者たちにはフランス滞在中のすべての期間、他の者たちには永久に適用されるんだ」、その条件については具体的にメールで示して、「これから絶対に問題を起こしてはならない、決して怒ったり、意地悪になったり、汚い言葉もダメ、いかなる交渉にも応じない」。

そして、11月の終わりに、彼は突然チリのサンチアゴからブザンソンにやって来る。スーパーマーケットのクレジットカード使用記録では、燃料を5缶、エンジンオイルを1瓶、1箱のマッチを購入し、彼のクルマのカーナビのGPS記録では、なぜか凍てつく誰もいない森林地帯の曲がりくねった道に行っている。目撃者、監視カメラの画像、携帯電話の中継局からは同時に、ダンス教室から帰宅したクロサキ・ナオミを駐車場で捕まえる前に、彼は大学宿舎に33晩出没していたことが確認される。

彼らが地元のレストランで過ごした夕べに、1台の宿舎の監視カメラが彼らが一緒に帰宅しているのを記録している。124日から5日にかけての夜に若い女性の悲鳴、これには周辺の人たちが飛び起きている。学生たちは318分から321分にメッセージを交換しており、「メチャクチャ怖かった、誰かが殺されたみたいだった」といった怯えたメッセージが英語で飛び交っていて、彼女の死亡時刻を示している。「バーン、バーン」という音が聞こえて、そこからは無音、廊下のあちこちを確認しようとして2人の男子学生が部屋から出てきたらしい。翌朝、心配した友人たちが行ったが、106号室のドアはしっかり閉まったままで、そこにはクロサキ・ナオミの新しい恋人、Arthur del Piccolo もいた。

「新しい人と付き合い始めた」

彼は、法廷でその続きを語っている。この友人グループは、ナルミの部屋の前で守衛を呼ぶべきか相談した。Arthur del Piccoloは彼女の携帯から送信されたメッセージを受け取っていた。彼女は彼に、誰か別の人物と会ったと言っていた。恋人である彼は、部屋には入れてもらえないのだと考えてその悲しみに堪えたが、すぐに彼は警告を出してもしょうがないと考えてしまって、そこにいた人たちにそう伝えた。そこから1人、また1人と部屋に帰って行った。

ナルミの母親と姉妹たちが順に音信を受けていたが、しかしその文面が彼女たちを困惑させていた。ナルミの文体とは思えなかったからだ。125日から送信されたこれらのメッセージは、すべてニコラス・ゼペダによって作成されていることを捜査が明らかにした。元彼女の家族に送られたこれらのメッセージ(「新しい人と付き合い始めた」「これから旅行に行くからwifi が使えない」)のために、このチリ人青年は日本人の2人の女友達のもとにあらかじめ書式も問い合わせていた。そして彼女たちにはこのメッセージのやり取りを削除するよう、そして彼女たちの削除済み画面のコピーを彼に送るよう求めている。

法廷で陳述された尋問には、ニコラス・ゼペダの往還の行跡もあり、127日には森林地帯の真っ只中の、ほとんど車両の通行がない道をたどって奇妙な彷徨をしており、ディジョンGPS基地局に入って、クルマの後輪が歪んで泥だらけになっている。そしてついに1212日のこの日、ここからクロサキ・ナオミのネット上のアカウントへのサインインがなくなる。バルセロナのイトコの家で自分の26歳の誕生パーティーをしたニコラス・ゼペダは、この日にチリに帰国する。

その3日後、捜査陣が106号室に入り、部屋がきちんと清掃され整頓されていることを発見する。所持品は全てあり、一枚しかない冬物のコート、現金と2枚のクレジットカードが入った財布、靴、化粧ポーチ、モバイルPC、日記、鉄道カード、もう直前になったArthurとのスキー旅行の申し込み用紙。スーツケースとベッドシーツ、カバーはなかった。

「全部言わなければなりません」

それゆえ、ヴズール裁判所の重罪院に招集された裁判官と陪審員たちはこれをすべて知っている。訴訟の初日には、被告の父親ウンベルト・ゼペダが厳かに、この捜査には彼の息子の有罪を明示するものは何もないと陳述した。彼の母親は、「私は知っています、息子は無実なんです。私が腹を痛めて産んだ子ですもの。」そして彼らは、1212日と13日に、クロサキ・ナオミの2人の姉妹、そして母親タエコの深い悲嘆と12時間にわたって向き合う。「この男は本当のことなんか死ぬまで言うつもりがないわよ!」と彼女は叫ぶ。

しかし裁判官は、このチリ人青年の新たな2人の弁護士、Sylvain Cormier氏とRenaud Portejoie氏の奇抜な役割分担を察知していた。まず最初に、コルミエ氏はJulien Dreyfus氏の後任として新たにこの件に登場しているが、彼はニコラス・ゼペダからの信任に対する伝統的な尊重を投げ出している。推定無罪、すなわち無罪判決を主張することである。2人めのPortejoie氏は、リスクをとって一線を越える。それはどこまで?

「では、もしも息子さんが有罪なのだとしたら。あなた方はそれについて考えておられましたか」、開廷からいきなりこの弁護士は依頼者の父親に言い放った。この尋問にしばらくの間びっくりし、そしてウンベルト・ゼペダは息子の無実への確信を新たにし、チリの報道陣にの方に向かってこれを繰り返した。こうして強行突破することに、Portejoie弁護士は自らの自由を賭けた。解任されてもされなくても構わない。彼は解任されなかった。そして彼は、依頼者に声を荒げ始めた。「どうして彼女たちが嘘なんかつくんでしょう?」、クロサキ・ナオミが行方不明になるまでの数日間に宿舎に潜んでいるところを2回目撃されていた人物がおり、2人の証人がそれが彼であると証言する供述をしたあと、彼にこう尋ねた。1211日、決め手となる陳述があった日の終わりに彼に小声で言っている、「ニコラ、全てを言わなければなりません、黙秘はダメです」。この日はニコラス・ゼペダにとっては格別な日で、彼の33歳の誕生日だった。

この公判にあたって、裁判所長François Arnaudは結論を急がなかった。日程操作と彼の選んだ追い込み戦術にとどめた。つまり、すべての証拠と証言が、吟味されて専門家と証人たちから聴取されるのを待ってから、根本的なところから被告が尋問されることである。次席検事のEtienne Manteaux は、一審の起訴の提出にあたってこのチリ人の無期懲役を要求していて、じっと我慢してる。いまウンベルト・ゼペダは、裁判所の出口で彼を待ち構えているチリ報道陣のマイクとカメラから逃げている。

1218日、ニコラス・ゼペダは尋問にフランス語で答えなければならなかった。3年間にわたる留置後、流暢に彼はそれを語る。弁護側はその時が訪れるのを待つ。Portejoie弁護士は裁判官と陪審員たちからあからさまに距離を置いており、その言葉は彼にとって身を切るようなものなのだ。彼は自分の依頼者からそれを聞くことになるのだろうか。

(Le Monde紙 20231219)