新たな壁について
スラヴォイ・シジェク
グローバル資本主義は、そこからは社会政治的な秩序は生まれ得ないということ(なおかつ、それが必要であるということ)に問題がある。つまり、グローバル市場経済は、地球という惑星規模での選挙制度が必要となるようなグローバルな自由主義的民主主義としては、直接組織化することができないということであって、グローバル経済が「抑圧してきたもの」が、時代の流れ以前のままの様式の個人の定住、および(民族としての、信仰としての、文化としての)地方主義という本質的アイデンテティの形をとって、政治の場に戻ってきたということである。今日私たちが置かれた非常に微妙な状況を規定しているものは、まさしくこの緊迫した状況である。つまり、地球レベルでの自由な商品の流通は、社会の領域ではますます明らかとなりつつある分断を伴う、つまりますます商品は自由に流通するのに、人間はといえば新たな壁によって閉じ込められているのだ。
トランプは、クリントンが支持した大規模な自由貿易協定を抹消すると言った。この二人に対向する左翼の政策は、全く新たなジャンルの国際条約によって構成されなければならない。つまりは、銀行を管理し、経済的に厳密な判断基準を制定し、労働者の諸権利を擁護し、全ての人間に同じ医療を保証し、性的および民族的なマイノリティーを擁護するなどを目指す協定である。グローバル資本主義がもたらした教訓とは、つまりは国家・民族は独力ではこの作業ができず、おそらくグローバル資本を軛することができるのは、国家を超えた全く新しい政治的なものだけであろう、ということである。ずっと反共産主義だったある左翼の老人が、ある日私に語ったところでは、スターリンが西側諸国に植えつけた恐怖は、彼の功績となしうる唯一の良きものだが、人々はまたいつの日かおそらくトランプについても同様のことを言うのではないか。今日、彼が自由主義者たちに植えつけている恐怖は、彼の業績とすべきおそらく唯一の良いものであろうと。
( L'Obs誌 No.2736 - 2017年4月13日)