理性の狡智

理性の狡智
ミシェル・オンフレ

この哲学者によれば、アメリカの大統領は「メンタリティーががさつな粗暴者」であって、結局は資本が彼に割り当てた役割を演じるのである。


ヘーゲルであれば、トランプの合衆国大統領当選が、理性の狡智に関する彼のテーゼの素晴らしい例証だとおそらく気づいている。このドイツの哲学者は、理性=ルター派の思索者にとっては別名神慮は、歴史の中で受肉し、そして歴史は何かを生み出さざるを得ないのだという事実を創り出すために、時にそれは変装したり、しかも明らかに理性とは正反対の変装をしたりするのだと確かに考えていた。

もちろんトランプは、弱者には強く当たり強者には下手に出るような、グローバリズム政策から取り残された白人貧困層の候補者として立候補した。粗野で下卑ており、粗暴で威嚇的であり、暴力的ですぐにカッとなったり、下卑て怒りっぽかったり、攻撃的でケンカ腰になったりすることでトランプは、彼らの言葉で語り、少なくとも語っていると信じている。彼は、男性ホルモンも滴り落ちるような漢らしい格好でキメていた。マッチョなハンターや、話のでかい闘牛士、汚い言葉遣いの毛皮猟師、ワイン浸りのクレー射撃手を彼は演じ、それは上出来だった。

まるでテキサスのバーで、まずはビールを10杯飲んでからカウンターに肘をつくように、彼はますますエスカレートして、違法な外国人を強制退去させるとか、押し寄せるメキシコ人を防ぐために壁を作るとか、その費用はメキシコ側に払わせるとか、企業にはアメリカ国内で生産させるとか、保護貿易主義を他の手段によって継続される戦争にする(?)とか、世界の諸外国にとっての脅威となるとか、はったりの地勢戦略を発表するとか、ムスリムはどいつもテロリストだという口実を付けて、全てのムスリムアメリカ領土内に入ることを禁じるとかして、それは上手くいった。

オバマケアを廃止したことが、有権者の目を覚まさねばならなかった。オバマ社会保障の分野で成し遂げた小さな進歩を、自分の首を締めることなく撤廃したいなんて、一体どうすればできるのであろう医療費の高額なコストに個人で立ち向かえるなどということを誰が信じて、ある人物を病気に晒のか。さもなければ、口が達者な連中が衰退したのか、トランプを支持する有権者は「俺は頑強で丈夫で岩石のような体つきで、病気の方から寄ってこれないので、病なんて他人ごとだぜ」と思っている。

ところがトランプとは、架空のもの、ホログラム、仮想現実であって、他の誰かがシナリオに書いた役を演じる連ドラの役者なのである。彼は、矢で穴だらけにしてくるインディアンたちが襲撃してくると登場する、馬に乗ったマッチョの男臭いジョン・ウェインみたいなもので、その矢はといえばペラペラの紙で、インディアンたちは、撮影の前にはスタジオのバーでカウボーイたちと乾杯していて、馬たちは死んだふりをして、監督が「カット!」と叫んだら起き上がってバケツの燕麦をもらうのだ。

トランプは大金持ちで、その生涯にわたって、自らの名前やメディアの名声や財産や起業家の地位を使って女たちをたらしこんできた。いずれも合法的とはほど遠い税と金融の資金繰りで、その生涯にわたって脱税し、彼のために他人が動かすシステムを作り出してくれたその父親の遺産を引き継ぎ、社長の椅子にどっかり収まって満足していた。

交渉相手たちを容赦なく怒鳴りつけたり肉体的に不安定にするために、彼に加担してくれる相手を探しつつ握手するこの男は(?)、メンタリティーが荒削りながさつ者である。彼は、この星のネコたち、この大陸の蛇たち、帝国の狼たちと交渉するよう呼びかけられている。彼は逆境にぶつからなければならないだろう。カリフは甘いことは考えていない、中国はもはやアカでもファシストでもなく、北朝鮮マルクス・レーニン主義でガラス化している。イランからサウジアラビアを経てカタールに到る、若葉のファシズムの国は言うまでもないが、もしくは脱ケマル期にあるトルコからかも...

赤軍のタンクやミサイルを、コンピューターのキーボードに換えたプーチンのロシアも、また言うまでもない。サイバー戦争は、ヘルメットをかぶって軍靴を履いた脅威よりも、ずっと効果的である。クラウゼヴィッツは、電気のない時代に、「小さな戦争」と題した小さな講演において、この新たなジャンルの戦争を理論化している。ゲリラ戦とは弱者から強者に対する不均衡な戦いであって、それがカリフの名を戴くテロリストたちによって実践されている。しかしロシアが相手なら、それは強者から強者に対する、さらには強者が弱者に対する戦いにもなる。


「これは1人の大金持ちによる大金持ちたちのための政府になるだろう。そして、その犠牲となるのは国民であろう...」
ずっと以前、1992年9月20日マーストリヒト条約に対する国民投票の頃から、私は「小さな戦争」と題した小さな講演で、不正選挙は、世界の始まりと同じくらいに古い事項だと言っている。トランプを権力に導いた選挙はその証拠である。彼は、プーチンへの共感を表明していた候補者であった。彼の御友人たちから支援を受けるなら、これで十分である。おそらくいつか人は知るであろう、しかしたぶん知らされないであろう。フィヨンは自分自身で、失敗する前に選挙陣営を選び、奇跡的に党の候補者として公認されたが、その頃には、自分がエリゼ宮で指示するという王道の上を推されていることに気づいている。

トランプは、政治家であれば下っ端でも大物でも、誰もが従っている法則を受け入れている。誇大アピールとか選挙とか国家背任とか。私たちが見てきたように、彼はグローバル化でボコボコになった貧困層に向けて語り続けることで歓心を集めた。この極端な誇大アピールは、冬に春を約束するような、世界の悲惨さが終わるとか夜中の0時になれば貧乏生活が消えるぞとか。選挙は上手に嘘をついた者勝ちで行われる。多すぎもせず、(フーリエが当時自らのペテンを暴露するリスクを冒して行ったような、海を広大なレモネードに変えることを提案すること)、少なすぎもせず(落ち込みやすい信者や運動員には夢を与えなければならない)、ちょうど必要なだけ。そして続くは国家への背任だが、他者がサインした条約に人々は縛られ、国庫は空になり、予想以上に遺産はひどいことになり、他者たちは断末魔の借金をしながら国庫を持ち逃げすることは確実である。こういう歴史を、私たちはすでに知っている。

このトランプ西部劇では、その最初の数時間は、自分は騙していないぞ、自分が約束したことを即座に実現するぞ、とカメラに向かって全ての人々に示すことに費やされた。書類のファイルがあって、サインして、カメラのフラッシュ、そうしてオバマが二期にわたって築き上げたものが全て、これ見よがしに解体されることとなった。映像が示しているもの、撮影班の照明のために灼けたページを見れば十分である。このメディアの効果が保証したとおり、トランプには他のものはいらない。

しかるにトランプは、自らが有権者に約束したことを成し遂げるためではなく、資本が彼に委託したことのためにそこにいたのだということを忘れている。その証拠に、彼が政権についてから株式相場は快調である。さらに良いものを求めるのか。イラリー・クリントンならこの分野でもっとうまくやっていたのか?おそらく無理...

トランプには、やりすぎにならない限度というものを説明してやらねばならなくなるであろう。なぜならヴィスコンティの頃から知られていていることだが、「変わらず在り続けるものは、変わらなければならない」のだ。トランプは、彼が彼自身であるからここにいるのではなく、資本が彼を選び望んだからここにいるのである。国民に有利なような支配をしてそこで彼は失敗はしない、と国民に信じさせようとすることで国民を鎮めなければならず、それは大金持ちの大金持ちたちのための政府になるであろう。そしてそのツケを払うのは、国民になるだろう...

金儲けのためにたまたま戦争が必要となるなら、それはありうることだとだれも疑わないであろう。「アメリカ・ファースト」は蝿を叩くためのスローガンだが、「大金持ちのアメリカがファースト」なんだよ、と理解しなければならない。彼は、騙されやすくて入れ墨を入れてる貧困層に気晴らしを与えて、その心を曇らせるが、その煙の雲の向こう側では、アメリカはやっぱりアメリカだというような結果を生む事件を企てている。

今のところ、街の人々や、国民や、映画業界、実業界、情報テクノロジーの人々は、自分の大邸宅で偉そうにしていて、法曹やメディアは、その裏で企てられていることよりもこの煙の雲の方を懸念しており、就任の日には、群衆の数がオバマの時より多いのか少ないのか、何度も数えたりしている。「ポスト・トゥルース」、「代替え事実」、メディアをみれば、トランプとそのチームがデリダを読んでいたのだとほぼ信じることができる。

自らに割り当てられた理性の狡智としての役割に従っている限り、トランプは永らえるだろう。彼がいつの日か、自分を本物のカウボーイだと過信したりするなら、その眉間のオレンジ色の前髪のど真ん中に、本物の弾丸がビシッッと撃たれたりしかねない。
(L'Obs誌 No.2730 2017年3月2日)