未曾有の激しい雨がニツポンの西部で猛威をふるう

未曾有の激しい雨がニツポンの西部で猛威をふるう



避難勧告が届いた時にはすでに遅すぎた。水位があまりに早く家屋の2階にまで及んだため、西日本の多くの集落の住民たちは屋根の上に避難する以外に選択肢がなかった。SNSにメッセージを送信し、通り過ぎる消防署や軍やテレビ局のヘリに白いハンカチを振る他には、彼らにはそこから脱出する手段がほとんどなかった。

ヒロシマ、エヒメ、ヤマグチ、ギフ、オカヤマとキョトを襲った異例の雨によって、7月6日から9日の間で少なくとも100名が死亡した。「私は40年間ここに住んでいますが、こんなことになったのは初めてです」と、ヒロシマのある被災者はテレビ局・んnkに証言する。前代未聞の打撃的な降水は、72時間の間に1mを越え、「こんなことはこの50年間で1回しかありませんでした。雨雲がこの地域の上に非常に長時間停滞し、これがいわば未曾有の大量降雨を引き起こしたのです」と、気象庁のカジワラ・ヤスシは解説する。

テレビで放映された映像、とりわけドローンで撮影されたものは、2011年の東北地方のツナミを思い起こさせる。全てをその猛威のうちに運び去るほど荒れ狂った水流。んhkは、ある川の上に張り出した木造の長い橋が、不意に曲がり始めて流れ出すのを録画していた*。山に囲まれたある小さな村の住民たちは、ヘリコプターが救援に来るまで完全に世界から隔絶されていた。

例外的な気象現象の際に、孤立した地区に埋没している農村地域にその最初の被害が及ぶことは稀ではないが、今回は、町のいくつかの地区が丸ごと浸水した。浸水によって患者も職員も訪問者も苦境に陥ったクラシキのある大病院の画像は、記憶に残っていくであろう。

高齢者は車椅子に乗って軍のボートで避難させられたり、担架でヘリにウインチ収容された方もいる。疑うまでもなく、こんな光景は2011年3月の悲劇以来見られなかったものだ。児童数6名の農村の小学校の2人の児童のように、犠牲者の中には子供たちも名を連ねる。

ヒロシマに近いクマノ市は、ハリウッドのメーク係が使っている天然毛の手作りの化粧筆「クマノ筆」の産地だが、9日にAFPが現地で撮影した画像では、ここも一部が土石流による大きな被害を受けている。


「時間との戦い」
ヒロシマ工業大学のモリワキ・タケオによれば、専門家たちにも想定外で、それはリスクがあまり想定されていなかった場所に地滑りが起こったからである。6日からんhk放送網では、避難命令や死亡・行方不明者の数を常に表示し、悲劇が続いていることを絶えず喚起する2カ所の青いゾーンが、テレビ画面に表示されていた。

首相アベ・シンゾは、被害者たちの救助が急務であり、「時間との戦い」であると言うのだが、これが問題とされる時が必ず来るであろう。つまり、どうしてこのようなひどい惨事になったのか、このような現状となったことをどう説明するのか、避難命令が遅すぎたのか、指示できる人物がなぜいなかったのか、政府当局に対応能力はあったのか。

すでにいくつかのデータが得られている。災害が大規模となったのは、一部は日本の住居の構造によって説明される。家屋は木造で、山の斜面に建てられていることもあり、それゆえ例外的な降雨量になれば必ず起こる地滑りになりかねない。水際にあったり、時には極端に平坦な範囲にある住居も同様である。

さらに、住居が非常に散在していることもまた物事を複雑にする。住民が数十名、数百名しかいない集落は、そこに一本の道路しか通じていないとしても無理はない。もしもこの道路が遮断されれば、人々の集落からの退避や救助は不可能となる。さらに、彼らはしばしば高齢である。人口の高齢化も、救助作業にあたっては重大な障害だからである。80代以上の人たちは、公式情報やさらには明らかに有用でありうる人物の判断も媒介しているSNSの情報を調べることにほとんど慣れていない。

気象庁の発する警報は、避難命令に従って退避するようにと勧告するものであり、しかしながら避難命令にはこれを実行するための強制的な手段はない。このためニツポン政府当局には、気象庁の警報を基準として指示を出すタイミングを計ることが難しい場合が多い。退避するのかしないのか、退避するならばいつなのかといった自らのリスクと危険性を判断するのは、最終的にはそれぞれの市民なのである。


批判される首相
ここ数年のニツポン列島における災害の記録に目を通せば、ここでは雨(とその被害)は、地震(ツナミを伴わない場合)よりも多くの人命を奪っている。ヒロシマは、大規模な地スベリによって2014年に74名の使者を出し、2011年9月には2つの凶暴な台風によって引き起こされた被害のため東部で100名あまりの住人が命を落としている。

もちろん「例外的な状況」であると気象庁の専門家たちはしているが、いつでも極端な現象はあったとして、今のところはこれを気候変動とは関連づけていない。重要なことは、それが繰り返されることを予測することである。

生命が危険に曝されている時に日本人が論争を好まないとしても、それでもアベ・シンゾがこの週末に何をしていたのかよく分からない(peu de visibilité)ことについて、インターネット上ではたくさんの人々が苛立っている。彼は6日から8日にかけて、関係閣僚との3回の会議に参加しているのだが、メディアに対して談話を出すことはなく、これはとても異例なことである。非常災害対策本部が設置されたのは8日の朝だが、7日にはすでに状況は非常に深刻になっていて、この時点での公式なまとめでは死者は30名以上に及んでいた。

さらに、この2日間にネットユーザーたちは、首相は、まさにこのタイミングで、ヨーロッパ旅行(パリも含む)に行こうとしてるんじゃないかと考えていた。「首相はもはや自分が何をやっても主権者から罰せられないと感じているのだと思う」、記録映画製作者のソダ・カズイロは、アベ氏に対しては常に厳しいサイト LITERAの記事をリンクしたコメントをツイートして、この政府のトップが「状況を2日間放置しながら「時間との戦い」と大見得」を切った事実を非難した。8日朝、ニツポンのメディアは首相が外遊をキャンセルすることにしたと報じた。
(Le Monde紙 2018年 7月 10日) *正確にはツイッターの個人ユーザー画像