フクシマ : 公開された発電所長の事情聴取

日本政府は、惨劇からちょうど3年半がたった9月11日木曜日に、フクシマ原発事故の主要人物に対する事情聴取の内容を公開した。政府のサイトからアクセスできる、文書化された日本語のリストには、前首相のカン ナオト、前産業相のカイエダ バンリ、当時の官房大臣 エダノ ユキオ、そして2011年3月11日に津波で蹂躙されたフクシマ第一原発で指揮を執っていた故ヨシダ マサオの証言が載っている。ヨシダ氏との面談の報告が、数百ページにわたって詳細に述べられている。

昨年癌で死去したヨシダ氏は、2011年7月から11月にかけて、 6機のうちの3機が炉心融解し複数の爆発を来たした時に、これを再コントロールするために企業がどのような操作を行ったのかについて、長時間にわたる尋問を受けた。

彼は、現地の技術者と東京電力の東京の本部との接点であった。総理官邸も、直接彼に命令を与えていたが、必ずしもいつも適切であるとは思えない介入を増やしてくる原子力保安院は官邸も考慮してはいなかった。

「無茶苦茶や」
「どうして私が直接政府と交渉しなければならなかったのか、本部は何をしていたのか、専門機関は?どれもこれは無茶苦茶なんだと分かりました」、上層部からの脈絡のない命令に応えることが次第に難しく思われた彼は訴えた。時には、自分に命じられることが理解し難く、さらには危険でもある時、どこからが命令違反になるのだろう。もしも展望もなく「東京」が止めろと命じても、彼は同様に原子炉に海水を掛け続け、最悪の状況を避けたように。

原子力施設における長い経験によって、ヨシダ氏の場合にはそのうえすぐに、放射能汚染水が瞬く間に問題になるであろうと理解した。これは現在でも未だに大きな問題であり、解決されていない。

ヨシダ氏は、この危険な事態について東電幹部や政府に伝えることが全くできなかったこと、同様に理由も理解させずに住民を地域から避難させる措置を東電本部に採らせたことを後悔しているといっていた。惨劇から3年半後のちょうどこの日にも、何万人もの人々が自らの住居を取り戻すことなく、多くの人たちはあまり快適ではない仮設住宅にて生活している。
(Le Monde紙 2014年9月11日)