日本の女性たちがアベ政権への反対運動を主導していくとき

横浜市郊外にある舞岡公民館には、そのほとんどが母親で低年齢の子供も連れた20人ほどの若い女性が、横浜弁護士会所属の若き弁護士 オオタ・ケイコ の公演を聴こうと集まり、畳の上に控えていた。教育的な意図による講演であり、「日本ではあまりに何度も憲法は為政者から与えられるものであるとされ、市民の権利や国民の主権の発現とは受け取られていない」と彼女は断言する。これは時事問題であり、アベ内閣は憲法の平和条項を必死に改定しようとしている。

彼女の講演は、この3年の間に日本人女性たちによって始められた斬新な活動の一部であり、政治への疑問について学んだり討議しようとする若い女性たちが、この目的のためにカフェやレストランを借りて集会を行っている。この現象は「憲法カフェ」と名付けられた。これはSNSや女性によって組織された小さな協会や市民運動新日本婦人の会や全日本おばちゃん党、怒れる女子会、自由と民主主義のための学生緊急行動(SEALDs)などの中心にあり、これらの政治的な問題点を意識することによって自覚を促そうとするものである。


デモへの参加
「この自覚を促すための運動は、2011年3月に起きた福島の原子力災害の後に生まれたもので、あの時私のような母親たちは、自分の子供の健康に不安を感じて、政府が押し付けてくる偽情報を少しづつ暴いていきました。」とオオタ・ケイコは説明する。「日本を軍事大国にすることを容認する憲法改定は、母親たちにとってそれ自身が十分にもう一つの心配の原因ですし、だから母親たちはそこに仕組まれていることを知りたいと思うのです。アベ・シンゾウはなぜアメリカ人に盲従するのか、徴兵は義務化されるのだろうかと疑問を持つのです。

「男性と女性では、政治的な意識に大きなズレがあります。夫は企業や経済情勢の中で生きるための囚人となっていますが、妻たちは現在進行している変革の重要性を直感的に感じています。」男どもを目覚めさせるために、オオタ・ケイコは、妻が夫たちを連れてくる日曜の「憲法バー」を始めた。

討論することでは飽きたらず、何人かの女性はデモにも行っている。6月20日に、「女の平和実行委員会」による15000名の「赤を身につけた女性」が、日本の軍事力を拡張させる法案に抗議して国会を取り囲んだ。健康状態への懸念と93歳の高齢にも関わらず、小説家セトウチ・ジャクチョウ尼は激情的なスピーチを行い、「私はもうすぐ死ぬでしょう、しかし、1930年から40年にかけて政府が表現の自由を規制しようとして蔓延したあの空気を彷彿とさせるような現状に対して、警戒を呼びかけることなく死にたくはないのです。」と宣言した。

1947年の日本国憲法によって、女性の選挙権・被選挙権が認められた。しかし、国会の女性議員は少なく、2013年の列国議会同盟によれば、国政議会における女性議員数としては、日本は142カ国中124位であった。その反面で、その基盤の部分で女性は民主主義の活力であり、1960年から1970年代には大きな社会闘争にも参加している。一度は家庭の世界に引っ込んだが、子供たちの未来を圧迫しかねないと感じる危機感に駆り立てられ、多くが政治の場に戻ってくるかもしれない。

日本人女性が担う政治的な役割については、大新聞はスルーしているものの女性週刊誌では考慮されており、数ヶ月前からこの現象に関する記事が増えている。ずっと長いあいだ内親王方の生活や三面記事、お料理や健康コーナーばかりだったが、編集部は自分たちの読者が、政治を掘り下げた記事を求めているとことに気づいた。2014年にはまずモード誌Veryが、憲法改定と議会にゴリ押しされていた国家機密保護法に関する記事を掲載した。それからというもの、女性読者たちはこの分野の記事を大歓迎し、売れ行きのいい女性誌では一般的となった。


「アベは中国よりも危険」
「アベ政権と、彼が援用する性差別主義者の物言いに対して、再び多くの女性が立ち上がりました。アベを支持しているのは女性よりも男性です。これは以前には存在しなかった性別の違いによるズレでしょう。」と東京にある上智大学政治学ミウラ・マリは考える。「日本では、女性らしさは優しさ、つまりは非暴力や母性と関連づけられますが、まさにこれらを基盤として、女性たちは政治に参加しているのです。与党自民党は、強い国家を支える良妻賢母として女性を定義し直そうとしているようです。もし女性がもっと意思表示をするようになるなら、そのインパクトは国政において無視できなくなるでしょう。」と彼女は結論する。
(Le Monde紙 2015年7月7日)