日本は平和主義の立場をやめる

社説
おそらくこれは、1945年以後のアジア太平洋地域において最も重要な戦略上の激震の一つとなるであろう。日本が戦争することを自らに容認する。理論上は少なくともそうなる。国内的には自らのアイデンテティの、そして対外的には肯定的なイメージの中心的要素となっていた平和主義のイメージ、そのいずれにおいても近隣諸国に全くひどい記憶を残した、軍国主義国粋主義植民地主義の過去を贖罪するのに有効であった平和主義の伝統を、少しだが日本は手放す。

首相 アベ・シンゾウ(自由民主党)が、こうなるようにそれを望んだのだ。第二次大戦での日本の敗戦直後に、合衆国によって押し付けられた法文である1947年憲法を新規に解釈し直し、それを実行に移した法的措置(?)を、彼は7月16日の衆議院にて採択させた。

世論から糾弾される方針変更
要約すると、これ以降自衛隊(国民軍)は、日本の「同盟国」の支援を目的として、国外でも軍事介入することができる。そこに必要となる条件は一つ、それもこの上なく曖昧なままで「日本国の存続」が脅かされることが必要となる。該当する「同盟国」とは合衆国であり、この地域における集団安全保障の柱の一つとなっている安全保障条約によって、日本と合衆国は結びついている。アメリカ政府は衆議院での今回の採択を歓迎したが、中国政府はこれを(控えめに)非難した。

今後この法案は参議院での採択を待たなければならないが、これに対応する目立った軍事予算の上昇もないため、それは難しい展開とはならない。アベ氏にとって問題は街頭にある。抗議運動、誓願署名、知識人の声明、そして世論調査が単一の同じ考え方を志向している: 日本人の大多数が今回の方針転換を糾弾している。彼らは戦後の平和主義の伝統に愛着を示しており、新たな愛国心の担い手となっているのである。首相が選挙での支持を敢えてわざわざ低下させている理由は何か。

左翼サイドでは、アベ氏の国家主義を心から糾弾している。首相は、国際的な舞台であまりに目立たない国家像から日本は脱するべきであり、日本の経済的比重に相応した役割、世界第3位の生産者なのだから「普通の」国家の役割を果たすべき時だと考えている。左翼は、国家の軍国主義的な過去におけるいくつかの最も不名誉な出来事を改竄しようと考えがちなアベ氏の取り巻きの一部も非難している。

中国政府の台頭
しかし、首相が地域の「情勢」の変化について言及するとき、とりわけそれが東シナ海南シナ海にて隣接国全てと紛争を抱えている、まさに中国の台頭が原因となった変化であれば、首相もまた間違ってはいない。重要なのは紛争そのものではなく、むしろ紛争を処理する中国政府の一方的で乱暴なやり方であり、軍事的な目的のために海軍と空軍によって該当する隣接国を威嚇する示威行動や、領土帰属に異論があり実効支配で承認される岩礁群上の人工島の建設である。(そのうち一ヶ所には砲兵隊まで見つかっている。)

シナ海で常態化した緊張を理解するためには、このカクテルの中に、中国に付随する全ての変動するリスクとともに必ず混ぜ合わせなければならないのは、まさにこのことなのである。この状況下では、17日の衆議院における採択は必ずしも安心をもたらす行為とならないと思う。
(Le Monde紙 2015年7月18日)