アベ・シンゾウのあいまいな日本

社説
作家オオエ・ケンザブロウが、1994年のノーベル文学賞受賞にあたってストックホルムのスピーチにて用いた「あいまいな日本の私」(Gallimard, 1995年)というスピーチには、8月14日にアベ・シンゾウ首相が太平洋戦争終結70年記念に際して行った声明を受けて、アジアや日本でたくさんの人々が考えていることが示されている。確かにそこには、言及されなければ非難されかねない「侵略(agression)」「痛切な反省(remords profonds)」「植民地主義(colonalisme)」などの単語はすべて登場した。しかしこれらの表明の仕方は、良心の呵責というよりは不変の平和主義の体裁からの要求を満たすよう、十分に漠然としている。

「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。... こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。(原文のまま)」とアベは宣言した。以上ここまで。しかし他の部分では、彼は日本の責任を軽減している。たとえば、彼は「戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去(原文のまま)」について触れるが、皇軍のために売春を強制された数万人の「慰安婦」については明らかな言及はなかった。慰安婦については、中国人や韓国人、日本の歴史家たちは「性奴隷」であると考えている。


歴史否定主義の信条
アベ氏が歴史否定主義を信条としていることや、彼の一族に継承されたもの(彼の祖父 キシ・ノブスケは首相になる前に戦犯として逮捕されている)、彼を支持する国家主義的右翼について考慮するなら、彼は戦略的後退を行ったのだ。以下のいくつかの理由のために : 彼の歴史修正主義によって傷つけられた日本人の平和主義の信条を考慮した(世論調査にて彼の支持率が低下したことを見れば分かる)、近隣諸国をこれ以上激怒させないようにした。ワシントンはこういう状況を歓迎しない。この談話について、中国政府は「曖昧な責任回避だ(évasif)」だとしており、一方で韓国政府はこの談話には「不満が残る(laisse à désirer)」と考えているが、抗議の声はあげなかった。

その代わりに、ある一点に関してはアベ氏は明瞭であった:「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません(原文のまま)」。首相と日本の右翼がキメた(? : fixation)今回の謝罪談話は、それがまるで国家の尊厳を傷つけるかのように、問題の核心を隠す(cacher)ことを目標としている。この謝罪は、中国と韓国によって要求されているのだが、いずれも同様にそれぞれの利害に応じて歴史を操作しており、これはこの70年間にわたって日本と近隣諸国が、分割されたもの以外には一致した歴史認識を持つに至らなかったためである。そして、天皇や首相が深い反省の談話を行っても、その後日本の右翼の大物たちによる暴言が続くからであり、政府はそこにきちんとした距離を取ろうとしない。これらの極端な表現は、毎回のように公式謝罪の真摯さに疑問を抱かせることになる。

1970年に西ドイツの首相 ヴィリー・ブラントワルシャワユダヤ人ゲットーの犠牲者の記念碑の前に跪いたことで、彼はドイツの名誉を損ねたか?それ以来、彼の後継者には、今が後悔をやめるべき時だなどと宣言したものは決して誰もいない。だからといって、ドイツのイメージが輝きを失ったか?国家の尊厳は、皇軍が当然非難を受けている暴行のために傷付けられかねず、それを強引に歴史に回復させることは、その記憶を鎮めるにあたっては最良の方法ではない。
(Le Monde紙 2015年8月17日)