原子力: 戻ってきたけど後退してた日本

社説

フクシマの惨劇から4年がたち、その後当時稼働していた48の原子炉を予防的に停止してから、日本は原子力に再び火を灯した。8月11日のセンダイ原発1号炉の再稼働は、他の原子炉の再稼働の先駆けであり、アベ・シンゾウ首相の保守的な政府にとって勝利となるものである。

2012年12月に事実上政権に復帰して以来、アベ氏は日本の原子力の立て直しを主張していた。余儀なき時には法に背くも許される(nécessité fait loi :辞書訳文のまま)、と彼は考える:原子力発電は安く、原油天然ガス・石炭の輸出国への日本の依存を抑えることができる。さらに、原子炉が稼働していれば、彼の野望である日本の原子力操作技術を海外に売り込むこともやりやすくなる。

しかしながら、これは手放しの成功ではない。アベの官庁は、今回の再稼働の正当性を国民に説得することに失敗した。世論調査によれば、フクシマの記憶の痕跡を深く残し、地震のリスクにかつてないほどの懸念を抱いている日本国民は、その大半が原子力に対して敵意を抱いた(hostile)ままである。すべての原子力施設が停止したにも関わらず、日本の電力供給には支障がなかったという事実により、彼らの確信は確固たるものとなった。

その反面で、批評家たちはフクシマの教訓は十分に引き出されていないと考えている。原子力関連産業は、いくら改善されたとしても、特にその安全性に関してはつねに疑問を引き起こす。フクシマの解体には数十年はかからざるを得ないが、日本はそれ以外にも、20年前に建設され経費のかさむロッカショ(北部・青森県)の核廃棄物再処理施設や、増殖炉モンジュ(中部・福井県)をいまだに稼働していない。強い放射能をもった廃棄物をどうするのかについては、それゆえ解決法がないままである。


過去の枠組みから抜け出せない政府
同様に、センダイ原発の再稼働を推し進めた経緯が不透明なままである。日本の経営者の有力な連合会である経団連や、経済産業省原子力輸出促進に責任を持つ部局からの圧力に抑えられ、政府はこの企画を表沙汰にしすぎないようにした。政府は同様に、今回の再稼働の責任が電力会社や地方当局に転嫁されることを期待して、これを全面的に引き受けることを避けるためにあらゆることを行った。

これらはすべて、未来への展望もなく国民の意思からも乖離した、古い体質が顕現したものである。なぜなら、産業面においても同様に、今回の選択はいかがわしいと思われるからである。日本の企業は、特に太陽光発電など再生可能な電力源による電力生産において、最良の技術に精通している。フクシマ後、当時政権を取っていた中道左派政府は、原子力からの脱却を推奨しながら野心的な政策を実施していた。アベ政権は、自分たちの方針からこの政策を外し、しかも世界に大きく広まった活動に対して、その発展にブレーキをかけた。

これらの方針は、日本の環境に対する誓約と関連付けられることになる。パリで行われたCOP21の展望の中で、日本国政府は6月初めに、これから2030年にかけて温室効果ガスの排出を、2013年と比較してたった(seulement) 26%だけ削減するという目標を発表した。最終的なエネルギーの取り合わせとしては、原子力によって日本の電力の20-22%を供給することになり、これはフクシマ以前は28%であった。控えめに判断するなら、今回の誓約によって、結局は政府は常に過去の枠組みから抜け出せず、大胆さに欠けることが、分かりやすく示されており、自ら気取ろうとしている改革派のイメージからはかけ離れている。
(Le Monde紙 2015年8月12日)