日本:「川内原子力発電所は2011年3月のトラウマを呼び覚ます」

都市社会学者 セシル アサヌマ・ブリス

数日前から重大な地震が相次いで揺れ動く熊本では、日本政府が自然の猛威と人為的なものも相手にして、力任せに危うい勝負をしている。
現地から140km離れた川内原子力発電所、これを稼働させたままでいるという選択が、日本人たちの怒りを招いている。というのも、川内原発熊本県の南西にある鹿児島県にあるからである。

2つの原子炉をもつこの原発は、2011年3月の地震とそれに引き続くツナミがフクシマ第一原発の6基の原子炉のうち3基に炉心融解をもたらしてから、2015年8月に日本の領土内で再稼働された唯一の原発である。川内原発は、1984年に建設されたにもかかわらず、東北地方で起きた原発災害を踏まえた安全規格に再適合されている。

今回、日本政府にとっての争点は、これらの新しい基準には現実性があり、最も強い地震にも耐え得ることを示すことであって、これが原発の再稼動政策に再び弾みをつけるのだが、これは国内で強い反対にあっている。


地質学的変化および人的影響のまとめ
熊本県は4日間で410回弱の地震の揺れを受けており、うち主要な地震は4月14日、15日、16日の3回であった。これらの揺れは、リヒター・スケールではマグニチュード6.5から7.3となって強度的に上がっている。これらの前後には、たくさんの余震が起こっている。その地殻圧は、南西方向に1mの地殻変動を引き起こしている。

この地域には、現在の地震の起源となっている別府ー島原 リフトバレー(地溝)に沿った、数えきれない活断層によるスジが入っている。これらのスジは、この国を縦断する中央構造線につながっている。

川内原子力発電所は、これらの活断層地帯に隣接しており、これが2011年3月のトラウマを呼び覚ましている。5年が過ぎても、このトラウマについては、日本人の専門家にも数多の国際的な専門家にも、その環境面と人への物理的な影響をどう克服できるのか分からない。その規模からは、その影響を比較することが難しい。

2011年の地震を受けて地下のマグマが地殻に接近して、複数の火山を、噴火ではないまでも再活動化させている。川内原発は極度に影響を受けやすい場所にあって、多数の火山に囲まれており、そこから50km離れた桜島が2015年8月25日に噴火活動に入った際にも、すでに懸念されていた。この時には全島民に避難勧告が出ている。九州では、1ヶ月前から活動期に入っていた阿蘇山が、4月16日に噴火した。南阿蘇村の8名が今日まで行方不明となっている。

山の斜面の大部分が崩壊し、その途中にあるすべてのもの、道路や橋や建物と、41名の人命(4月17日)を押し流した。19万名以上の人々が、学校や体育館、その他の収容可能な施設に避難した。


かなり強気な挑戦
明らかにリスクがあると思われ、様々な抗議が出ているにもかかわらず、それでも日本政府は川内原発の運転を止めない決定をした。日本の原子力エネルギーへの依存度は、フクシマ以前では54基の原子炉で生産されるエネルギーで28%と常に小さかったが、それはこのような決断をもたらすエネルギー上の要請とはならない。

そういうわけで、地震の最強の揺れから数時間後に、さらには1日に何百回もの余震が続いていながら、環境相マルカワ・タマヨは4月16日に、原子力規制委員会での会議を受け、この原発を停止する必要があるとは考えられないと宣言している。

彼女はこの決断を、今回の地震が引き起こしている揺れが、12.6ガルくらいまでであるという事実によって正当化している。ガルとは測地学や地球物理学で使われる特別な単位で、地球重力加速度もしくは地震に関わる振動加速度を説明するものである。ここで川内原発の原子炉は、仮にマグニチュード8.1を超えるような地震があっても、この原発にとっては脅威にはならないであろう数値以下である80から260ガルの強度の揺れで自動停止するシステムを備えている。

このように、日本で再び原子力を推進したいという政治的執念を生み出している軍事的なモチベーションが、今回の「経験」のうちに、自分たちには誤謬がなく確実であるということの証しを求めている。原子力を支配する力への願望から離れられないこの傲慢さは、しかしながら高い出費となる。そして何度も痛い出費をしている日本は、それを警戒する最初の者になるだろう。私たちには、毎日少しずつこれらのこと、作りだされたいわゆる自由の意義のもとでの核戦争の脅威、実際には過激で危険な自由の剥奪が明らかになっている(??)。
(Le Monde紙 2016年4月19日)