福島の教訓はどれも引き出されていない

Le Monde社説: 2011年のトリプル災害から5周年にあたるこの3月11日金曜日に、日本国は祈りを捧げた。地震津波が日本の東北地方を襲い16,000名の死者と2,500名以上の行方不明者を出し、さらにフクシマ原発の事故のため、移動する160,000人の人達を避難経路にあふれさせ、福島県の公式統計データによれば、2,000人近くの関連死亡者を避難者の中から出し、この地区を永続的に汚染させた。この部位から250kmにかけて、地表が放射性物質の沈降によって汚染された。

しかし5年がたてばまるで何事もなかったかのように、それは1986年4月26日のウクライナチェルノブイリ原子炉の爆発というあの過去の大災害からも30年がたっても、その悲劇から真に引き出された教訓が何もなかったように、日本は新たな原子力の火を推進している。原子力発電所を全力で再稼動しようとしている。司法は再稼動したばかりの関西のタカハマ原発の2つの原子炉を3月9日に止めるために、これを阻止しなければならない。住民グループからの提訴を受けた法廷は、「フクシマの事故の経験から(…)、津波に直面した際の防御手段と避難計画に関して疑問が残る」としている。

原発の解体作業現場がたとえ半世紀近くにわたり、原発の敷地から20km圏の避難地域の無人となった村々に関してたとえ誰も罪を問われていなかったとしても、これは日本の実業界からフクシマの記憶をとっとと清算するように強いられた、保守派の首相アベ・シンゾウの政権の無分別・片意地・頑迷である。

経済的な現実主義と、自分たちの痛手を癒したい国家的にはもう忘れてしまいたいという意欲とがない混ぜになっているのを見ることは簡単である。ここでこの現実は別物である。フランスをはじめ多くの他の国においても、フクシマの惨状からしっかり教訓が引き出されているなどというどころではない。確かに、ドイツやスイスは原子力を断念することを選んだ。しかし世界中の、中国やロシア、インド、アラブ首長国連邦などでは、今日約65基の原子炉が建設中である。その原子炉にはフクシマよりもより安全で危険性が少ない原子力ボイラーでも付いているとでもいうのか?


ヨーロッパでも事故は起こり得る
「予防策がとられていても、原子力事故を決して考慮に入れないわけにはいきません」と、2012年1月当時の原子力安全機関の所長 アンドレ・クロード ラコステは言っている。「想像を超えるものを想像しなければならないのです」と、放射線防御・原子力安全施設の所長 ジャック・ルプサールは付け加える。フクシマの事故をへて、ヨーロッパでは、原子炉の安全基準を強化する「ベルトとストラップ」戦略が採られた。フランスの原発では、重大な事故の場合に、予備電力および冷却水の供給というその存続に不可欠な機能を維持するためには欠かせない、「核心」を装備している最中である。現在の安全機関の所長 ピエール・フランク シュヴは、少なくともこう予告している、フクシマのタイプの事故は、ヨーロッパでもおこりうる。

原子力発電産業が特異であるのは、たとえ大規模な事故が発生する可能性がリスクとしては小さかったとしても、そんなことが起こればその結果は計り知れないということである。各国の政府がエネルギー選択のバランスを取るにあたっては、この単純な理由こそが他の何にも増して重視されなければならない。これまで原子力を最もあてにしていたし、とりたてて他国のいずれよりも核による大激震から守られているわけでもないフランスに関しては、特にそうである。
(Le Monde紙 2016年3月11日)