日本の皇太子がフランス旅行をリヨンから始める理由

日本の皇太子がフランス旅行をリヨンから始める理由

ナルイトは皇太子としての最後の旅行先にフランスを選択した。そしてその最初の訪問地はリヨンである。この街と日出ずる国とを結びつける150年以上にわたる歴史。



フランスが、皇太子の最後の海外旅行となるであろう。2019年春に日本の皇太子ナルイトが戴冠し、「国家と国民の統合の象徴」となれば、もう旅行することも許されない。ナルイトのために日仏国交160周年記念行事に組み込まれたこのフランス滞在は、9月7日のリヨンでの市庁舎での晩餐会から始まる。この未来の天皇は、8日には日本語・日本文化発展協会、次いで織物博物館を訪問し、リヨンの日本人コミュニティの会員と歓談して、内務大臣で前市長のジェラール・コロンなどとともに県庁舎で夕食をとる機会を設ける。

今回の皇太子の旅行は、10日のグルノーブルでの原子力エネルギー庁、ついでブルゴーニュのブドウ農園に続く。皇太子は、その外遊をパリとヴェルサイユにて締めくくり、そこではエマヌエル・マクロンが彼をもてなす。


絹繊維産業
この旅行がリヨンから始まることは偶然によるものではない。彼は日本とリヨンとを結びつける150年以上にわたる歴史を思い出す。1850年代、リヨンの絹繊維産業の経済は、この地域の養蚕を壊滅させた疫病によって荒廃しており、その活路をヨコアマに見出した。リヨンの絹織物業者は、ヨコアマに繭を探しに行ったが、疫病に抵抗性のある新種の蚕も見つけに行ったのでもある。リヨンの人々は、この日出ずる国に紡績工場を作り、1860年にリヨンはヨーロッパで最初の日本領事を迎え入れる。

日本との関係は緩むことがなかった。基礎研究施設であるリヨン大学と東大、東北大の間では、Nedo(新エネルギー産業技能総合開発機構機構)がリーダーシップをとるスマート・コミュニティ プロジェクトの研究対象地域としての役割を、2011年からリヨンが果たしている。大都市リヨンには60あまりの企業が進出している。多くの日本人をリヨンに惹きつけ、そこに住みつかせているグルメ関係については言うまでもなく、これはその逆もまた同じである。政治家たちによって緊密に保たれた関係もある。ジェラールコロンはその任期中に定期的に日本に赴いており、ナルイトの父親アキイト天皇を前にして語る機会もあった。
(Le Point誌サイト 2018年9月7日)