Covidに対して、第3の解決策?

Covidに対して、第3の解決策?

L’Ecole normale supérieur経済学部主任教授 Daniel Cohen

 


1月の終わりに大統領は、科学顧問が出した警告に敢えて従わなかった。それでも3月19日には、彼は機能不全となった医療機関に対して、このエヴィデンスに屈しなければならなかった。つまり従来型に対してイギリス変異株が優位となってしまい、これは疫学者たちには避けられないと分かっていたことであった。それでも政府は、首相の決まり文句を繰り返すべく「開かれたロックダウン」、「第三の解決手段」を発表しつつ、最もリスクが大きい方向にこだわり続けた。この戦略の論拠は、1月の終わりに支配的だった戦略のそれと基本的にはかわらない。政府は、フランス国民はもうヒステリー反応になりかけていて、新たなロックダウンの心理的負担はやすやすと受け入れないと分析したのだ。2月にはこの戦略が政治的に働いた。大統領が科学顧問たちを拒絶することで、自らの支持率が上がったのである。しかし、この状況は変わった。平穏だった2月は、3月には現実を否認することとなった。政府は、全速で逆方向に引っ張る2頭の馬を駆るプラトンの御者のようだった。入院患者のカウントを爆発させるイギリス変異株と、贖罪を約束するワクチン接種プログラム、しかしワクチン接種は先の話になる。この状況ならば再ロックダウンとワクチン接種が同時に必要になるのだと単純に認めるのではなく、政府が方向を見失ったかの印象を与えた。何が起こっていたのか。


時を戻そう。最初のロックダウンは大多数のフランス国民によって承認された。この時に参考とされたのは、中国で推進された『ゼロCovid』政策だった。その結果は上々だった。このロックダウン期間が終了する時点で、発症率は急激に低下した。ただし、この成功に必要となった条件は、ロックダウン措置そのものにあったのではなく、ロックダウン解除にあったのである。いかんせん、検査-追跡-隔離戦略は機能しなかった。やる気がある東洋的な儒教信者ではないのだ... 2度目のロックダウンには、この幻滅の跡がみえていた。今回の公衆衛生上の拘束は全然ゆるく、その目的は、フランス国民が「このウイルスとともに生きる」ことを学ぶことを条件として、何よりも出来るだけ順調に経済を回すことであり、それはクリスマス休暇の間はほぼ成功していた。一時的なこの均衡が、年明けのイギリス変異株の登場で崩れてしまった。しかしながら、この危機に続いてもう一つ新たな素晴らしい状況も訪れた。ワクチンの発見である。これが公衆衛生上の展望のみならず政治的な希望的観測ともなって、2度目の弛みを引き起こした。


イギリスやアメリカでは、ワクチンには2020年の危機の悲惨な管理の屈辱を払拭するという予想外の効果があった。サッチャーレーガンの遠い後継者であるポピュリスト政権によって昨年は統治されていたこの2カ国は、いずれもこのパンデミーの現実を容認しようとせず、にわかに自信を回復した。ロックダウンという儒教的な方法論に対して、アングロ・サクソン世界は乱暴ながら有効なシュンペーターモデルによって応酬した。この2つの方法論の間で途方に暮れたフランスは、急にエピナル版画(*絵空事)、すなわち瑣事にこだわって役に立たない官僚主義に戻されたようだった。ワクチンが迅速に接種できない屈辱をカバーするためのロックダウンを拒絶してフランス政府が方向を見失ったのは、この自らのゴーストとの闘いのなかでであった。


ヨーロッパは、中央銀行の活動とその再建案によって今回の危機に対して有能だというイメージを広く与えたが、その後は中国とアメリカの間で身動きが取れなくなり、再びグローバル化陰キャに戻ったような感じも与えた。Covidを食い止めるために学んだ教訓が、この苦渋の現状に止まるのであれば、それは未来にとって重い敗北なのである。もしも今回の公衆衛生上の危機を地球温暖化に対する闘いのリハーサルだと解釈するなら、独裁的でもテクノロジー依存でもない解決策を見つけ出さなければならない。東洋的儒教主義とシュンペーター主義の間に解決策がある、それが見つけ出せればいいのだが。

(L’Obs誌 No 2944-01/04/2021)