ラ・クロワ紙は、グランドシャルトルーズ僧院の修道院長、総会長 ドム・ディスマ・ド・ラッスにインタヴューを行った。これは、仏教、シャルリ・エブド社の襲撃、現代化、そして同会の蒸留場に関する彼の個人的な見解に対する用語集である。
愛
「人がある女性に与えたあらゆる愛を神に与えること。感情の動きは神への愛の中にあるべきです。」
建造物
「ここの建物はどれもとても大きいので、私たちの負担となっています。それでも80名の修道士を想定した建物のため、2年ごとにある修道院総会の受け入れが可能です。しかし、聖堂や回廊、図書館、食堂があるばかりではなく、私たちの特殊な生活を考慮して個室の独居房も備えています。回廊は大きく、生活の音はその中には届きません。そういう風に考案されているのです。ですから、シャルトルーズ系のどの僧院も、どうしても大きくなります。」
1月7日のシャルリ・エブド社襲撃
「それを私たちは「ラ・クロワ紙」で知りました。新しい情報は、すぐに広まります。いつもは週に1回、日曜日14時から15時30分の休息時間の合間に、新たな情報を知らせており、私たちはあらゆることを一緒に知ることになります。これに対して特別な祈祷を行ったかどうかですか。それはそれぞれの修道士次第です。修道士それぞれに、その精神的生活があります。独り在って生活することは大いなる自由を与えますし、私たちの図書館には4万冊の書物があるのです。」
権限
「何にもまして、最悪なことに私は修道士に何も言うことができません。独り在ることはエゴイスティックである哉。私は、一人一人の修道士の霊的な父親ではないのです。しかし修練長(Le père maître)であった経験からは、稀な例外を除いて、問題がある場合には私はそれについて話すことができます。方法を見つけて、その人物の可能性に頼らなければなりません。時には敢えて僧院長が何もしないことや、出来ないことも...」
仏教
「仏教は神について語らず、その手段によって、「自然態」のままで在ることには、より美しいものがありうるのだと提示しているように思われます。根本的な違いはそこにあります。私たちには、共通するものとして山上の垂訓があります。しかし、仏教徒には、いかなる欲望の放棄にあたっても同一の指針が与えられることはありません。」
修道士数とその分布
「1977年に私が修道院に入った頃には、私たちはおよそ500名ほどいました。今日では、バランスを取り戻す段階にあるのですが、269名の修道士がいます。現在では、シャルトルーズ会に所属する修道士の5人に1人はヨーロッパ人ではありません。韓国にある2ヶ所、アルゼンチンの1ヶ所の修道院は拡張しなければならなくなるでしょう。また、イギリスのパークミンスター修道院は、これまでに閉鎖しかけたことが2回あるのですが、現在ではそこに19の国籍からなる25名の修道士がいます。」
信心
「信心は、自ら浄められていくもので、これまでの私たちの歩みの中でしっかりとした位置を占めてきました。しかし、私たちの求道においては、それは日々の祈りと絶え間なき愛です。例えば、若い人たちは聖体を崇拝したがります。自分の部屋でそれに祈っている人たちもいます。しかし、聖体を蔵するもの、それは私たちなのです。私は自分の部屋に聖体が必要とは考えていませんが、それはいずれにせよ主は現前しておられるからです。中心となるべきものは、日々のミサです。ある手段は妨げともなりかねません。聖書、聖餐といった基本的なものを除いて、手段は捨て去ることもできるものでなければなりません。」
蒸留所
「僧院長、代理役と植物室に業務配属された2人の修道士が、シャルトリューズ・リキュールの配合を知っています。この修道院においては、植物についての知識を持つ者がいて、植物を選別しそれを調合しており、それがヴォワロンの専門業者によって製品化されています。その収入によって、私たちは生活をし、修道会の諸施設を援助しています。ここでは、歴史的建造物とされた建物は私たちの所有とはなりません。私たちにはそれを使う権利があるのです。しかし、屋内の修繕は私たちの負担とされていて、先ごろ私たちは配管を修理しましたが、これが3年かかる作業でした。」
夜
「私たちは夜中に起きることを習慣としているのですが、これが理由となってシャルトルーズに加入できない人がいたとしても、それは仕方がないことです。私は、続けて7時間は眠れないのですが。一番難しいのは目を覚まして起きることではなく、まず早い時間に床につくこと、そして朝課が終わってからもう一度眠ることです。しかし、それは必ずしも苦行ではありません。私たちは礼拝を心から大切にしています。なぜならそれは2回の眠りの時間に挟まれ、祈りのために全く捧げられた時間であって、そこには統一性があります。心理学的には、この朝課には日中に組み込まれるミサ以上の影響力があります。」
清貧
「大まかに言えば、私たちには必要なものは何もありません。家族が何か必要なものがあるかと私たちに尋ねる時、私たちは何を答えればいいのかわからないのです。私たちにとって、清貧は第一にあげるべきものではありません。私たちはフランシスコ会員ではありませんし。私たちの規約の第28節では「賞賛されることは裕福さから奪われることではなく、裕福さを諦めることである。」そして第29節では、「僧院の生計のために、我々の創始者たちは臨時に得られる寄付には頼らず、それが神の御心にかなう限り、安定した年収を得ることを決断した。」安定しない財源に応じて一定の負担を負うことは望ましくないと彼らは考えました。私たちには、その負担を負うことも、また支払うことも、大きなリスクなくそれを免れることもできません。さらには、寄付を求めて世間を駆け回るなんて、彼らにはおぞましかったのでしょう。」
独居房への隠遁
「共同生活には無視できない部分があるため、私たちは隠遁者ではありません。共同生活と独居生活との均衡を、かつても、そしてこれからもずっと安定した方法で保つように留意しています。私たちの僧院生活が厳格であることは事実です。それを受け入れることは必ずしも容易ではありません。我々は、他には誰もいないこの場所から出ることがありません。例えば、親が亡くなっても私たちはここから出ないのです。例外とされる事例はありません。1年に2日間、私たちは家族を宿泊所に招きます。しかし、それは1週間前に別れたかのようです。私たちは、このようなペースを採用しています。ある家族は、20人単位、30人単位のグループでやってきたりします。しかし、来訪者と昼食を共にすることはありません。最初のうちは、こうやって2日間にわたってしゃべることがほとんど骨の折れることです。たとえそれが最初の数年は困難だとしても、これが新たに始まった関係であって、もはやそれはありがちな形而下の関係ではないのです。」
シャルトルーズ典礼
「公会議以来、ローマとの協議は今も終わっていません。アンブロジウスのミラノ典礼とは異なり、私たちは、リオン典礼とドミニク典礼を取り入れたロマン典礼派に属しています。歴史的には、修道会の典礼の統一を期した聖ブルーノが、12世紀にグルノーブルで行われていたミサの様式から着想を得たものです。トレント公会議では、私たちに2世紀以上の歴史があったことが考慮され、私たちの存続を認めました。本質的には節制をその基盤として、特に沈黙のうちに行われる聖体祭儀を行う私たちの12世紀の典礼は、実際にはピオ5世よりもパウロ6世の典礼に近いのです。修道会としては、聖書の頌読はラテン語もしくは現地の言葉で行われているとのことです。」
人選
「ここでは、毎年40から50通の申込書を受け取ります。その中から、およそ10名の黙想参加者を受け入れています。その方が高齢でも、隠遁が目的であっても。熱意は本物かもしれませんが、それは独りで在るためには十分ではありません。隠棲者の2名に1名が、この仮入居期間が終わるところまで行きません。なぜなら私たちは、最初から彼らを、ここであるべき状況である独居房に置くからです。一番早くて滞在したのが10分だけという方もいて、彼はこの簡素な独居房で生涯を費やすという考えにたじろいだのです。ある神学校の校長は、1日が終わったら去って行きました。最初の1週間は、まるで偵察しているようなことになります。すると次に、2週間目も全く同じようなものだと判明し、「自分はこうやって人生を過ごしていくのか」という疑問が頭をよぎります。入門者として恩寵が訪れる人たちもいます。その人たちは、初年度は有頂天になります。しかし、それを続けていくには、たいがい少なくとも1回は、嵐というか破綻することになります。それを乗り越えられれば、それは確固とした選択となります。私たちの多くのものが、何らかの経歴を経てからこの場所に至ります。あるものはトラピスト会修道士であり、またあるものはカルメル会、 もしくは在俗の司祭など。私は滅多に「あなたはダメだ」とは言いませんでした。時にはある人物を引きとめようとはいたしましたが、しかしその人たちはここに留まることを良しとしなかったのです。2年間が終われば仮の修道宣言がなされ、次にもう5年間で盛式請願がなされます。私たちの門を叩く人たちは全く様々です。私たちに何か特別な欲求があるわけではなく、知的な欲求や古典への欲求などがあるわけではないのです。しかし、世間の困難な問題に対する避難所とはなり得ません。私たちの歩みの中では、独り在る中に主との親密さを求めることが、その核心となっています。」
独り在ること
「修道僧は自らの選択によって独居房の中に置かれます。ベネディクト会やシトー会のように、共同生活がとても重視され、他者の眼差しによって一人一人が支えられるような生活とは異なり、私たちの生活は共住修道僧のものではありません。独居房にある私たちは、独りです。しかしながら、それでも私たちは、独居房で晩課があれば、何人が起きているのかを知っています。一般的に、誰かが礼拝に出ていなければ、私たちは彼を探すことになるでしょう。福音書は言います、イエスは寂しいところに退いて祈ったと。私たちの生活は、主が砂漠にあった40日間と、その公生涯が始まる前の短くも重要な期間、この2つの時期をその典拠としています。しかしむしろ私たちの生活は、福音書がほとんど何も伝えず、それでも地上のすべての人々が主のうちに自らを見いだすことができるような、主がナザレで過ごされた30年間のほうに類似していると私は信じます。」
現代化に直面して
「現代化したものを怖がっているわけでもそれに服従しているわけでもありません。インターネットが登場するずっと前から、蒸留所の修道士たちの僧院生活を残しておくために、私たちは遠隔作業のパイオニアだったのですよ。MP3フォーマットのCDプレーヤーが登場する2年前に、新人が独居房で一人で唄う歌を覚えなければならないので私たちはMP3ファイルを使っていました。入所希望のロシア人との連絡のために私が電子メールを使い始めたのは、私の家族の誰よりも早かった。しかし、ここではラジオもテレビも認められたことはありませんし、インターネットの使用も、職務のためにそれが必要な人に限定されていて、彼らについても同様にアクセスは制限されています。携帯電話についても同様です。自分はといえば、携帯は持っていません。だから、怖いわけではないのですが、しかし生活がぎくしゃくしないように思慮深い判断はなされています。」
在るべき生き方
「実際に、私たちの生活は例外的どころではありません。ある意味で、もしくは別の意味でも、私たちの生活を理想化してはいけません。しかし主は、ここで私が出会ったすべての修道士たちを、何か美しいものとなされています。キリストへの愛はすべてを結びつける絆です。さもなければ、人は生涯をここにとどまらないでしょう。時には私たちが栗の実のようにトゲだって見えることも事実です。しかし、それはいつも実を作ります。独り在ることにこだわりすぎてもいけません。孤独の状況で神と交流するために、私たちの生活は作り上げられているのです。これは夫婦の関係と比較することができます。たとえ私たちの豊かさが看て取れなかったとしても。しかし、いつの間にか偏ってしまいかねないことには気を配らなければなりません。それが、自分自身の中に神を作り上げるということなのです。」
編集 フレデリック・ムニエ
(La Croix紙 2015年7月8日)