移住させられた人々がその生まれた国へ戻ることは基本的な人権である

「移住させられた人々がその生まれた国へ戻ることは基本的な人権である」 J.M.C. ル・クレジオ


論壇 「移住した国民たち」というこの表現は、戦争のため、もしくはある国家の専制のために、自らの土地を離れ亡命生活を送る人々の状態を記述するには生ぬるいと思われうる。

第二次世界大戦においてナチズムや共産主義の圧制者たちが、戦略的もしくは経済的な理由から国民の土地を処分すべくそこから退去させた際に、実際にこのような例が生じた。世界人権宣言(1948年)が、侵すべからざるものとして国民が自分達の土地にいる権利を収載した理由である。

この理想は敬意を受けることなく、暴力によって自らの国土を追われた住民たちの数は、近東や、アフリカ、アジア、アメリカ(ラテンアメリカアングロサクソン系)で、憂慮すべき状況で増加した。

特筆すべきはアメリカの原住民たちで、避難場所を見つけるために、不安定かつ治安のない条件でその土地を離れざるを得なかった。パナマのエンベラ・インディアンがその典型であり、彼らは麻薬密輸組織からの圧力を受け、伝統的な河川沿岸の居住環境を放棄してパナマ・シティやコロンビアのボゴタ近郊の都市に再結集し、スラム階層となった。


終身刑の如く
より近年では、かなりの人数に及ぶ集団が、迫害と強奪から逃れるために、遠く離れたコスタリカ国境で、それまで生きてきた環境とは全く異なる適応が難しい地域に移り住み、先住民の敵意の標的となった。

困窮と戦闘を避けつつ、ヨーロッパの周辺の、難民キャンプの、テントの下で、上下水道のような生活必需品も入手できずに生きることを余儀なくされている人々もいる。

祖国を追われた国民にとって、難民キャンプは唯一の道であって、こうした過渡的な状況は、ヨルダンやリビアにあるパレスチナ難民キャンプのケースのように、年月が経つにつれ終身刑に変わる。

最も驚くべき事例の一つとして、アメリカ軍の軍事介入基地の建設のためにその土地から追われた、インド洋のチャゴス珊瑚礁(イギリス領)の住民が知られている。

この強制退去は、モーリシャスの1000マイル北東にある重要なチャゴス珊瑚礁も含めてBIOT(British Indian Ocean Territoriale)と称されものを作るために、モーリシャスの植民地領の一部を分離するという、1956年のイギリスの決断が元になっている。

そこからチャゴス領は、アメリカが海・空軍基地を設置するために提供された。これは戦略的重要性からの判断だったが(当時はまだ冷戦時代)、営利的な操作でもあった。その見返りとしてイギリス政府は、(貸借料の他にも)大事な対ミサイル迎撃ミサイル ポラリスを1セットと、アメリカからの政治的支援を得た。

唯一の難点は、何世紀か前からチャゴスに住み着いていた、漁業とヤシ油の生産を主な収入源としていたチャゴスの原住民の存在であった。


艦船、爆撃機、ファースト・フード...
アメリカ政府は、それと引換えに、この珊瑚礁の島々はすべての国民に解放されていると強調する。1948年の世界人権宣言において明言された最も基本的な権利を否定され、住民は1966年から1972年にかけて、この島々にもはや一人の居住者もいなくなるまでモーリシャスに向けて強制移送された。

この強制移送に引き続いて、極秘とされた計画が遂行され、健康上の理由で島を離れていた人々が自分の島を再訪することを拒否することによって、さらに乱暴にどんどん進められた。

同じ年にアメリカ軍はディエゴ・ガルシア島に駐屯し、そこに軍事基地を建設することとなった。そこには戦艦を収容する軍港、爆撃機用の滑走路、そして兵士の憂さを晴らすファースト・フードもある。また、より重要なのは、モーリシャスとインド洋沿岸のたいがいの国々が「非核化した」と宣言するこの領域の中で、この地域には核弾頭を搭載した艦船が定期的に来ている。

それから40年たったが、移送されたチャゴスの人々の置かれた状況には改善がない。彼らはイギリスの法廷に提訴し、ヨーロッパ人権裁判所に訴えてもいるが、自分たちの生まれた島に戻るという権利は認められていない。

いずれのアメリカの歴代政府も、チャゴスの人々の成り行きには無関心な態度を示しており、彼らはモーリシャスで悲惨な状況を余儀なくされている。アメリカ上院アメリカ政府に、ディエゴ・ガルシア基地の建設を可能とした嘘、このサンゴの島には住民などおらず、季節になるとやってくる漁民が住むだけだとイギリス政府がアメリカに請け合ったという事実を引き合いに出すべく、虚構の国家を作るよう何度も呼びかけた。

現在チャゴスの代表者たちは、彼らの事例を国連に持ち込むことを決めている。6月25日に、モーリシャス政府の代表を引き連れたチャゴスの人々の代表団は、全アフリカ連合からの支持を得て、人々の主張を述べている。彼らは国連で多くの採択を得ることができ、彼らの正しさが示された。

しかしもっともではあるが、決定的となるアメリカとイギリスの票はなかった。しかし、チャゴスモーリシャスの人々はかなり期待していたにもかかわらず、人権の生地であるフランスの票もなかった。あるアメリカ代表は、幾分軽蔑しながら、国連の採択の結果がどのようなものであっても、ディエゴ・ガルシアの基地は「これから少なくとも20年間は」チャゴスにあるだろうとコメントしている。

チャゴスの主権の問題においては、それが重要であったとしても、チャゴスの人々は置き去りとなっており、彼らは自分たちの受けた損害が認知され、もともと自分たちのものであった土地で自由に生活する権利を要求している。

40年前から故郷を奪われ、その祖国から離れて亡命した人間の要求はこれである。6月にモーリシャスのローズ・ヒル市役所で行われた会議では、チャゴスの人々の代表団が出席し、一人一人が順番に、自分がまだ子供で、彼らを遠く亡命へと運び去った船に乗らざるを得なかった時の悲惨な出来事の前の時代の思い出を思い起こしていた。

その場にはたくさんの高齢の人々がいたが、その語る声は掠れ、途切れ、そしてそれは上機嫌に戻る。疑うまでもなく、移住者にその苦痛を乗り越え、生き延びることを可能にしたのはこのユーモアなのである。

多くの生まれながらのチャゴスの人々が、セガの歌手シャルレシア・アレクシスのように、生まれ故郷に戻るという夢を実現することなく亡くなっている。彼女は音楽によってその伝統を保ち続け、またこの裁判で活動していたフェルナンド・マンダリンは、最近亡くなっている。


消耗政策
フェルナンド・マンダリンは、亡命者たちの代弁者の一人であった。1966年に最初に移送された一人で、帰る見込みのない旅だった。彼は、イギリス政府の「仕組まれた犯罪」という言葉を使っていた。まだ子供のころにモーリシャスに来て、家族の元に戻る許可も得られず、亡命者として農場や港湾労働者のような苦しい生活を経験した。いつの日か祖国を取り戻したいという願いを彼は諦めたことがない。そこには母方の御先祖全員の墓がある。

エマヌエル・リションとの共著として2014年にモーリシャスにて刊行された「チャゴスへの帰還」において、彼は強制移送という惨事が起こる以前のこの島々での生活を詳細に語っている。ヤシ油の開発への反感や、時にはその不当なシステムはあったものの、安全な環境での幸福な生活であった。

こういった人々やその子孫が、再び島々で生活を始める可能性について疑問を示す人々に対して、マンダリンはその確信に反論している。「私たちチャゴスの人々だけが、私たちの島々がどれだけ豊かで、経済的な可能性を秘めているかを知っているのだ... 何世紀にもわたって、私たちは島々の自然と共生し、それに気を配り保護してきた。それに対して、私たちの島々は私たちに恵みをもたらし、私たちを守り、そしてそれ以外には私たちに必要なものは何もなかった... 人々の記憶にある限り、そこでは飢餓などまったく起こらなかった。」

イギリスは、チャゴスモーリシャスから分離した悲劇の主犯だが、この島で生まれたチャゴスの人々が不可抗力的に消えていくこと、それは千名以上いたが今日では400名が残っているだけであり、それを待つような消耗政策を実行しており、そこには正当な権利を持った国民の決断は考慮されていない。



儚い希望
マンダリンは語る、「彼らは、時は流れ去り、移送の生存者たちの死が疑うまでもなくこの問題を永久に片付けてしまうと考えている... しかしこの問題は、さらに、彼らを常に正当なものとする、正当な戦いの炎が絶えることのないよう引き継いでいく子孫たちの権利と意志とともにあるであろう(...)。ある国民とは、一世代で終わるものではなく、それが時の中で形作られるものであれば、時の中で生き続けるのである。」

フェルナンド・マンダリンは、感動的な言葉でその弁論を締めくくる。「私の場合は、スーツケースはいつでも1966年から用意してあり、あとは私が出発するだけである。」

死が彼の帰還の希望を妨げてしまったが、この戦いは、モーリシャスアフリカ連合の指示を受けて国連を前に代弁したオリヴィエ・バンクールとともに、イギリスの法廷でチャゴスの人々の苦悩を伝えた弁護士 ラ・セミヤント夫人とともに、チャゴスの難民団を今日代表しているスゼル・バプティスト嬢とともに、故郷を失った人々に好意的なすべての人々、判決を待つすべての人々とともに、続いている。

モーリシャスによって国連に対して計画された運動は、世界最強の軍事国家によってひどい扱いを受けたこの人々に、儚い希望を与えた。 トランプ新政権は、自分の生地に戻って生活することだけを訴えているこの太平洋の人々の不幸に、これまでの政権以上に好意的であろうか。

もしそうであれば、自分の本来の国から追い出されたすべての人々、そしてまた残酷に流れる時間にも関わらず世界平和という目的を信じ続けるすべての人々にとって、帰還の希望が蘇るであろう。
(Le Monde紙 2017年7月1日)