象徴的な首相の退陣

象徴的な首相の退陣

 

一般大衆が知らないような高級官僚を任命することで、マクロンは「首相府の脱政治化」を進める

 


1回だけならば仕方がないか。エマニュエル・マクロンは先週、前任者であるニコラ・サルコジフランソワ・オランドに助言を求め、この2人に倣った。まずサルコジからは、その前協力者で、2011年から12年まで大統領府の事務次長だったジャン・カステクスを借りた。自らの著書(Répondre à la crise démocratique, 2019年Fayard社)で、首相機能の抑制による真の大統領制の確立を説いたオランドからも、少なくとも彼にとっては、制度に関する推奨を受けたのだ。


それというのもこの推奨の一部が、まさに7月3日に行われた改造が意味することだからであり、つまりこの国の究極の事情通で地方議員の経験があったとしても、一般大衆が知らない、政治家として実績のない高級官僚を任命することで、エマニュエル・マクロンは、首相の機能を首席補佐官、さらにはニコラ・サルコジフランソワ・フィヨンを表現した言葉である単なる「協力者」の身分とするような象徴的な退陣の、少なくともその一部を承認した。「新たな首相の資質をどうこう憶測するのではなく、実は私たちはこの首相という職務をないがしろにしていなかったのでしょうか。憲法第20条(政府が国家の政策を決定し運営する)は内容のない条文になりました」と、オランド政権の前大臣ティエリー・マンドンはツイートした。


エドゥアール・フィリップは、確かに任命される時点ではフランス国民にはあまり知られていなかったが、当選したこの左翼出身の大統領には知られていて、このル・アーブル市長は右翼との闘いの見事な獲物とみられていた。さらにフィリップ氏は、マクロン氏が「en même temps (同時に)」といってきた約束や、「そして右翼から左翼まで」といった政策の実現を可能にしている。元々アラン・ジュペの協力者だった彼は、何よりも気取った(précieuses)LRの一団とともに乗り込んで行って、与党の1つの拠点を組織化することに貢献した。ジャン・カステクスにはそういったものは何もない。


大統領府による首相官邸への「公開買付け(OPA)」

大統領府は、2017年に内閣官房長官の選択をエドゥアール・フィリップに押し付けることに失敗しているが、今回のエマニュエル・マクロンに非常に近いニコラ・レヴェルのジャン・カステクス内閣官房長官への任命は、大統領府による遠隔操縦を受けており、大統領府による首相官邸への公開買付けとの印象をさらに強める。「マクロン首相官邸に名乗りを挙げたんですよ」と、ある元大統領顧問は微笑む。


世論調査を研究する政治学者ジェローム・フルケは、「政治的信頼のないテクノクラート」の任命は「首相官邸の脱政治化」に貢献すると考える。続けて彼は「マクロンは自分の影を薄くする首相などいらないのです。彼は、大統領の意図が実行されるまでの遅延を可能な限り短くするよう、首相官邸を望み得る限り最も高性能な機能的仕組みにするのです。彼はいくつかの報告から、エドゥアール・フィリップはブレーキに足を乗せていたと判断したのです」という。元大統領顧問で、コンサルタント事務所Taddeoの所長となったジュリアン・ヴォールプレは、これは必然的に脱政治化だと考えている。「政界の分散化によって、首相の選択はもはや政治勢力のバランスから生じるのではなく、世論の風潮や国家の精神状態から生じるんですよ」と彼は強調する。


確かに第五共和国の歴史には、外交官のモーリス=クーヴ・ドムルヴィルや植民地管理人ピエール・メスメル、もしくは経済学教授レイモンド・バールといった首相の任命が散見される。「メスメルはポンピドゥの影を薄くし始めたシャバン=デルマスの後任となります。純粋に専門家だったレイモンド・バールでも同じで、彼はジスカール・デスタンの時の野心家ジャック・シラクの跡を継いでいました」と世論の専門家ジェローム・サント=マリーは記憶をたどる。しかし「クーヴ」やメスメル、バールは、首相になる前は大臣職だったのだが、ここがカステクスの場合と異なるところである。


その反面でこの首相は、大統領に引き続いて大統領のおかげで当選する議会与党を主導するという責任を負っており、5年任期の採用と選挙スケジュールの逆転のために首相の弱体化がさらに進んだ。「マクロンは制度的な論理から生じているこの首相の退陣を、今回のカステクスの任命で文書承認するだけです」と、ジャン=ジョレ財団の客員研究員クロエ・モランは分析しいる。「世論は、すべては大統領の手中にあったととらえてました。与党は彼に服従し、もはやコアビタスィオンはなく、首相はもはや実行要員にすぎないのです。」


大統領以上に人望があるこの首相は、もうこれからは滅多なことでは大統領を擁護しない。彼はもはや安全装置ではあり得ないのだ。たいへんな経済的・社会的危機が明らかになっているのに、大統領の方はすでに不人気で、自分に対する批判を敢えてさらにいっそう濃厚なものとしている。「彼はその最上の職務を、安定した均衡と団結、平安を請け負うものであると想定し、これを過剰に露出している」と元社会党議員ジル・サバリは見ている。


だからといって、例えば議会の役割とや権限を強めたり、アメリカ流に阻止手段を設けたりして制度を変えることをせず、この首相の退陣を象徴的に認めてしまうことは、積極的参加型の民主主義を導入していくという約束と矛盾して、第五共和制を「カウンターバランスのない超大統領制」の方に少し移行させてしまうおそれがある、と彼は続ける。これは世論を失望させかねないもので、まさにこれで、この大統領はさらに少し身動きできなくなっている。

(Le Monde紙 2020年7月5ー6日)