ゴンクール賞は『La Plus Secrète Mémoire des hommes』の作者に授与された
レストランChez Drouantにおける奪い合いの世界(たとえ感染予防対策を尊重していても)に戻ってきた。2020年にはリモート会議によって、エルヴェ・ル・テリエが『L’Anomalie (Gallimard社)』で受賞の栄誉に輝いたが、そのあとゴンクール賞は1903年から協力しているパリのこのレストランに戻ってきた。この賞の事務総長フィリップ・クローデルは、11月3日に2021年の受賞作家の名前を発表した。初回投票から『La Plus Secrète Mémoire des hommes (Philippe Rey/Jimsaan社)』によって識られていたモハメド・ブガール・サール(*ゴンクール賞日本委員会の表記、他にモアムド・ムガール・サールなどの表記揺れあり)である。同様に候補に上がっていたのは、Christine Angotの『Le Voyage dans l’Est (Flammarion社)』、Sorj Chalandonの『Enfant de salaud (Grasset社)』、Louis-Philippe Dalembertの『Milwaukee Blues (Sabine Wespieser Editeur社)』である。
数日前から『La Plus Secrète Mémoire des hommes』は本命とされていた。その作者は1990年にセネガルで生まれ、彼はサハラ以南のアフリカ人として「goncourisé (ゴンクール賞を受けた)」最初の作家であり、そして1976年以後で最も若い作家であるが、しかしながらノミネートのなかでも最も有名なわけではなく、それを共同出版した二つの出版社でも、この賞の獲得競争の常連たちでもあまり有名な人物ではなかった。彼の作品も、すごく入手が容易なように店頭に並んではいないあたりで同様だ。しかし、『La Plus Secrète Mémoire des hommes」の驚くべき野心と驚くべき物語のエネルギーは、それが通る道にある全てのものを運び去った。
この作者に「これは何の話?」などと尋ねたりしてはいけない。「この質問は文学における悪を体現している」と、彼の物語の叙述者であるパリに住む若きセネガル人作家Diégane Latyr Fayeは、ユーモアをもって突きつける。彼は1938年に刊行されたT. C. Elimaneという人物の小説『Le Labyrinthe de l’inhumain,d’un certain』の足跡をたどり始めるが、Elimaneはこれを戦前の文学的なパリでもてはやされるものとしている。盗作の告発がこの書籍の破棄やElimaneの失踪に至るまでだが。その末裔は、マリ共和国の作家Yambo Ouologuem (1940-2017)から多くの表現法を借りており、この小説は彼に捧げられている。Ouloguemは、その最初の小説Le Devoir de violence (1968年Seuil社)がルノドー賞を受賞すると、同じように攻撃や恐ろしい不評を受けた。
『La Plus Secrète Mémoire des hommes』には、Fayeの探求の流れに沿っていく形でいくつかの物語が挿入され、そこにこの語り手がしばしば別の物語を仕込み、ヒトは、(パリからセネガル、アムステルダムからブエノスアイレスへと移動しつつ)大陸の間、時代の間、私的な日記、新聞の抜粋、対談、幻想が混じった物語、ビルドゥングス・ロマンといった文学ジャンルの間を移動する。Elimaneの登場人物は常に逃れ去る。そしてDiégane Latyr Fayeは謎の作家Siga D.によって支えられ、『Le Labyrinthe de l’inhumain』を彼に手渡したこの人物は、文学、その力とその苦境について瞑想し続ける。「文学。結局それは文学であり続けて来たし、あり続けるしかない。応答としての、問題として、信仰として、傲慢として、生としての不適切な文学である。」
真顔で冗談を言いがち
『La Plus Secrète Mémoire des hommes』は、チリ人のRoberto Bolano (1953-2003)の庇護のもとで書かれており、モアムド・ムガール・サールにとってこの作品には長い執筆期間と異なる3つの異本が必要だった。そこで彼は、ニュース報道から汲み出されたテーマによる3つの小説を提示する。『Terre ceinte (2015年Présence africaine社) 』におけるジハディズム、『Silence du chœur (2017年Présence africaine社)』における移民問題、『Afrique dans De purs hommes (2018年Philippe Rey/Jimsaan社)』における同性愛差別、とても知的で複雑なテキストである。しかし、それが1930年代からのフランスにおける植民地主義の風潮、もしくは現代のダカールにおける反乱を想起させることは、また官能性で震えており間違いなく政治的である。
そして、何も損なわないために(?: pour ne rien gâcher)、しばしば滑稽で、よく真顔で冗談を言う性格であることが明らかとなる。とりわけ彼がパリに生きる作家(志望者)のサークルや、彼らの多くが育んでいる、この語り手が「フランス文壇の騎士叙任式(彼の立場としては、糞便を塗りたくって嘲弄する(railler et conchier)ことは常に良いことであるという)」と呼ぶ夢を描写するときには。「それは我々の恥ではあるが、我々が憧れる栄光でもある。それは我々の隷属であり、我々の象徴的な出世に毒を盛る幻想である」。モアムド・ムガール・サールが、自分がフランスの文学賞で最も渇望されるものの受賞者であると聞いた時、この虚勢を張った数行について彼が再考したことはあり得ない。
(Le Monde紙2021年11月5日) (*未入手のため未読です。)