翻訳は綱渡りの業

翻訳は綱渡りの業

 

日本語翻訳者で作家のコリーヌ・アトランは、三島をあらためて翻訳しなおすことが必要だという。この問題に関する複数の作品と新たな翻訳が刊行されるにあたって、彼女はある言語から別の言語への「渡し屋」という仕事の特殊性も挙げる。

 

 20年ほどアジアで暮らしてきた翻訳家コリーヌ・アトランには、60以上の日本語からの翻訳作品の業績がある。この偉大な渡し屋は、小説家でエッセイストでもあり、2018年には京都の秋(アルバン・ミシェル出版)を出していて、現在は9月にfolio社から刊行予定の「ぼーっとすることの賛美」を執筆中であるが、「Le Monde des livres紙」のために三島由紀夫仮面の告白の新訳版について解説し、彼女にとって翻訳という仕事はこういった種類の綱渡りに相当するのだと語る。

 

三島を翻訳しなおすことは必要だったのですか。

三島のような重要な作家は、原語から完全に翻訳されなければなりません。1972年(ルネ・ヴィロトーによって仮面の告白の最初の翻訳がなされている)には、私たちは英語による迂回を避けることができませんでした。この禁則が失効した今日では、禁止されていたものをこの言語から全て翻訳しなければならないわけです。

 

それはどのような禁則だったのか話していただけますか。

三島本人が英語から翻訳されることを求めたのです。彼は英語を話したし、アメリカ人の彼の翻訳家たちともとても親しく、彼らに全幅の信頼を置いていました。彼の死後、遺された夫人は、例えば、金閣寺、近代能楽集、肉体の学校[ガリマール出版 1961年、1984年、1993年]のような、いくつかの例外を除いた彼の主要な作品の大部分に対して、彼の希望を尊重しました。今日では夫人も亡くなり、その著作権継承者たちばこの禁則を無視することを許可しているのです。

 

どうしてこの最初の小説から始めるのですか。

私には翻訳者ドミニク・パルメ女史の欲望が分かります。私が18歳の時に、24歳の男性が真摯さと信じ難い透明性をもって書いたこの私小説を見つけて受けたのと同じショックに、彼女も打ちのめされたのだと思います。三島は、自分を「切り刻み」たかった、「可能な限りの科学的な正確さをもって」と言っています。神輿の場面、兵士たちの汗の匂いの記憶、彼が騎士だと思っていたジャンヌダルクの性別の混乱...(*)、これらのシーンはいずれも、私の想像の領域では古典的な傑作の場面として刻み込まれているのです。それはとても個人的でもあり、このような文章を1949年の日本で書くにはどのような勇気が必要だったか、同時にまたはっきりと普遍的でもあ作品なのです。

 

これまでの翻訳は時代遅れなのでしょうか。

私が驚くべきだと思ったのは、第三の言語を介しているにもかかわらず、そのテキストが力を保っていたことです。このような条件でも、傑作はずっと壮麗でありうるという証拠です。そもそも悪い翻訳などということはできません。格調のある言語は、世界的に三島の言葉ときちんとうまく合うのです。単純に、そこには不正確、翻訳もれ、誤訳があるのです。

 

この新しい翻訳は、フランスの読者に何をもたらすのでしょう。

心理的描写における正確さです。これまでの翻訳ヴァージョンでは全く気付かれてこなかったフランス文学への言及で、三島はこれの卓越した目利きでした。さらに一般的には、私は次のウォルター・ベンジャミンの語句を思い浮かべるのですが、彼は、良い翻訳には、それ自身のうちにそこにはない言語へのノスタルジーがあるものだと言っています。だとすれば、それは良い翻訳ではまさにその通りで、それは原作の「声」を再現することに専念するのです。私は、会話の流れとともに行き交う、三島の非常に入念な文体を認めます。ドミニク・パルメは、この文体の差異を全て温存しており、彼女の翻訳は素晴らしい。それは残るでしょう。

 

三島の翻訳は、ほかの日本人作家よりも難しいのですか。

偉大な美しさがあって、少し気取っていて、外科剪刀のように正確で、詩的な比喩が散りばめられた彼の文体は、とても水準の高い文学的フランス語を要求します。複雑な表意文字への対応語を見つけ出し、いくつかの効果を表現できるように時にはそれをずらす必要があります。それはたしかに、「困難な」というよりも険しく難しい仕事ですが、それは大きな喜びであるにちがいないと言いたい。こんなに豊穣な日本語の文章を翻訳する機会は滅多にありません。私はしばしば、文学面である文章が完成するほど、それは翻訳が「難しい」のだと逆説的に指摘しています。

 

つまり?

その文体が完全である時、翻訳というこの新しい服のシワは完璧に落ちるのです。書き直しという作業が常にあるのは明らかで(とりわけこれほどかけ離れた二つの言語の間では)、しかし、その始まりが月並み以下に書かれた文章ほど手こずるものはないのです。ここでは、複雑であっても完全な統語法、感嘆せずにはいられない豊穣な語彙(漢字[日本語で使われている中国の表意文字]の良い辞典が必要です)。ほとんどの日本語の文章でそうであるような反復は一切なく、私は彼の作品はフランス文学の影響を受けていたりするのだろうかと自問しています。もちろんですが、それには日本の古典主義もすごく染み込んでいる。もう一人の偉大な日本の作家、川端[1899-1972]は、彼について、つまりこの300年間でただ一人の作家であると語っています。

 

ほかの諸言語と比べて、日本語からの翻訳には特にどのような困難さがあるのですか。

別の言語では、言葉が暗示する文化的な意味が同じではないという事実、「自然」、「神」もしくは同様に「個の人間」という言葉を口にするとき、私たちは二つの言語において正確に同じものを意味してはいません。夢中になるのもこれで、「他者」、あまりかけ離れすぎてもおらず類似しすぎてもいない他者の特異性をしっかりと保ちながら、文化の違いを乗り越えていく義務がある。翻訳とは綱渡りの技術なのです。両極端の間に張られた綱の上を進んでいかなければならない、バランスを取るためには視線は遠くを見通さなければならない...

 

そこから何を言いたいのでしょう。

この見通しとは、その書物の最終的な目的地であって、翻訳者はこの見通しを持ち続けなければならないということです。作者の意図を見抜くことが肝要だと私は考えます。作品には常にその背後にある意図があります。そしておもしろいことに、この意図もある種の翻訳の管轄にあるのです。私は、失われし時でのプルーストの次の語句を忘れることはありません。「偉大な作家ならば、本質的な書物、唯一の真の書物を思いつかなくてもいい、なぜならそれはすでに私たち一人一人の内にあるからで、それは翻訳しなければならないのだ。作家の職務や仕事とは翻訳者のそれなのである。」

(Le Monde des livres紙   2019年6月28日)         (* とはいえ、どれも第1章の内容)