襲撃後、安全保障にはいかなる対価も払うべきか?

国家を喪に服させ、トラウマを与えた恐ろしい襲撃から3日がたち、共和国大統領は、テロリスト聖戦主義がフランスに与える恐怖に対抗しうるものとならなければならない。11月16日にヴェルサイユにて行われた両院議会にて、明らかに彼はそうなっていた。今回の「戦争行為」に対する反撃においては、いかなる躊躇も彼には許されていない。それゆえ、彼はまさに冷徹で決然とした「非情な」決断をもって「私たちの同郷者に対する防衛業務に全ての力を注ぎ」そして「テロリズムを撲滅」することに身を投じる。議会と協調し、立ち上がり、盛大にラマルセイエーズを先唱しながら。

国内における戦線に関しては、フランソワ・オランドが発表した諸措置は空前のものであった。今週に入り、緊急状態の3ヶ月間の延長が議会に要求された。司法および治安維持部隊による手段が充足され、警察に5000人、刑務行政に2500人、国境保安業務に1000人の追加採用が発表され、軍で予定されていた人員抑制は中止された。

そのうえ、テロリズム行為で有罪判決を受けた二重国籍者からのフランス国籍の剥奪、テロリズムのリスクが想定された二重国籍者の、厳密な管理措置下に置かれる場合を除いたフランス再入国の禁止といった、一連の未曾有の措置が加わる。最後に、国家が「危機的状態を管理」し、ジハディズムに相当するこの「新しいタイプの戦争」に対処するために、憲法の変更をしようとしている。

たとえ彼が共和国の価値観と自由への敬意を繰り返し援用し、「国家の安全」と「暴虐・圧政への抵抗」を人権の最前線に位置付ける、1789年の人権宣言の庇護のもとに彼が置かれているとしても、これはフランソワ・オランドによる安全保障の力強い転換である。右翼やさらに極右からの提案さえ取り入れることにも躊躇することなく、状況によっては苛立つ(de?)左翼に気をとられることもなく。彼の目には、余儀なき時には法に背くことも許され、精神的な揺るぎなさがあれば政治的手管を否定しない。

緊急状態
国外における戦線に関して、共和国大統領は同様に、パリ襲撃の資金供与を行ったものとされる「イスラム国」に対して、イラクとシリアにおける空爆を、継続し増強する意志を確認した。しかし、この問題に対する態度を真剣に変えることを、彼は躊躇っていなかった。彼は3年前から、シリアにおける紛争の解決には、全面的な交換条件を提示していた。彼の目からみて自国の250,000人以上の市民の殺戮を問われるべき、バッシャール・アル・アサドの退任である。

それでも彼は、シリア政権の主要な支持者であるウラジミル・プーチンのロシアと、協働することを受け入れた。ロシアは、誰もが思いつく今回の危機の配役として浮上しており、数週間前に「イスラム国」に対抗する「独自の」同盟を作っていた。それでもフランソワ・オランドは、その孤立を解消するため、多数のフランス人の指導者、特に右翼の指導者たちが強く薦めたとおり、この方針を受け入れた。

繰り返し説得し続けること。それは説得力と展望の明晰さがあるように思わせる。フランソワ・オランドは、発表した全ての措置は、近いうちもしくはなるべく早く投入されなければならないとはっきりと語った。もちろん確かにそうだ。しかし、誰もが分かりきっているように、議会で必要となる手続き、採用の遅れ、そして通知を受けた人物の育成の遅れの理由によって、これには時間がかかる。

展望の明晰さに関しては、最小限言えることは、公表された憲法改定は、現段階では確実に行われるには程遠いということである。緊急状態を行政府の常設の防衛手段とすることは、根底にある自由を白紙に戻すことになりかねない(?)。ところが、根底にある自由は、安全保障と同じ資格を持って、人権の最も重要なものとして存在している。安全保障は必要に応じて出現した要請であり、いかなる対価もありえない。
(Le Monde紙 2015年11月17日)