日銀は停滞した経済に対してイチかバチかの賭けに出る

即座に影響が現れた。日本銀行(日銀)は、1月29日に不意をついて-0.1%のマイナス金利を採用した。日本の市場は直ちに力強く反発した。日経株価は、2.8%上昇の17,518円30銭にて取り引きを終了し、一方でドルは1.5円以上の増大となる120円周辺で取り引きされた。

中央銀行は、クロダ・ハルヒコ総裁が2013年の就任時に約束した2%のインフレ目標をなるべく早く実現するという意図を持ち出すことで、この判断を正当化した。 ところが日銀は、2016年4月の年度始めの物価上昇指数を、これまでに予想された+1.4%ではなく+0.8%に見通しを修正している。

この通貨発券機関は、その理由として同様に原油価格の下降と、中国を含む昨今の経済的困難を挙げている。これらの問題が日本企業の信頼にもたらしかねないインパクトを懸念し、日本列島に常にはびこる「デフレ政策論者の精神状態を一掃する」ためならば、「マイナス金利は、今後必要な場合には、いつでもさらに引き下げる」用意があるとクロダ氏は言っている。日銀は、年間80兆円の資金供給量(本質的には公債買い入れ)となる大規模な買い支えプログラムも更新した。

インフレを再び助長する

新たな-0.1%の金利は、日銀における金融機関からの預金に2月1日から適用されることになる。 現在の備蓄には0.1%が適用される。数日前にはクロダ氏は、日本の議会で「マイナス金利のオプションについては、真面目なところ考慮していない」と明言していただけに、今回の発表は市場を驚かせた。

日銀は、2014年6月の欧州中央銀行に次いで2番目にマイナス金利を選択した大規模中央銀行である。その目的は、多額の流動資産を処分する金融機関に、それを施設の金庫で眠らせるよりもむしろ実体経済の中に投資することを促すことにある。この措置は、日本国内における投資の魅力を削ぎ、そしてそれゆえに海外投資家による円買いが鈍ることも狙いとしている。これがうまくいくならば、これは他の通貨に対して日本円を引き下げるための理由である。(?) そしてそれゆえに、輸入製品の価格を上げ、再びインフレを助長するのである。

このような措置は、デンマークやスイスでも採用されたものであるのだが、それにもかかわらず経済学者たちは、その有効性を疑問視している。同様な立場としては、アメリ連邦準備制度は、金融市場に二次的な影響を及ぼす可能性に慎重に配慮し、この措置には訴えないことを良しとしている。

今回の日銀の決断は、賛成5名、反対4名で採択された。日銀政策委員会のメンバー、シライ・サユリは反対票を投じた。彼女は、今回の措置が、これまでに試みられてきた他の措置の失敗を認めるための手続きだと解釈されかねないと考えている。

このマイナス金利が、第3位の世界経済に与えるインパクトがどのようなものになるのか、はっきりと言うことは難しい。クロダ氏はいつも、市況は「穏やかな回復基調」にあると考えている。しかし、新年に入ってからの市場の落ち込み、再びの円高、予想よりも暗かった1月29日の統計データの発表は、これに疑念を呼び起こす。個人消費も同様に、2015年12月には年間で4.4%落ち込んでいる。「経済はうまくいっていない」と第一生命の主席エコノミスト シンケ・ヨシキは考える。「2015年10月−12月期にGDPが落ち込んだ可能性が非常に高い」。

「徳の高いサイクル」を作り出す
1月25日に始まった、伝統的な賃金交渉である春闘において、大規模な企業団体は、2015年に2.5%の賃上げに同意しており、2016年にはさらに懸念しているように思われる。政府は新規の賃上げを申し立てているが、彼らが政府の期待に応えるとは思えない。シンゾウ氏によれば、賃上げだけが経済再建をもたらす「徳の高いサイクル」を作り出すことができる。

経済サイトBarron's Asiaのウイリアム・ペゼックは、1月29日にJapan Timesによって公表された分析の中に、アベ・シンゾウ首相の経済政策であり、過度に通過緩和に依存しすぎた「アベノミックス」が目に入ってしまうのではないかと心配している。ペゼック氏は、アベノミックスの第三の矢である構造改革、これはつまりは「コスト削減を伴って輸出が停滞した状況における利潤の生産」と表現されると判断しており、これが不発だったことによって沈滞した空気なのである。

このどんよりとした空気は、1月29日の経済財政政策担当大臣 アマリ・アキラの辞職と、イシハラ・ノブテルとの交代によりさらに強まった。辞職の動機は、収賄騒ぎにおける彼の関与である。アマリ氏はアベノミックスの創始者であり、2016年度予算を議会で波風なく確実に承認させなければならなかった。しかしまた同様に、環太平洋パートナーシップ、アメリカを含む太平洋の周辺諸国12カ国が加盟する大規模な自由貿易圏の可決も、彼は果たさなければならなかったのだ。
(Le Monde紙 2016年1月29日)