社説: 結局は、そして当然のことながら民主主義では、それを推し進めるものは法の力である。異文化の危険な香りを漂わせる「ブルキニ」案件は、決して法の支配圏内を離れるべきではなかったのだが、各地で何週間にもわたって繰り広げられ、時には危うくヒステリーになりかけた議論を経て、国務院は8月26日にこれを、慎重にかつ法的な理論構成によって、法の支配圏に取り戻した。
自由を行使し、政教分離を実現すべく規定するものは法である。それゆえフランスの最高行政裁判所はこれを規定すべく審理し、そしてまた、フランス革命記念日である7月14日に86名の死者を出したイスラム主義者によるニース襲撃のトラウマがまだ生々しく、テロリズムへの脅威が高まっている現状の中で、宗教的かつイスラム的な服装であるブルキニをフランスの公共海水浴場で着用するという状況に、この規定を適用することに取り組んだ。
ヴィルヌーヴ・ルベ町がこの宗教的な服装の着用禁止令を正当化すべく持ち出した、社会秩序を混乱させるというリスクは、客観的な現状からは確立されないと国務院の判事たちは述べている。今回の異議申し立てを受けたこの禁止令は、それゆえ「移動の自由、信仰の自由、個々人の自由といった基本的な自由を、深刻かつ明らかに違法に侵害している」。その結果として、その施行は中断されている。
馬鹿げた不条理の極み
その夜のうちに町長は、自分の町では似たような禁止措置を続けていくことが必要なのだと明言しているのだが、その手強い反応がどうであっても国務院の裁定には法学的な有効性があり、それは彼らにとっても避けがたい。この決断は、選挙を当て込んだ下心から過度に利用されてきたこの論争に終止符を打つにあたって、その健全なきっかけを与えるものであり、政界がこれを検討するのは望ましいことだ。海外では理解を得られず驚きを招いているブルキニ問題だが、世界中の新聞やSNSがしっかり広めた光景でもある、制服警官が出動し女性たちにブルキニを脱げと命令するような馬鹿げた不条理の極みを招いており、こういう事態は、ブルキニ禁止令の支持者たちが叩きのめしたいと思っているまさにそのイスラム過激派にとっては最高の利益となっているのだ。
これに伴い国務院は、政教分離が基盤としている原理を再び提起している。ブルキニもしくはヴェールの着用に賛同しない人や、もしくは自分が女性の尊厳を侵害しているということにショックを受ける人もいるかもしれない。しかし、着用を禁止さえすればいいというような魔法の解決法ではない。共和国は、信教の自由が社会規範として機能し続け、社会秩序が脅かされない限りはそれが尊重されるということを誇りとする。
法は制定されており、それもきちんと制定されているにも関わらず、この論争は終わらないままである。私たちの社会におけるイスラムの位置は、現時点の難しい状況を含めたとしても正当なものなのである。自分たちに帰属するものであれば、まず第一に適応されるべき女性たちが、ここでそれを受け取らなければならない。マニュエル・ヴァルス首相がこの問題に対して取る急進的な立場には、2人の大臣が対抗しているが、そのいずれもが女性である(ナジャ・ヴァロー・ベルカセムとマリソル・トゥレーヌ)という事実が持つ意味は大きい。イスラム教徒の女性はとりわけ、また有能でもなければならない。
しかし、もしもこれに対して討論が開催されなければならないのなら、政界がこれに理性的かつ公正かつ誠実に取りかかることが必要不可欠である。ニースの惨劇以来、さらなる品位・尊厳と責任を何度でも示してきたのは、議員たちではなくフランス国民である。議員たちが自らの国家に貢献しうるなら、火に油を注ぐことを止めることこそがその最大の貢献である。
(Le Monde紙社説 2016年8月27日)