ナルミ事件:捜査が終わり、チリ人容疑者の海外引き渡し請求がなされた

ナルミ事件:捜査が終わり、チリ人容疑者の海外引き渡し請求がなされた

 

ブザンソンで一人の日本人女子学生が消息不明となってからほぼ3年が経つが、その遺体は未だにまだ見つかっておらず、捜査員たちはチリに帰った元カレの有罪を信じ、彼に殺人の判決を下すべく身柄の国外引き渡しを請求する。

 

 

「捜査はこれで終了した」、10月10日にブザンソンの共和国検事、エティエンヌ・マントーは言った。「この34ヶ月間の捜査によって、2016年12月5日のクロサキ・ナルミ(21)の殺害に対して、ニコラス・ゼペダがブザンソンの重罪院法廷に出廷するための国外引き渡し請求が正当化された」と彼は言った。


この請求は、外務省によってチリ当局に迅速に伝達され、先方はその応答を「数ヶ月以内に」出せるのではないかとしているとも、報道陣の前で語った。


しかしながら、一般的に在外邦人の引き渡を行なっていない国では、この国外引き渡し請求には「沢山の障害が立ちはだかっている」ことも分かっていると彼は言った。マントー氏はこの一件の詳細について、28歳のニコラス・ゼペダ・コントレラは、チリの裕福な家庭の子息で、2014年にこの「極めて華々しい」女子学生とニツポンで出会った、と語る。彼は激しく恋に落ち、彼女を共に思い通りに生きる女性としてチリの家族に紹介した。


しかし、2016年8月に彼女がブザンソンにやってきた時に、彼らの関係が悪化していることが、捜査員によって発見された2016年8月から10月にかけてこの二人の若者の間で交わされた数千に及ぶメッセージから判明した。そしてこの二人は別れ、それはこの若いチリ人にとって耐え難い決裂で、彼はブザンソンにナルミの新たな恋人がいたということを受け入れなかった。


捜査員たちによれば、ニコラス・ゼペダはこの若い女性に会うために2016年の始めにブザンソンに現れている。そして、彼女の消息が途絶える前日の12月4日の夜、彼らは共にナルミの宿舎に入っている。


その夜、複数の学生が「恐怖の喚き声、泣き叫ぶ声」を聞いているが、「誰も警察に通報しなかったのだ」と、検事は伝える。

 

 

-「法的に真実」-

容疑者が使用した乗用車の2016年12月6日のGPS記録では、彼はドレ(ジュラ)の東の森林地帯に現れており、捜査員たちは彼がそこで遺体を処理したと考えている。捜査によれば、彼はその数日前に着火剤と不燃素材の5Lの灯油缶を購入している。

 

大規模な捜査にもかかわらず、寒い冬と雪の到来に阻まれて、遺体はまだ発見されていない。シテ・ユニヴェルシテールのナルミの部屋では、彼女の所持品はなくなっていないのに、毛布が一枚と大きなスーツケースが見当たらない。


警察官たちは、その後でこの若いチリ人が、この若い女性になりすまして、ナルミの親族に、彼女が今でも生きていると信じてもらうためのメッセージを送っていると確信している。

 

マントー氏は、「ナルミを誰も見かけなくなった日から捜査が始まるまで、1週間以上彼は身をくらましている」と悔やむ。これが容疑者にチリに入国する時間を与えた。

 

4月に自国において一人の女性司法官からの尋問を受け、ニコラス・ゼペダは黙秘権を行使した。

 

「それでも、私たちには彼の供述があるのです」とこの検事は強調する。この容疑者が自らチリ当局に送った1通の手紙があるのである。


この手紙で彼は、2016年12月の始めにナルミに会いにブザンソンに来ており、「彼らが今でも愛し合っていることが分かったのだそうだ」。彼は4日から明けて5日となる夜の一部をナルミとともに過ごしたが、そこからは確かに一人で帰ったと断言する。


クロサキ・ナルミは、今日ではきっともう生存しておらず」、殺害されてしまったのだとマントー氏は言う。さらに、「それはブザンソン検察の見解です。しかし、」セペダ氏に判決を下すにあたっては、「それが法的に真実となるためには、これ以後はそれを言うのは重罪院である」。


この検事にとって「海外引き渡しとなれば、この裁判は対審の形で行われる可能性があるだろう。もしも彼が引き渡されなければ、それは全く遺憾ながら欠席裁判となるであろう」。

(AFP 2019 年10月10日)