グロスマン、ウクライナ人

l'Obs誌セレクション

『SOUVENIRS ET CORRESPONDANCE 』(*回想と書簡)

VASSILI GROSSMAN著 ロシア語原著からのLUBA JURGENSON訳 

CALMANN-LÉVY出版 378 P,  23,90 ユーロ

 

★★★★ Vassili Grossmanが見たスターリングラードの戦いである。「ここでは、この戦争を悲劇的な威厳そのもののなかで理解し、感じ取り、見ることができるだけである。」1943年当時のことである。この作家は、第二次世界大戦で最も流血が激しかったエピソードの一つを取材するために前線に送られた。彼がその代表作『Vie et Destin』(邦題:人生と運命)を作り出した、記憶にとどめられるべき殺戮の場である。一部は未発表だったこの回想録(グロスマンが自分の息子のように育ててきた義理の息子Fiodor Guberのおかげで今回の版があり、彼は実際には2番目の妻オルガの子供だった)を読むとき、グロスマンの軍用ブーツを履いて、彼と一緒にこの前線でもがいているような印象を抱く。ナチスを現在のロシアに置き換えれば、ウクライナ戦争があり、「ドイツ人はドニプロ川を越えてやってきて、雌牛を取って対岸に帰って行った。」いつの時代でもこうした略奪行為。そして破壊された家で見かけた、こんなウクライナ女性。ナチスに殴られ、近所の住民たちに食い物にされながら、窓ガラスが割れた家で子供たちと暮らす。「彼女は独り身で、彼女を見ると何も分からずだだ泣き叫びたくなる。しかし彼女は微笑み、私が彼女にあげた軍用食のパンの端をちぎって食べた。」グロスマンはどうやってスターリングラードを生き延びたのか。それは戦車である。レオパード2。何ものにも耐え、トルストイにも耐えた。「この戦争の間ずっと、自分が読んだ唯一の本は『戦争と平和』で、しかも2回も読んだ。」彼自身はウクライナの、ジトーミル市からちょっと離れたところにある(*実際には約40 km)ベルドィーチウ市で生まれた。しかし、すでに新たに党との敵対が浮かび上がっている。グロスマンは、「ある正当な理由から」『Vie et Destin』の第一部を書いたのだと記しているが、この出版はなかなか許可されなかった(*最終的には1980年にスイスにて出版)。この作品の続きは、1962年には彼はこれを書き上げていたのだが、政治警察によって発禁処分となり、タイプライターのリボンまで押収された。原稿は、そのコピーがグロスマンによって安全な場所に移され、Andreï Sakharovの尽力によってそれをソヴィエト連邦共和国から持ち出すことに成功し、西側で刊行されることになる。義理の息子であるFiodor Guberの感動的な回想によって一層充実したこの熱中的な作品において、私たちはこの最終的な闘いに立ち会うのである(グロスマンは1964年にモスクワで死去している)。

Calmann-Lévy出版が、『Vie et Destin』に加えたグロスマンの主要な3作品で再版としたこの書籍は、文筆による彼の爆撃であって、党の活動家党員が全員冷たい汗を流し、フルシチョフKGBを震撼させるものである。

(l’Obs誌 no. 3048,  2023年3月9日)