世界の指導者

ベストセラーとなった彼の「21世紀の資本論」は、100万部を達成した。この43歳の経済学者は現在世界中を巡っており、今月は彼の主張は中国国民をも熱狂させた。

これは社会現象である。フランスで「21世紀の資本論」(Seuil社)が出版された2013年の秋に、この経済学書が世界中で100万部を超える売り上げになろうと予測したものがいただろうか。トマ・ピケティは、所得と資産の何百万ものデータを解析し、これを数学の方程式に置き換えたのだが、彼がフランスにおけるとても重要な価値観「Égalité」を再び世界中の新たな若い世代にもたらすことで、世界の指導者(グル)になるであろうと誰が予測したであろう。今こそ、それをはっきりとすべき時である。米語版では50万部以上、仏語版16万部以上、独語版で4万部、韓国では発売一週間で3万部を売り上げ、 現在ではこの書籍は中国で引っ張りだことなっている。これは32の言語に翻訳されている。このパリ・経済学校前校長は、アメリカに凱旋ツアーを行ったが、そこではかれの有名な公式「 r > g 」( 資本の収益率(r)が経済成長率(g)を上回れば 、これは無慈悲な較差をもたらす)が、この春にはずっと論争となっていた。彼はホワイトハウスにも招かれた。フランクフルトブックフェアでもスターとなり、オランダ議会にも長期間招聘された。中国での協議会を一過程終了し(p46のウルスラ・ゴティエのレポート参照)、その直後にラテンアメリカ・ツアーを予定しているが、そこではすでにチリのミシェル・バチェレ大統領が彼を高く評価している。11月6日、ブリュッセルのボザール・シアターの大広間にて行われた本誌のフォーラムには、2800人の聴衆が押し寄せた。若く熱心で、彼の言葉、そして彼が硬化したとする世界から脱却するための方策を歓迎する聴衆。ピケティの主張は、彼らの閉塞的な不安に寄り添う。これを読み、アメリカンドリームを終わらせ、成果主義社会を忘れれば、私たちはマルセルプルーストの時代に戻っている。裕福になるためには、相続しその資本に利益を生み出させる方が良いが、それは労働による収入がもはや資本による収益に追いつき得ないからである。第二次大戦後、1945年から1975年の栄光の30年間ならばそれが可能であったが、それは例外にとどまるもので、資本主義の自然な姿ではなかった。それゆえ、社会関係はだんだん世襲的になっている。これは経済成長が弱まる時期に増大する危険な傾向であるが、これを是正するためのピケティから見た唯一の解決策は、グローバル規模で資本(資産?)への累進課税を行うことである。

当然ながら、この提案は議論となった。そして、カール・マルクスの有名な著作の装丁に拠ったこの野心的な書籍は、数々の辛辣で面倒な批判を巻き起こした。ピケティにとって容易に反論できたのは、ロンドン・シティの日刊紙フィナンシャル・タイムスの批判で、本年5月に同紙は、彼の較差に関するデータが間違っていると主張した。「アホかいな」と著者は言い捨てた。 彼の報告は、国民に公開される新たな統計によって、毎週検証されていた。フィナンシャル・タイムスは正式に謝罪するとともに、2014年の最優秀経済学書を彼に授賞したばかりである。エッセイスト、ニコラ・バヴァレの「副知事のマルキシズム(?)」に関する攻撃も一掃。この売り上げは、このテーマが確実にグローバルであることを示している。そうであればこそ、この経済学者は技術的にしっかりした批判の一斉射撃に立ち向かうことになる。同僚たちからの批判に(特にp52のアンドレ・オルレアンのテキストを参照)。2便の飛行機と2回のカンファランスの間に、自分の仕事のために特別号を用意したJournal of Economic Perspective誌、British Journal of Sociology誌、そしてフランスのAnnales誌のために彼はデータをまとめ直す。「彼は常に移動していて、精力的に仕事をする」と彼の妻であり、またノルマリアンで大学教員、メディア経済学の専門家でもあるジュリア・カジェは認める。彼女は夫の世界ツアーに同行した。

これほどの地球規模での成功でも、彼はこれほど細心に点検するのか?トマ・ピケティ43歳、見せかけの謙虚さを粉飾するのではない。「実際にかなりの作業なんですよ」と彼はもらすが、この対応は十分に適切だと考えている。実際に、彼の同僚であるアンソニーアトキンソン、エマニュエル・サエズ、カミーユ・ランデやガブリエル・ズクマンとともに、資産の額、その再分配と収益に関する歴史的なデータを集めて数年になる。不足したデータを再構成するためには、彼はバルザックからジェーン・オースティンまで、文学に没頭した。彼の本を最も理解しやすいものにする可能性を与えるため、彼は文体にも注意を払った。

このとても政治的な研究者は、どこの大陸のどの首都であるかによって発言内容を適切なものに換える。アメリカでは、「1000分の1の優秀なもの」であるエリートが経済成長の成果を独占する一方で、収入が停滞もしくは減少している中産階級につきまとうテーマである、較差に関して、彼は集中した。ヨーロッパでは、 格差はより目立たないが、彼は資本に関する調査によって緊縮財政を告発した。彼はグラフを用いて、個人資産が公的債務よりも迅速に増加したことを示した。それゆえもちろん私たちは、資産よりも公的債務を子供達に引き継いでいるのだ。それゆえ欧州連合が歩調を合わせ正常に機能した状況で、経済面でしっかりとした政府とともに管理するなら、公的債務の危機はさほど深刻なものではないであろう。「私たちは、ユーロ圏という化けものを作りました」「18カ国の公的債務、18の利率、18の経済政策、 これでは破綻します」。もしも何も変わらないのであれば、ヨーロッパを信じても無駄であり、「ユーロ圏から離れない理由がどんどん少なくなっていくでしょう」と彼は予測している。

彼は税に取り憑かれている、気の触れた課税者だという人にこたえるため、彼は税制が非常に政治的かつ非常に流動的な手段であることを再確認する: 20世紀の終わりには、税金は現在よりもずっと高かった。そして資産への累進課税で起業家を脅かして、その熱意を窒息させるようなことにならないかと尋ねる者に対しては、「ビル・ゲイツに向かって、あなたは600億ドルは稼がない、マイクロソフト社を作って10億ドルを稼ぐだけだろうと言った人がいたとしても、彼はマイクロソフトを作っていただろう」と彼は答える。この億万長者は、彼に著作を読んでいると言っている。「彼は、あの本は好きだけどこれ以上税金なんか払いたくないと言ってました。」ピケティの解決策には同意しなくても、その結果は共有できる。たくさんの人たちが彼の理想主義的なグローバル税制の構想について評価を下している。同様に著明な高収入に対する75%を超える課税構想、これはフランスでは失敗している。それにも関わらずピケティはこれで間違いないと言うのだが、それは彼にはある確信があるからだ。市場の持つ力には、急激に増大していく較差を解消することができない、とりわけ経済成長が弱い時期には。企業の創設を促進するためには、彼はその解決策をはっきりと示す:大学に資金を注入することだ。

それではフランスでは?彼自身と学生の言説(? lesmardis)に一貫性を持たせるべく、彼は帰国し、自分が創設したパリ経済学校の生徒を対象とした修士コースを確保した。彼は1人の起業家として公的および個人の資金を集め、校舎を新設した。この新しい建物に入るまで、彼はパリ南部の国際都市(Citété internationale)の大教室で教育を行う。アメリカでのキャリアにそそのかされる才能ある経済学者をフランスに確保するために、ジャン・チロルのノーベル賞に倣って彼は自分が役に立つと考えている。昼食にエリゼ宮に招かれる以上に、彼はフランソワ・オランドによって結果的に長時間の応対を受けた。「宮廷の要人を演じたいとは思わない」この経済学者ははっきりと言うが、任期半ばとなったこの大統領の現状を判断する強い言葉は、この経済学者は持ち合わせていない。
(L'OBS誌 2014年11月20日)