社説 パリ多発襲撃事件: 恐怖と冷静

フランスは戦争状態にある。全体主義的で、無差別で、恐ろしく殺人的なテロリズムに対する戦争である。私たちはそれを、本年1月のパリにおけるシャルリー・エブドとリュパーキャシェーに対する襲撃事件から分かっていた。1月11日のフランス国民の臨時動員にも関わらず、その際に世界中の民主主義国家の首脳によって連帯が表明されたにも関わらず、共和国大統領、首相、安全保障部局の責任者達は、脅威はなくなっていない、ということを喚起させ続けていた。ここにおける最初の疑問は、フランスで第二の襲撃があるのかどうかではなく、その襲撃がいつ起こるのかを知ることであった。

それは、パリとその郊外を血で染めたばかりの昨晩、11月13日金曜日に起こった。そしてこの惨劇は、フランスを標的としたテロリストたちが、彼らの殺人行為にあたって容赦なく無制限であることを明らかにした。

現時点で128名の死者、これはおぞましく、私たちの国家には前例のないことだ。警察の責任者達が何よりも危惧したことを、彼らは引き起こした。首都とその郊外における同時多発攻撃、80,000人がサッカー フランス・ドイツ戦を観戦し、フランソワ・オランドもいたフランス・スタジアム周辺、10区と11区の4ヶ所のカフェやレストランの前、最後にバタクラン劇場内での同時多発攻撃であり、バタクラン劇場では、1000人以上の人々がコンサートに参加し、機動隊による襲撃があるまで人質となってしまった。

フランスでは初めてのことであるが、今回のテロリストのうち何名かは爆薬のベルトを着込み、そのまま人間爆弾となることをためらわなかった。彼らがパニックと恐怖に陥れたかったのは、フランスである。彼らが叩き潰したかったのは、フランスなのである。


テロリズムに対する有効な闘い?
第二の疑問は、国家の領土内でのテロリズムに対する闘いについての政策に関する疑問である。それは脅威に対抗できるのであろうか。それは有効なのであろうか。2年前からフランスは、他の全ての民主主義国家と同様に、ジハディストによるテロリズムに対抗するための法的手段と国家警察機能を強化し続けてきた。すべての民主主義国家は、安全保障と自由との均衡を保つべく努力しながら、これを行った。我々には、手段がないわけでも意志がないわけでもない。警察は、この数週間の間にもたびたび、フランスの領域を狙った襲撃を阻止していた。11月13日の痛ましい夜にこれが起こってしまった、何ということか。この種の襲撃に対しては、はっきりとした防衛手段がなく、警察国家に変貌するか幻想を売り込むことならばありうるかもしれない。

第三の疑問は、フランス国外における政策とそれによるアフリカや中東での軍事介入に向けられる。これが今回の殺意のスパイラルの原因であり、検討し直さなければならないのではないか。もちろん、フランスが標的とされるのは、ジハディズムに対する戦闘の最前線にいるからである。

フランスは、いくつもの前線で戦っている。フランスは、サハラ以南のアフリカに介入しており、そこでは、諸外国とともに、広大な砂漠空間が完全に犯罪組織網に掌握されないよう努めている。フランスは、2013年の初めにイスラムの襲撃を受けたマリの首都バマコを、疑う余地もなく救出している。フランス空軍の介入がなければ、この街は2001年以来アフガニスタンの首都カブールがアルカイダのためになったようなものになっていた可能性がある。それは世界各地におけるテロリストの活動のための補給支援拠点である。

イラク政府からの要請に応じて、フランス政府は他の50カ国あまりとともに、「イスラム国」に対して継続して行われている戦闘(主に空爆)に参加しており、これによりイラク領土の大部分が奪取されている。この粗暴な組織が実行した今回の1回のおぞましき行為は、この国際的な団結による介入を説明しない・理由とはならない(?)。さらに、そこで問題となっているのは、ヨーロッパ、すなわちフランスの戦略的利益の防衛なのである。「イスラム国」の支配する油田地域は、テロリストの末端組織が制裁の対象とし続けている西洋文明に対する闘争を運営していくための資金を、彼らに与えている。イラクにおけるヨーロッパ諸国の活動は、ある形態をとった自己防衛の範疇にあると解釈することができる。

フランスは、政権の発足当初より、シリアにおいても空軍による介入を行ってきた。「イスラム国」の訓練施設を標的として、フランスは公式にこれを自己防衛だとした。フランスは、イスラム主義者の司令官がこの数ヶ月間、幾度となくフランス領土に打撃を加えようとようとしており、そしてシリアから彼らが作戦を準備していたことを強調している。


武装イスラム主義者に対する戦争状態
パリがジハディズムに対して戦闘を行えば、フランスを危険にさらす。しかし、物事の順序を取り違えてはならない。フランス当局が武装イスラム主義者に対する戦闘状態にあるのは、武装イスラム主義者が名指しでフランスを彼らの標的の一つとしたからである。これは「聖戦」を起こすための、「異教徒」を、「ユダヤ教徒」を、「十字軍兵士」を殺すための召集である、といった「イスラム国」やアルカイダ、他のイスラム活動組織の談話を読んだり聞いたりしないために、耳目を閉ざす必要がある。これは説得のために技巧を弄したのではない。今やイスラム主義となったイスラム教の、逆行的なこの変質のための「プログラム」であることを受け入れなければならない。

こちらから働きかけないことが標的とされない保証になる、そんなことをいったい誰が確信を持って言えるだろう。私たちはここで、戦うという敵の本性に関わってくる。まさに21世紀の始めにイスラム教空間では、20世紀の強大な全体主義に、宗教的狂信が取って代わった。ル・モンドがたびたび解説してきたように、イスラム教(l'islamisme)はその急進性において、贖罪の唯一の源とされる信仰の名のもとに人間の生の全ての側面を支配するというヤバい(fou)契約としての、全体主義なのである。

そこでこの「タカ派の集団」は、優れた政治学者ピエール・アスナーの表現を借りれば、何にもまして民主主義国家を非難している。私たちがすること、もしは何をしないのか、それと同様かもしくはそれ以上に、私たちのあり方のためにそれは私たちと戦っている。私たち自身であり続けること、これがこの狂信主義に対抗していくために必要となった戦争において、成功するための条件の一つなのである。
(ル・モンド紙 2015年11月14日)