論壇 これから来るべきポピュリズム

社会学者 ディディエ・ファサンは、プリンストン大学にあって7年間教鞭を取っている。彼は、あの国を分断している社会的および人種的な憎悪を強調し、「un populisme identitaire」 (排他的アイデンティティーによるポピュリズム)が増大していくことを危惧している。



トランプに投票した人は、エリートたち、すなわちアメリカの政治システム、もしくは格差をますます広げる経済システムを拒絶しているのでしょうか。
知的でメディアをうまく操るのと同じように政治的でもあり、彼らを介して連邦国家が思い起こされるようなエリート層に対する、拒否感があります。言葉を換えるなら、アメリカ合衆国で起こる悪しきことは、全てワシントンのせいなのです。そして、システムをダメにしたと非難される共和党員への拒否感が、民主党員に対するそれよりも一層強いということは、これは間違えようがありません。トランプにはこれがよく解っていて、彼は2つの陣営を同時に非難しつつ、そこで何度も「ドブさらいをするぞ」と言い続けていました。その一方で、ネオリベ主義やその行き過ぎた所業に対する拒否感というものは、はっきりしていないのです。まさに白人の中産階級層が「国家はもう十分」と告発していたように、ステータスを失った白人労働者たちにとって、保護貿易主義的なトランプの公約には確かに惹かれるものがありました。しかし、最もつつましやかな階層、その大部分はアフリカ系かヒスパニア系からなるのですが、彼らはそのほとんどがクリントンに投票していて、それは次の政権によって自分たちの待遇がより一層ひどくなるであろうことが分かっていたからです。そもそも、格差や生得利権を非難する者たちが大金持ちに投票する、というパラドクスになってしまっていて、その大金持ちさんはといえば、見るからに金遣いが荒く、傲慢な資本主義もしくはバラマキ主義の頽廃の権化といった感じで、その経済・財政政策はあからさまに富裕層に有利となるでしょう。


2008年にオバマが登場した時には、それは人種問題を乗り越えたアメリカの到来だとされていました。出発点に戻ってしまっていたように思われるので...
それについては、ハーバード大学アフリカ系アメリカ人の法学者、ランドール・ケネディがしっかりと提示しています。実際に、まさに数十年ほど後退しているのです。この国は、人種的にも社会的にも深い部分まで分断されています。オバマの初回の任期の初日から彼に反対していた、国民の一部や政治的階層が抱いていた嫌悪感については、想像することが難しいのですが、それゆえに彼が政権にあった8年間で、今や異例に人気のある大統領となっているということも、想像が難しい。トランプがオバマ大統領の誕生を問題とし、そのためにこの国のトップとしての正当性に異議を唱えた時点から、トランプの台頭が始まったことを忘れてはいけません。実際にオバマの任期は、市民権運動から半世紀がたち、長い奴隷制や人種差別の歴史が、アメリカ社会や、警察機構や司法を始めとするその社会制度に継承されていて、永続的に刻み込まれているのだということを再認識する機会でした。ここで見てきたような人々への主導権の返還は、少数派の投票権を制限するというような法制度という点も含めて、中産階級や白人労働者が巻き返していく強い勢力を伴っています。


トランプはポピュリストだとされていますが、では「ポピュリズム」とはどのように定義されるものでしょうか。
この言葉は間違った使い方をされていて、それは民衆を扇動するデマゴギーのあらゆる形式であるとされてきましたが、実際にはそれは正しくありません。プリンストン大学政治学者ジャン・ヴェルナー ミュラーは、ポピュリズムとは、代表政治制を基盤とする体制の中で発達してくるものであり、反エリート主義、そしてとりわけ反多様性主義をその基盤とするものだと考えています (1)。今回の指導者は、国民の名、すなわち「正しい人々」の名のもとで、国民を代表しているとみなされてはいるものの、それはしかし内輪の関心によって考慮されているに過ぎない人々を非難するスピーチを行いました。そして同様に、この真っ当な(authentique)人々には属さないような、そして真っ当な人々の純血性を脅かすような人々、特に移民や、民族人種的、宗教的もしくは性的な少数派を非難します。ドナルド・トランプバーニー・サンダースとの違いは、この第二の側面、排除的な次元です。バーニーサンダースも、彼自身が反エリートの立場で国民に向かって呼びかけていますが、しかし、アフリカ系アメリカ人ヒスパニア系やLGBTに関してはあまり語らないと非難されるほど、もれなく彼は全員に向いています。西側国家において、「le populisme *identitaire」(*訳がない。排他的アイデンテティによるポピュリズム)が成功すること、もしくはそれが同様にロシア、インド、フィリピン、ジンバブエといった世界の他の場所におけるものであっても、それは現代の世界が直面する最も大きな試練の一つです。これに直面し立ち向かうには、投票や示威行為の場でこれに反対するだけではなく、一部の市民をこれらの指導者の腕の中に押しやってしまう論理を理解することも必要です。しかるに、この手の論理は、私たちが民主主義だと称しているものの中にもまた存在し、それはつまり社会的・経済的な格差であり、民衆階級を軽視することであり、民衆を扇動するスピーチを通俗なものとすることであって、そして政治に責任を有する者たちがその勇気を示すことを放棄することなのです。
(L'Obs誌 No. 2715 -17/11/2016)
1) Qu'est-ce que le populisme ? : Jan-Werner Müller, Premier Parallèle出版