私たちの平等という政治方針を作り直さなければならない

一人一人の国民、特に最も恵まれない人々を考慮するために、全ての政府がしっかりと考えるべきことの核心には、平等という政治方針がなければならない。

もう難民問題は、技術的な調整ではすみません。ヨーロッパは、ドイツとは違ってこの地域に軍事介入していたすべての国々、例えばアメリカやサウジアラビア、オーストラリアに比較すれば、ずっと貢献してきたにも関わらず、非難されてしまいました。受け入れ国の主権もしくは避難所を求める人たちの流入を拒絶する権利に関して、1951年に設立されたシステムを再検討せざるを得ないのは、それは世界規模の事態であって、ヨーロッパのレベルの話ではないのです。避難所の改革を行い、世界全体のレベルで責任をもって避難所を作らなければなりません。

シリア問題に関しては、ヨーロッパには人道的な支援に関与することばかりが期待されました。シリアに関しては、国際的な協議、軍事的なものから人道的なものに至る今回の危機のすべての領域における協力が必要だったのです。もしも世界の諸外国が難民の受け入れにも最大限に関与したとしても、ヨーロッパの国々は、難民の受け入れを拒絶はできなかったのです。

歴史に向き合うこと
移民や多様な起源をもつ人々を統合するという問題に関してはどうでしょう。Brexitに対する国民投票ドナルド・トランプの当選の核心には、社会階層の平等の原則の重要性があり、トクヴィルはそのアメリカ社会の研究のなかで、この社会階層が「個別の事件をいちいち生み出しているもの(fait generateur)」であることに気づきました。

イギリスおよびアメリカの多くの有権者たち、労働者や農村部の住民たちにとっては、彼らやその子供たちは平等という政治方針がもたらす配慮からは恩恵が受けられない、これ以上受けることがないのだという感覚が、とても重要な役割を演じました。しかしこの平等の原則は、残念ながら第二の重大な問題を引き起こしたのです。この数年間に平等の原則が少数派や移民たちに恩恵を与えて以来、この原則が投票で度々拒絶されたのです。

フランス、ドイツ、イタリアは、有権者に対してサッチャーレーガン流のネオリベラリズムを行うことはありませんでした。イギリスやアメリカでは、それは今日ではある種の解体となってその代償を払う事態となっています。

しかし、ヨーロッパの全体において、平等という政治方針のもつ問題点は自分たちのものでもあるということを意識すべきであり、意識しなければならないのです。平等という政治方針をもう一度作り直し、住んでいる場所や、肌の色や、おそらく信仰とは無関係に、我々の国土のいたるところに存在しているもっとも慎ましやかな市民、階級から滑落した市民、もっとも見放された市民たちに恩恵を与えるよう配慮しながら、この問題点を改善しなければならないのです。

この第二の問題点を解決するために私たちにできることは、それぞれの国家がその歴史に向き合い続けることしかありません。ヨーロッパ諸国と同様にアメリカでも、教育を受け理解し共有されている共通の歴史がない場合には、自分がこの国の人間だと感じやすいのは、気分ではなくその権利のみによるのです。均一な過去は神話となりやすい。19世紀の半ばにフランスの歴史家 Ernest Lavisseが、プロシアに関して、ヨーロッパにおける「るつぼ」の唯一の実例だと語ったことを覚えている人がいるでしょうか。帝政時代からのフランス人の子孫たちには、教えられている歴史や語り継がれた物語のなかに居場所がない、居心地が悪いことだけしかみない人はいるでしょうか。私たちのそれぞれの国家は、共通の価値観や言語の指示対象(référents)をめぐってできているもので、それは見つけ出し知っていなければならないものです。しかし、この私たちを一つにまとめているものと、私たちの多様性の間には対立はありません。そこにあるのは、配合して作り上げていくこと(combinaison et composition)なのです。

私たちの平等という政治方針を作り直し、私たちの歴史にもっと向き合うこと、これはすべての国民に共通して、市民をまとめ市民をさらに国の同胞となしうるものであり、これこそが私たちのなすべきことでなければなりません。

パトリック・ヴェイユ歴史学者であり、移民と市民資格 に関する著書があり、パリ第一大学の研究者、エール大学(アメリカ)法学部の客員教授でもある。
(Le Monde紙 2017年1月5日)