社会ー民主主義者たちよ、ネオリベラリズムとは縁を切れ

社会ー民主主義者たちよ、ネオリベラリズムとは縁を切れ

4月7日8日に行われる社会党大会の数日間で、ドイツ社会民主党で売り出し中の人物 ケヴィン・キューネルトは、社会ー民主主義が生き残るのであれば、それはその不備を認め、怒る能力を取り戻す以外にないと考える。


社会ー民主主義の未来については、まだ書かれるべきことがある。これに対する読者の認識は、フランスにおける社会党やオランダにおける労働党の衰退、もしくは今日の東ヨーロッパの多くの議会には左翼政党が誰もいないという事実が、おそらくこれを深く示している。しかし、この状況についての簡単な一覧表を描けば、それが考えられている以上にさらに複雑であるとは思えない。例えばイギリス労働党、そしてドイツ、オーストリア、もしくはイタリアにおける目覚ましい選挙結果を見れば、その他の社会ー民主主義政党は可能性の岐路にあることに気づく。いずれの社会ー民主主義政党も、この数十年にわたる古い伝統を持ち出してよい。いずれも自分の国を何年間も統治し、しばしばそれに成功した。彼らは社会保障制度を作り上げ、教育へのアクセスを組織した。彼らは労働市場をより人間的なものとし、女性のための人権を獲得した。平和を確保し、ヨーロッパが相互の関係を強化するよう導いた。まとめるなら、一つのヨーロッパ大陸という時代そのものの痕跡を記したのだ。

しかし、今日彼らは苦い経験をしている。人々は、以前は目覚ましいものだったかもしれない成功として知られていたようなものの名において、ある政党に投票することはない。もはやこれらの政党は永遠の生命に値するものではなく、その有用性は絶えず新たに立証されていかなければならない。しかるにこの20年余り、社会ー民主主義がこれらの課題を成し遂げることはますます困難である。それはあちらこちらで勝利のために命を落とし、その過去、つまりはその経歴、権力を行使した期間、その現状に対する議論に引きずり込まれる

1990年代の終わりから、この闘いを率いなければならなかったのは内部分裂した社会ー民主主義である。この時期に社会ー民主主義を体現する諸政党の指導部が、長い伝統のあるこの力強い政治運動を新たな時代のものとする必要があると決断したために分裂したのである。1999年6月8日、ゲルハルト・シュレーダートニー・ブレアが「第三の道」という文章を提示した。彼らの説では、グローバル化のこの時代には、その政策がより複雑かつ明瞭となっていくプロセスにおいて、ネオリベラリズムと古典的な社会ー民主主義との間に、新たな道を見出さなければならない。明らかなことは、ヨーロッパの左翼の政治リーダーたちは、これからはウチらはあまり左翼ではないですよと申し出た。


異質な要素をはらんだ政党
かくして、政党内のあらゆるグループも、その根本的な政策方針を変更する道に参加した。彼らは、それが国際的な競争力を守るものであるとの説明を受け、労働市場規制緩和を行った。民間機関の方が良い結果を生むことができると説得され、公的社会保障システムの本質的な部分を民営化した。人員を削減し、市場経済の根拠で採算が合わないと示される構成員の数を削減することによって、国家を解体した。彼らの政党の歴史的な成果とは、まさしくこういったタイプの考えをとっくに乗り越えていたことだったのだが、そんなことはその過程において忘却することによって。つまりは、社会ー民主主義はネオリベラリズムに屈し、ネオリベラリズムは、ヨーロッパ政治の核心に至る道をしつこく何年もかけて切り通し、そしてネオリベラリズムは提起される問題のほぼ全体に対して同じ反応をもたらす。それは自由市場である。

社会ー民主主義が政治的に豹変することがまだ可能なものかどうか、それを判断することは難しい。私たちの議会は多様化し、政治的展開を把握することがますます必要となっている。別の陣営から自分たちのイデオロギーを持ってくるようなこのようなハイブリッド政党については、人がきちんと考えることは事実上なく、そのイデオロギーによる政治綱領が示す見解は、あらかじめ政治的妥協を含んでいる。しかるに社会ー民主主義が多くの国において今日見せているのは、まさしくこの側面なのである。

たっぷりと1世紀半にわたって、社会ー民主主義の持つ力とは、技術と社会の進歩に照らされ変動する世界において普遍的な諸価値を維持し、それらを絶えず適応していけるものとすることであった。このプロセスが止まり、新たな根本的方向付けが必要となっている。社会ー民主主義は、時代が変わっても変わらないその価値ー平等、自由、連帯を変化させる勇気と、これらを新たな時代にものとするために十分な信頼を見出さなければならない。ここ数年間の小心さが彼らの間の断層を広げ、これを右翼のポピュリストが巧妙に利用した。社会ー民主主義が労働の価値や社会的富の分配について語るときに、難民や国家の主体性について語り始めたのが彼らなのだ。私たちは、政治的極右の都合を押し付けられるままになった。そしてこの印象は、移民と徴兵制の復活(?: retour au national) が私たちの時代のテーマの中心となるようになって終わった。


社会階級間の炎上の再来
現実には、政治的な左翼のテーマが変わってしまったわけではなく、そのことは誰の目にも明らかである。富の配分の格差は日々増大している。実質賃金は低下し、遺産への課税が奇異に低いのであれば、多くの労働者がそこから何らかの利益を引き出すことはない。デジタル化は、労働界の根本的な変化をもたらすが、大半の事例ではデジタル化は雇用者に利益をもたらすだけであり、雇用者たちは、デジタル化によって彼らの内通者と常に連絡を取り、彼らを監視しその仕事を合理化することが可能となる。民間機関は公的機関よりマシなことはしておらず、私たちの社会保障システムを後退させた。今日では、20年前に比較して、ものすごい数の人々が身体の不調を抱えている。グローバル世界においては、社会ー民主主義は純粋に国家だけによる反応をもたらすことができない。多くの人々が、自分自身やその家族がこの歯車によって粉砕されることがおそらくないと保証されるなら、社会のリベラル化を受け入れることができると考えており、それが社会ー民主主義の観点では一つの重要なポイントとなっている。この保証が守られないとすれば、私たちがそれについて現在知っているような社会階級間の炎上の再生が繰り返されかねない。全てが関連しているのである。

社会ー民主主義の変革は二本の柱をその基盤とする。一方では、私たちは社会ー民主主義を承認し、それ自身の過誤を修正していかなければならない。誰よりも全てをよく知っていると信じる人々に投票するものはいないし(?)、私たちがすでにすべての問題に対応できるなどとは誰も思っていない。もう一方では、時とともに私たちの多くが失った能力である、不平等な社会の現況に対して真摯な怒りを覚える権限を取り戻さなければならない。社会ー民主主義が大統領令や法を支配し、それは各省庁で実行された仕事を内在化したのだ。この怒りの感情を思い出すことは、達成されるべきこの課題において不可欠な一部である。今日私たちは、政治に関する感情的な視野の大部分を失っているが、社会ー民主主義とは、それなしには考えられないものである。私たちは売ることのできる製品を持たない。私たちは、我々の社会が与えてくれる最も高貴な価値を護るのである。もう一度私たちのうちに、政治に関与したという誇りを見られることになれば、それは良いことであろう。
(Le Monde紙 2018年4月6日)