セキネ・タクの自殺とAtabulaへの攻撃: フランク・ピネ=ラバルストからの回答

セキネ・タクの自殺とAtabulaへの攻撃: フランク・ピネ=ラバルストからの回答

 

 

セキネ・タク訴訟はないだろう。このシェフは、9月28日から29日にかけた夜に自殺した。その理由に関する質問には、彼の強姦と性的侵害に対する提訴が、その主な原因として現れるであろう。彼の妻サラ・ベルゲは、自らのインスタグラムのプロフィールで自分の立場を明白に説明している。SNSとメディアはこのテーマを、彼の名前をこれらの極めて重大な行為に何度も関連付けたAtabulaに対する非難を激しく繰り返すことでとらえていた。


私には、このセキネ・タクの償いがたい行為を悔やむことしかできないことは全く明らかだ。誰もが同じように、この自殺によって私はショックを受けている。死んでしまえば言葉にできず計り知ることができない、適切な距離をとることやきちんと考えることをいささかも許すことなく、死はすべてを持ち去る。このようなことをした彼の感情の基本は、ここでその絶頂にある。難しく、さらにはそれがどのようなものであれ、明らかにすることができない。反応としてのこういった行動を考慮するだけである。私にはその反応を尊重することしかできない。


しかし、私は自分の義務として、こうした「反応行動」が単純に歪めてしまわないようにいくつかの非常に重大な点、そしてメディア、また私の仕事であるジャーナリストについて明らかにしなければならない。いろいろ書かれてはいるが、私たちの記事では、図らずもセキネ・タクの名には言及していないのだ。2014年に厨房内での暴行に関する最初の記事を発表して以来、私はこうしたテーマに関連した証言とメッセージをずっと受け取って来ている。時には曖昧で、時には適切な糾弾によって、何十人ものシェフの名が挙げられている。私たちにはその整理法がわかっていた。外食産業の世界で働いた子供たちの両親の何名かは、自分の試練を言葉にできず、どう言葉にすればいいのか分からなかった彼らの息子や娘たちの自殺を受けて、このテーマについて私たちが語り始めたことに礼を伝えてきた。残念ながらこれらの死は、厳密に家族の内輪に留められてしまった。罪人を突き止める魔女狩りはなかった。


ここ何ヶ月間かでは、いくつかの名前が特にしつこく再登場していた。そこから『厨房での性的暴行:大規模な告白が始まった』というタイトルの連弾での調査が行われ、それに対して沢山の会見が実現した。セキネ・タクの名前は、異なるソースから複数回あげられていて、そのほとんどが同じような事実を語っていた。私は多くの人物と接触したが、そのうち数名は、セキネ・タクの最大限に情報を交換するための主要なサークルに参加していた。接触するたびに、非難されていた出来事を確認することとなった。このサークルの一部は、私たちの調査が始まった時点ですでにセキネ・タクから距離を置いていた。すでに8月1日の段階から、カナダ人系の女性インターネット利用者が、自らのインスタグラムのアカウントで、自分が被害を受けたとする性的侵害を明らかにした。「あなたは私が寝ている間に寝室に入ってきて、私と寝ようとして、私を性的に侵害しようとし始めた。私はあなたを何とか追い出し、私が寝入ったらあなたはまたやって来た。今回ばかりは、他の部屋の人があなたを止めて部屋から外に出してくれるよう、私は十分に強く「やめて!」と叫ばなければならなかった。」この出来事は2019年1月8日に繰り広げられ、その時にこの「父親であり有名なレストラン経営者」である襲撃者は38歳であった。この一件の当時25歳だった女性は、10人あまりの女性がこの同じシェフにより侵害されていたともはっきりと語る。私は2つの情報源から、これは間違いなくセキネ・タクのことだと確信した。


覗き趣味でもセンセーショナリズムでもなく、「バズらせよう」などという意図もない、単に事実はどうだったのかを知ることだ。セキネ・タクの名前を公表したとして私を咎める人々に対して、私ができることは、彼の名前は誰もがみな知っていたと繰り返すことだけだ。そして彼自身も、自分の名前が食品業界(foodosphere)の世界と同様に狭くそして限局された業界内で行き交っていることを、私たちの記事の前から知っていた。私たちが彼の名前を持ち出す前から、若手の料理人のためのある有名なフェスティバルは、すでに彼をプログラムから外していて、Médiapartはニツポン出身のこのシェフを取り上げた調査を準備していたのだ。その時点でセキネ・タクは、これらの要因を知っていた。これが、Atabulaは何も「暴露」していないということの、まさに事実に基づいた証拠である。メディアは、彼の調査作業を行い、すでに他者によって一覧に上げられ遠ざけられていたあるシェフの名前を公表しただけである。


報道が氏名を公表するのではなく、司法が誰かを有罪だと判断するのだという議論については、それは何らの根拠にも基づいていない。まさにその逆である。それは一方では、この2つの「権能」がどちらも存在するようになって以来、相互に養われてきた歴史的な機能を見誤ることである。そしてもう一方では、2020年に彼は、料理界の非常に重要なある掟を常に支配していることを無視することである。悲しい暦の偶然で、我々がセキネ・タクの自殺を知ることになる同じ日に、我々はフロレンス・シャテレ・サンシェの証言に基づくシェフのガイ・マルタンの強姦未遂を告発する記事を公開した。前述の文書の発表(セキネ・タクの自殺を知らされていない時点で発表した)の数時間後に、フロレンスは残念ながら自分は例外ではなかったことを確固たるものとする複数の証言を受け取っていた。こうした証言が増えることで、最終的にフロレンス・シャテレは起訴することを確信した。


セキネ・タクの死は悲劇的である。誰よりも彼の家族と友人たちにとって、新世代を体現する若きシェフを喪ったことを嘆くあらゆる同業者にとって。その反応行動は、容赦がなく、悲劇に匹敵する。残念ながらセキネ・タク訴訟はないだろう。それを悔まなければならない。

(Atabulaサイト 2020年9月30日)