日本:国家に奉仕する神道

神道とは、信仰と古代にまでさかのぼる祭儀とが一緒になったもので、今日これは、とても強力な政治運動と首相アベ・シンゾー本人によって推進されている。


白砂が敷き詰められた地画に立てられた柱の上に、素木で出来た建物が載り、勾配のある檜皮葺の屋根には、金箔で装飾された棟木を備えている。意外なほど簡素な三重県伊勢神宮内宮は、それでも日本で最も崇敬される場所である。それは天照大御神に奉じられた場で、神話によれば彼女は皇室の系譜の始祖であった。

5月26、27日に首相 アベ・シンゾーが、G7各国(日本、アメリカ、カナダ、イギリス、イタリア、ドイツ、フランス)の首脳および政府責任者を、この神道崇拝(6世紀に仏教が日本にもたらされる以前、古代にまで遡る信仰と儀礼とに与えられた名称)の中心地に迎え入れた背景には、政治的魂胆がなかったわけではない。この地のすぐそばに列強諸国のコンクラーベを置いて、そこに参拝するよう招くことは、現代日本における聖なるものと政治権力との間のあやふやなバランスを如実に示すものである。日本とは、国造り神話にその起源をもつ一系統の子孫であり、私人として皇居内部で神道儀礼に従事する、天皇による立憲君主国である。


伊勢神宮の選択
ある時は国家と国民の統合の象徴であり、そしてアイデンテティーの中核となって排他的に作用する信仰儀礼の大先達でもあるという、天皇の社会的に曖昧な地位は、8月8日に天皇がそのお言葉の中で意図を表明したように、その退位を可能とすべく皇室典範を改訂すべく議論するにあたっては、一つの材料となるであろう。

アベ・シンゾーは伊勢神宮にいたくご執心で、新年になると参拝に行っており、2013年には、20年ごとの内宮の式年遷宮に8名の閣僚とともに参加した。これは政府の長官としては1929年以来となる。平和憲法を改訂したり、皇軍の蛮行を隠滅してなるべくなかったことにしたりしつつ、「戦後を終わらせる」と自ら意気込むこの首相は、国の排他的アイデンティティーを形成する(identitaire)神秘主義(mystique)を回復しようとしている。

伊勢神宮は、東京にある靖国神社ほどは議論とはなっていない。靖国神社は、祖国に殉じた2百万名の魂とともに、極東軍事裁判で有罪とされた7名の死刑囚を含む約40名の戦犯が顕彰された場所である。首相のポストにあった彼の前任者たちのうちの一人、日和見主義者(opportuniste)のコイズミ・ジュンイシロウ(在任2001年から2006年)は、右翼の圧力宗教団体や準宗教団体の支持を得るべく靖国に定期的に行っていたが、アベ氏も同じように参拝しており、これが日本の海外拡張政策の犠牲者であった中国や朝鮮から過剰な反応を招いている。この参拝は、米国にとってもう一つの大きな同盟国である韓国との緊張を悪化させ、アメリカ政府をも苛立たせている。このために、1945年の敗戦によって損なわれた国家の自尊心を回復すべく、アベ氏は「伊勢を靖国の代わりにしようとしている」のだ、とオーストラリア国立大学歴史学者ガヴァン・マコーミックは言う。

伊勢神宮は、戦前に軍の管轄の基に設立された靖国神社よりはキナ臭いこともなく、この首相が皇室の系譜を基盤とする国のアイデンティティーを構築するにあたって、神道の祭儀にその中心的な役割を与えることを可能とする。京都にある国際日本文化研究センター歴史学者 ジョン・ブレーンは、それが「大戦以来、最も神道に血道をあげた首相」であると考えている。幾分かは選挙の野心もあるが。


仏教系圧力団体
この10年の間に、政党の資金調達が改革され財政赤字が増大したために、国会議員たちは地方の支持団体(企業、農協、業界組合などによって形成される)の力に手をつけるようになった。今日ではそれ以上に、票と資金集めのために宗教団体や準宗教団体に依存している。これらの団体の政治への影響が増していることは、1947年の憲法に明記されたはずの政教分離の原則が、いい加減であることを暴露している。

政治に口を出してくるのは神道だけではない。連立政権を構成している公明党(*欧文表記 le parti Nouveau Komeito)は、有力な仏教宗派であるソウカガッカイの政治機関である。同様に別の流派も圧力団体を構成して、とりわけ税制における自分たちの優遇措置を守っている。しかし、神道の重みは、それが国家的な排他的アイデンティティーを高める神秘主義の中心にあるだけに、いっそう重い。つまり神道は、単純な信仰以上に、太古の時代にさかのぼる「ジャポニテ」の本質を映し出している。

「随神の道」を意味する神道は、「仏陀の道」とは異なるものであり、その信仰について定義することが容易ではない。それは、仏教の伝来に先行した土着の信仰と祭儀を習合している。それはシャーマニズムの影響を受け、無数の「崇高なる存在」(カミ)、すなわち自然の力に命を吹き込み、岩や樹木や泉に宿りうる神性を崇拝する。神々は、人間(ある系統の始祖とか英雄)の中にも受肉しうる。アニミズムを混じた多神教である神道は、神の啓示に基づく信仰ではない。つまり、神道には預言者も明文化された教義もない。それは生に向き合う態度であり、人間と自然との調和を説く態度であって、これが日本人の精神性の中心にあり、その言動を形成しているのだ。

伊勢神宮の南、同様に三重県にある熊野には、明治時代(1868-1912)に政治権力によって建設された皇居につながっていくような公的な神道からはしっかりと距離をおいた神道が開花している。この山深い地域では、小さな山々が深い針葉樹の森となり、その深い緑は靄が立ち込めた谷底で霞む竹林と際立ち、そこには急流が唸り棚田が並んでいる。これこそが、1979年から1996年にかけてコレージュ・ド・フランスで日本文明の教授であったベルナール・フランクが記した「秘められた、知られざる、聖なる慣例の表現によれば秘教的な日本」である。


神格化された天皇
一千年にわたり、日本には神仏混淆が知られていた。仏教は、地域の信仰と対立するどころかそこで適応し、現地の神々と諸仏との交感を作り上げた。しかし、19世紀後半に、明治維新の志士たちはこの神仏習合を終わらせ、神道を皇室に重心を置く国家宗教に昇格させた。太古の時代からの神話の体系を反映させて、それは一大中心地である伊勢神宮と、それまでは全くみられなかったような、祖国と神格化された天皇に殉じた者たちを顕彰するという靖国神社を、排他的アイデンティティーを形成する国家宗教とした。フランソワ・マセは、2006年11月のSciences humaines誌に発表した資料「信仰の起源」において、明治時代まで「天皇たちは神とは考えられておらず、その(死後の)崇敬は慣習として仏教の枠組みのなかで行われていた」と記している。「神道は、国家の本質の発露であるとして、他の信仰(仏教やキリスト教)の上に位置付けられた」と彼は説明する。

国家神道は、民間神道とは余り関係がなく、「伝統のでっち上げ(invention de la tradition)」である。これは排他的アイデンティティーのイデオロギーを生み出すようになり、天皇を中心として民衆を強力に結びつけて個人を国家権力に隷属させつつ、1930年代の国粋主義の先駆けとなった。

この国家神道は、1945年の敗戦とその後のアメリカ人の占領のもとで廃止された。しかし、その際に導入された政教分離は「不完全」であったと、東京大学名誉教授の歴史学者、シマゾノ・ススムは考えている。アメリカ占領軍は、皇室制度を保持することが国家の統制を容易にするであろうと考え、この君主の戦時中のすべての責任を免除し、彼を保護した。

イデオロギーの装置は廃止されたかに見えたが、しかし「皇室神道は依然として国民の生活に大きな影響を及ぼし、非常に精力的な政治運動によって助長されている」とこの歴史学者は記す。実際に彼は、他のテキストの中でも、「政治と信仰は適切に分離されておらず、国家神道は、解体されているというにはほど遠く、未だに国家の統合の基底原理として機能している」と続けている。

「永遠の日本」を主張する国家を挙げた神秘主義は、国内における意見の相違や対立を押さえ込みながら、アベ・シンゾーとともに最高水準まで前面に押し出されている。多岐にわたった圧力団体へのお膳立てをし、これが排他的アイデンティティーとなるような神道の形態に戻ることを推奨しているのだ。日本国内の8万の神社が加入する、神社本庁の政治機関であるシントーセイジレンメイにとって、これは良い機会である。神社本庁は「日本人の御霊の価値」を重視し「戦前の状況への回帰」を目指している、とニュージーランドオークランド大学にて日本の宗教的新国家主義を専門としているマーク・マリンズは主張している。

議会においては、与党である自民党と野党第1党である民主党の304名の議員が、シントー・セイジレンメイ・コンダンカイに加入している。大半のアベ内閣の閣僚もそこに所属している。その会長を務めているのは、首相本人である。

この宗教まがいの(?: parareligieuse)右翼の核となるものは、ある強力な圧力団体、ニッポンカイギによって形作られている。1997年に2つの組織が合併して作られたニッポンカイギには、様々な分野の人物が加入している。会員数38,000名とされ、全ての都道府県に設置されたその活動は、日本のある種の「根本主義」の尖鋭となっており、憲法改訂を歓迎するキャンペーンのまとめ役である。自民党とその連立野党が、2016年7月の参院選において議会における2/3議席を確保したため、ニッポンカイギはこれまで以上に政治の流れに影響を及ぼしうる。

ニッポンカイギがさほど均質でも統制が取れているわけでもないにも関わらず、そのイデオロギーは4本の柱をその基盤としている、と、この日本の強力な保守主義圧力団体について近日著書を出すフランスの研究者、ティエリー・グスマンは考えている。つまり、皇室への敬愛すなわち国家の「統合者の要因」;「必要以上に強調された日本という国の特殊性」; 祖国のために死んだ者の崇拝と、「捏造され強調された」皇軍に対する告発で踏みにじられた国家の自尊心の回復 ; そして最後には個人の価値に対する家の価値の復権である。

日本で最近ベストセラーとなった「日本会議の研究」の著者、スガノ・タモツにとっては、「それは文字通り反動的な動きで、左翼のものとされる見解からこの国を解放するのです」。日本会議の会長タクボ・タダエによれば、皇室の人物を中心として「精神的な国家を再興しなければならない」のである。


「ますます強まる政治的無関心
神道崇拝の政治利用は、憲法に規定されている政教分離の原則の毀損ではないのか。東京の上智大学 ダテ・キヨノブによれば、「政教分離という用語は、日常の言葉では滅多に使われないのですが、それにも関わらずこの考え方は進歩し続けてはいるものの、修正主義者たちによる政治・宗教組織は、ますます強まる政治的無関心につけ込んでそれ以上に発言するのです。彼らの進出を牽制できるものはありません。」

国家的神秘主義の信奉者たちは、民族文化的に単一だという神話が未だに潜んでいて信仰の細分化を経験していないような世俗社会で、そこにおける神道信仰の曖昧な地位を利用している。一神教の世界で起こることとは逆に、日本人は矛盾を感じることなく同時に複数の宗教的行為に打ち込むことができる。その大半は自らを無信仰だと言っている。彼らは不可知論なのであり攻撃的ではないが、しかし漠然とした信仰心は維持されている。神社仏閣に行くのは、信仰心から行くわけではあまりなく、天皇を中心とした信仰を支持するからではなおさらなく、それが風習だからである。12月31日の大晦日の夜には、何百万人もの日本人が東京にあるメイジ・ジングウに行く。祭神である明治天皇を崇敬するためではなく、慣習がそうしてきたようにご祈願をしに行くのである。
(Le Monde紙 2016年11月5日)