Bloc identitaire

Bloc identitaire-ヨーロッパ社会運動(BI)とは、2003年4月6日に設立されたフランスの政治運動である。これは、「identitaire」と称する動向を構成する要素の一つであり、2000年にUnité radicaleが内務省による解体を受けたことによって登場した。この運動のロゴは、図案化されたイノシシを表しており、グイヨーム・ファイェによって2001年に刊行された著作 我々が闘う理由(Pourquoi nous combattons)の表紙からとられている。

政治情勢においては一般的に極右に分類されるBIは、「異なるヨーロッパ」(alter-Europe)およびある形態の地方尊重主義を推進している。その「威信を追求する」にあたって、「反ユダヤ主義と反イスラエル主義からは距離を置」こうとしており、何よりも「ヨーロッパにおけるイスラム教の増大と、多文化主義がはらんでいる自己崩壊的な性質」を懸念している。Dominique Vennerがこの運動の中心的指導者である。

このブロックには2,000名の加入者がいるとされ、2009年10月にオランジュで開かれたその大会の際には、約600名の活動家が集結した。


歴史
創設
2002年7月14日の軍事パレードの際に、Mouvement national républicainのメンバーであり、Unité radicaleの同調者であるMaxime Brunerieによって強行された、フランス共和国大統領ジャック・シラク暗殺未遂事件を受けて、Unité radicaleのグループは解散させられた。Marie-Odile Bertella-Geffoy判事のもとで行われた審理が2004年7月に下した結論では、この単独行動には政治的意図がなかったことが明らかとされている。Unité radicaleの2名の指導者(Fabrice RobertとGuillaume Luyt)は、ウェブサイトwww.les-identitaires.comや団体であるLes identitaireが始動してから2003年4月にBIを設立するに至るまでは、あまり関与していなかった。Fabrice RobertがBI総裁に、Guillaume Luytが副総裁となった。それ以後、BIは正常化しつあり、その活動員たちの大多数もUnité radicaleのメンバーではない。2009年10月にオランジュで行われた大会を契機として、BIは政治政党へと変化した。

2016年7月23日からは、2003年当時のLes identitairesの名称が用いられている。


選挙における結果

BIは2005年6月12日の選挙において、ニースで関連する活動団体であるNissa Rebelaを介して初めて候補者を立てた。この時には、第7小区に1名の小区候補者を立て、それは有効投票数の1.9%に相当する85票を得た。

2008年には、これもニースにおいて、ニース市長に立候補したフィリップ・ヴァードンが3%の得票率を獲得し、Benoît Lœuilletが第6小区の有効投票数の5%を集めた。

2009年9月にはこの第6小区において、Benoît Lœuilletが7.68%との結果を獲得し、国民前線の7.82%より5票少ない結果となった。

2010年の地方選挙では、ラングドク・ルショにて「Ligue du Midi (南仏同盟)」という名称の候補者名簿が提出され、これは投票数の0.7%を獲得し、プロバンス・アルプス・コートダジュールでは、Jaques Bompardを中心とした「Ligue du Sud (南部同盟)という洗礼名で祝福された候補者名簿」が公開され、これは2.7%の得票率を得た。得票数が最も上昇したのは、南仏ヴォークルーズ県における8.4%であった。

アルザス地方では、Jacques Cordonnierの率いる候補者名簿Alsace d'abord(アルザスが第一)が4.98%の得票数を得たが、2004年の地方選挙の第一投票における得票数の9.4%と比較して、大きく票を割り込んでいる。


ブロック・イデンティテールの総裁と指導層
・総裁: Fabrice Robert (国民戦線の前議員、Mouvement national republicainの旧メンバー)
・指導層は2012年春に重要な刷新を行うべき対象となり、若年層のidentitaire運動の代表者たちを統合している。これは、下記のメンバーによって構成される。

・Fabrice Robert (Bloc identitaire総裁)
・Simon Charles (Bloc identitaire)

・Alban Ferrari (Génération identitaire)
・Georges Gourdin (Bloc identitaire)
・Guillaume Lotti (Bloc identitaire)
・Dominique Lescure (Bloc identitaire)
・Benoît Lœuillet (Nissa Rebela)
・Christophe Pacotte (Bloc identitaire)
・Damien Rieu (Génération identitaire)
・Pierre Robesson (Maisons de l'identitaire)
・Tristan Ronarc'h (Bloc identitaire)
・Sébastien Roux (Bloc identitaire)
・Émilie Cassel (Bloc identitaire)


イデオロギー的な基盤

政治路線
イデオロギー
BIは、「自らの出自と絆、自らが受け継いだものを誇る若きフランス人とヨーロッパ人の連合をつくる」という目標に対して専念する。それは「さまざまな政治的経歴は持ちながら、現在支配的となっているシステムは同様に拒絶するような運動員の出会いから生まれた」もの、という様相を呈する。

・民族の大規模な混血、およびヨーロッパ人の「永続的な罪悪感」への反抗
・物質主義、消費促進主義、および「有力な海外投資家による労働者の搾取」に対する嫌悪感
・フランスの選挙制度が代表性として機能していないこと、民主主義が(高級官僚、金融資本家、労働組合とメディアによる)寡頭制によって取り上げられてしまっていることを告発すること
・口八丁の連中や「知的なテロリズム」の拒否
アメリカの覇権とイスラムの領土拡張政策への憎悪
・パリの集権政治のジャコバニズムの拒絶

この運動は、さまざまな手段を用いて、極右のイデオロギーの集積の中にその位置を占める。これは田園生活の擁護者との立場をとり、「都市の分裂病に代わるべく田舎っぽさを擁護」したり、「グローバル主義の信奉者がもたらす恐怖」に対抗している。その一部にカトリック信仰が含まれる「ヨーロッパの出自とその受け継いだもの」をたとえ擁護することがあっても、BIは論点としてはカトリックの伝統主義をあまり用いない。「女性に対抗するidentitaireな抵抗運動の総合」というテーマも導入している。

BIは移民を自国に送り返したいと考えており、「racaille immigrée 」(移民のクズ)といったスローガンとともに、この結果や現象を実現すべく過激な方法で奮闘していて、高圧洗浄機の「ケルヒャーはいらない、チャーター機だ!」と要求している。そのメンバーたちは、「ヨーロッパに根幹」を持つ人々や「郊外の地道な白人たち」を擁護すると明言している。さらに、BIはその活動をヨーロッパ規模にしたいと考えており、たとえばコソボにおいては、アルバニアイスラム教徒に対して「コソボにおける我々の兄弟・セルビア人」を支持している。

BIは、イスラムもしくは合衆国そのものを危険だとみなしているのではなく、危険なのは「ヨーロッパのイスラム化、そこにある我々の文化のアメリカ化」なのである。


他政党との関係
BIは 、急進的となった右翼政党、特にPhillipe de VilliersとMouvement pour la FranceがUMPと和解してしまってからのその支持者たちの不満や、国民前線の再編成を当て込んでいる。2010年の地方選挙で、ラングドック・ルサロンにおける南仏同盟の候補者リストの筆頭にあったRichard Roudierは、党大会においてジャン=マリー・ルペンを暗に非難しており、つまり第二次大戦に関するその党首声明において「国民前線はアイデンテティーの概念を汚した」のだが、これはブロックが「明確かつ完全に非難している」ものである。専門家によれば、BIはPhillippe de Villersとジャン=マリー・ルペンの間に位置を占めるものと思われる。

BIは2012年の大統領選挙においてArnaud Gouillon候補を支持している。500名の推薦をとりまとめることができないとして、2011年9月にこのプロジェクトは断念されているが、またこれは、2012年の国民議会選挙と2014年の特にニースにおける地方選挙にあたって、国民戦線との合意の余地を取り付けるためでもある。それにもかかわらず、国民調査では、62%以上もの会員が大統領選挙の候補者は誰も支持しないと決断している。しかしながら、Phillippe Vardonの率いるニースの集団Nissa Rebelaは、この大統領選においてマリーヌ・ルペンを支持した。2014年の欧州議会議員選挙にあたっては、BIは国民戦線に投票するよう初めてよびかけている。


イデオロギーを準拠していると主張されているもの
政治的勝利には文化的な闘争による準備が必要であることは「1970年の始めに社会党を主導していたミッテランがきちんと理解していたこと」であって、それを考慮したBIは、伝統的な用語の意味からは政策とはなし得ないようないくつかの企画を展開するのだが、それは政界に直接波及する効果を持っており、メタ政策のタイプの企画である。その目的は、「古典的な戦闘的態度」を採る政治行動には決して足を踏み入れないであろう人々を引き寄せることを可能とすべく、「その中で生きているような世界と社会の個人」が持っているような絶え間なく変革し続ける発展の中に組み込まれることである(?)。この文化的活動は「文学、コミックス、絵画、音楽、インターネットサイト、講演団体、地域に根付いた興行を越えた形で現れうる。

精神的な人心掌握をしっかりと行うために、その目標は2020年、2030年代での政治的、連想的(?: associatif)、文化的な手段を確立することである。

これらのイデオロギー的な準拠に関しては、「そこには、本来の「思想の系譜」よりも多くのインスピレーションと目的がなければならず、それはidentitaire運動とは、その機能の仕方と同様にその構成においても、新しい現象であるからである。もしもそれが部分的なものではなく、それゆえそれが不完全でもないのであれば、それは過去におけるいかなる別のものにも正当に帰属し得ない。BIは、2014年5月に記念シンポジウムを開催し、その主要著作物の一つを再版した。Pierre VialとJean Haudryもこの運動がその規準としている人物である。その規準とするものは、時には左翼もしくは左翼起源の思想家にも由来する。


経済、財政、税制
経済における一般的な作品は、Maurice AllaisとJaques Sapirに加えて、Jean-Claude MichéaとSerge Latoucheによる著作である。

哲学、心理学、精神分析学と信仰
BIは、イスラムイスラムの歴史に関するその批判において、Guiklaume Fayeによるカリフ領とムスリム移民、ヨーロッパとアラブ人との関係に対する著作、Anne-Marie Delambreのイスラム教に関する著作、しかしまたJacques Heersの西洋、ヨーロッパとイスラム世界の相互作用に関する著作や、より最近ではSylvain Gouguenheimの著作を転用している。


進出
BIは、とりわけイル・ド・フランスやプロバンス・アルプ・コートダジュールアルザスにしっかりと進出している。


関連する組織
BIは、人道的、社会的な使命を持つ複数の団体を管理しており、それは服役者共済委員会、Solidarité de Français, Soudarietàなどである。Alsace d'abord, Nissa Rebela, Jeune Bretagne, もしくはKerkantのような地方主義的な複数の政治・文化的組織も、同様にBIと緊密な関係にある。

ブロックは、Terre et Peuple協会とともに、Le Conseil représentatif des associations branchesを設立した。これは、スイス、ベルギー(Mouvement NationもしくはVlaams Belag)、イタリア、スペイン、ポルトガルのidentitaire運動とも緊密な関係を維持している。

BIはConvention identitaireをその起源としており、それは毎年集会を催し、その招待講演者はヨーロッパのidentitaire運動から来ている。Convention identitaireは、2007年にブルゴーニュ地方ボーヌにおいてその最初の会合を開催した。10月17-18日にオランジュ公宮殿で行われた会議では、スイス人Dominique Baettig、スペイン人のJoseph AngladaとEduardo Nunez、Causa Identitàriaのポルトガル人たち、オーストリアFPÖの代表Andreas Mölzer (EU議員)らが招かれた。イタリアのLa Ligue du Nordは、Mario Borghezioを派遣した。この会議は、2つの「政権政党」、スイスのl'UDCとイタリアのLa Ligue du Nordの代表が出席したと発表した。同様に、Yves-Marie Laulanも招かれている。Novopressによれば、この会議には「600名の参加者が集まっており、これはこの運動のこれまでの会議と比較した場合に、非常に重視すべき数字であって、若い人々の割合も非常に重視すべきものである」。この会議の開催中に、BIは、その規約に基づいて政治政党となったと発表した。


Novopress.info
この運動は、「国際的な報道機関」と称するインターネットサイト、Novopress.infoを生み出した。その責任者の中には、メグレ主義者であり、Front national de la jeunesseの指導者であったGuillaume Luytと同様に、Unité radicaleの前指導者であるFabrice Robertがいる。Novopress.infoのフランス語セクションの編集者には、Patrick Gofmanがいる。


音楽レーベル
この運動は、音楽レーベルの「Alternative-s」が設立される原因ともなった。


Jeunesses identitaires
この運動は同様に、Jeunesse identitairesにも近いものがある。Bloc identitaireの二人の指導者は、明らかにこれにも影響力をもっている。つまり、Jeunesses identitairesの公式サイトのドメイン名は、Bloc identitaireと同一の私書箱を使用するNos racinesによって登録されている。(Les identitaires, Soulidarietá, La maioun, Nissa Rebela, Novopress, Expulsion Sans Frontieresなどのサイトも同様である。)

つまり、その創立にあたって、ブロックはJeunesses identitairesをその「若者の運動」であると説明している。しかしながら、2005年1月の提出文書ではその関係は進展しており、「Jeunesses idntitairesは、ブロックの若者の運動では決してない」という立場を取っている。

Jeunesses identitairesの創立者はPhillippe Vardonである。

この運動の執行委員会は、Gaëtan Jarry, Jean-David CattinとAdrien Heberにより構成されている。

この若者の運動は、2012年にGeneration identitaireの設立のため消滅している。


有罪判決
2007年12月17日、ニース大審裁判所は、Jeunesses identitairesは、2002年に政府によって解体されたはずのUnité radicaleの末端機関であると推定した。Jeunesses identitairesも同様に20,000ユーロの罰金刑に問われ、その前総裁Phillippe Vardonは執行猶予付きで3年の懲役および10,000ユーロの罰金刑に問われている。その上に、同日に別件の判決も下されており、Phillippe Vardon、BI総裁Guillaume LuytとJIの二人の活動家が、ニースのリセTherry Maulnier校の周辺で「Ni voilée, Ni violée !」と書かれたビラを配布したとして告訴されている。Phillippe Vardonは、人種差別として執行猶予付き懲役3ヶ月と罰金3,000ユーロ、Guillaume Luytは執行猶予付き懲役4ヶ月と罰金5,000ユーロ、二人の活動家はそれぞれ罰金3,000ユーロを宣告されている。

2008年9月にエクス・アン・プロバンス控訴院は、「解体された同盟を再編成した」として、Jeunesse Identiairesに対して罰金30,000ユーロ、さらにSOS RacismeとMRAPの二つの協会に送金したとして1,100ユーロの裁定を下した。同法廷は、Phillippe Vardonに対しても2年間の市民権停止、さらに彼に執行猶予付きで懲役4ヶ月の判決を下した。今回のビラの配布に対して、この法廷は計16,000ユーロの罰金を科している。Phillippe VardonとNissa Rebelaが判決の破棄を申し立てているが、2010年1月に却下された。


Génération identitaire
ポワティエにおける始動
「Génération identitaire」(もしくは「Génération ID」)は、2012年に設立されたフランス語圏における政治運動である。それ自身は「戦う団体」のようなものであり、「少年少女の若きヨーロッパ人たちをまとめる」という意図を持っている。Génération identitaireは、2012年10月20日に行われたポワティエのモスク建設現場の占拠によって知られるようになった。彼らは、その横断幕やスローガンでシャルル・マルテルもしくはレコンキスタを引き合いに出し、「モスクの建設や移民に対する国民投票」を要求している。予審被告人たちはその嫌疑項目に対して異議を唱えていたにも関わらず、この占拠に引き続いて、当初は4名、さらに3名(合計7名)の人物が、主に器物破損に対する捜査をうけた。Génération identitaireに対する民事損害賠償を請求されている協会は、Union des Organisations Islamiques de FranceとCollectif Contre、l'Islamophobie en Franceである。


「これは宣戦布告だ」
Génération identitaireは、2012年9月に「宣戦布告」と題する動画をあげ、その動画では、若い活動員たちの一連の肖像写真が自らの参加理由について説明している。彼らはそこで、移民の流入や司法のルーズさ、治安の悪化を徹底的に非難しているが、家族という伝統的な価値観への愛着とか、彼らの見解では社会の現在の亀裂について責任を問われるべきとされる「68年5月の世代」への強い拒否感などに関連したテーマによって、Génération identitaireが風刺するまで推進されて来たリベラルなシステムによる逸脱行為についても非難している。


ソルフェリーノにてーオランドの辞任
2013年5月26日、20名のGénération Identitaireの活動家がソルフェリーノ通りにある社会党のパリ支部の屋根に登った。フランソワ・オランドの政策への異議を平和的に訴えた横断幕を広げると、社会党の保安要員から催涙ガスの噴射による(極右の週刊誌Minuteによれば)身体的な攻撃を受け、警察に逮捕された。同年7月に、彼らは罰金刑を宣告された。


Génération Solidaire
Génération Identitaireは、Generation Solidaireキャンペーンによって知られるようになったもので、このキャンペーンは路上のフランス人ホームレスに食料と生活必需品の配給を行うものである。この団体は、国家は密入国者の受け入れのために、特に納税者の負担でホテルの部屋を提供しながら巧妙に資金を動員してきたと考えており、その一方ではたくさんのフランス人ホームレスがいまだに路上で暮らしている。


Génération anti-racailles
この運動は、2013年と2014年に「Génération Anti-racailles」キャンペーンを開始し、その目的は、街中や公共交通機関に広まった治安悪化の告発である。もう一つの目的は、フランス人の若者たちに、いわば国家にはもはや治安と正義を行き渡らせることができないことが明らかになったのだから、自己防衛できるようにならなければならないと呼びかけることである。この運動は、フランスにおける複数の都市において、自主防衛の基礎を学ぶための自己防衛研修を組織した。約100名規模という全国的な研修が、リヨン郊外にて企画、開催された。Génération identiaireの論法には、「défense」や「protection」の概念が繰り返し登場し、それはフランス国民の「la première ligne」(最前線)となって一体化する。テルモピレの戦いの際に、スパルタ人の盾にあったラムダの文字(Λ)を使用することはこれに由来しており、この観念に関してその根拠を象徴体系の水準に置くものである。

「Génération anti-racailles」キャンペーンは、「anti-racailles」ツアーを実現するための運動の契機ともなっている。活動員たちは、黄色いジャンパーを着て公共交通機関に乗り込み、治安の悪化を非難し、攻撃を受けた際の「フランス人同士の連帯」を呼びかけるビラを配布している。このツアーは、パリ、リヨン、リールといったフランスの大都市で行われていくであろう。


「On est chez nous」
2015年9月に、この運動は「On est chez nous」(私は自分たちの家にいるんだよ)と題したキャンペーンを始め、これによってその政治的メッセージを総括したいと考えている。「グローバル化」、「移民」、「イスラム化」に対抗すべく、Génération identitaireは、ヨーロッパの人々の持つ「自分たちの家の主人」であり続けたいという意志、これ以上のグローバル化、移民、イスラム化を拒否する権限の合法化を求める意志を明確にしている。このキャンペーンには反響が予想され、サン・ジェニ・レゾリエールもしくはトリエル・スル・セーヌで起こっているように、出稼ぎ労働者やロマを受け入れている建物が占拠されていくことになるであろう。このキャンペーンのフェルマータ(?:強調すべきところ?)は、2016年5月28日のパリにおけるデモの組織化であり、数百名の運動員やこの運動の賛同者が集結した。


カレーにおける行動
この運動は、2016年3月にカレー市でも一つの行動を推し進めた。カレー市は当時、イギリスに渡りたい10,000人にもおよぶ移民が集結した巨大なスラム街、ジャングルをめぐって、フランスの時事問題の中心であった。カレー市民の生活条件は、治安悪化、暴動、衛生環境の悪化によって顕著に悪化しており、Generation Identitaireの130名の活動家は、ジャングルとカレー市街とを結ぶ3ヶ所の橋を数時間にわたって閉鎖した。その主な要求は、国境、およびフランス人とヨーロッパ人を守るという国境の役割が消滅していると告発することであった。その主要なメッセージ「道などない、家に帰れ」では、カレーに違法に存在していた密入国者の排除に言及している。もう一つの政治的メッセージ「もう国境がない、じゃあバリケードを作ろうぜ」は、「公的な国境」が消失すると出現する、新たな「国内の国境」が存在することを強調している。平和的に進められたこの行動の結果、3名のGeneration identitaireの活動家が、ビデオ記録の全体からはこれが消極的抵抗であったことが証明されたものの実刑判決を受けている。さらにこの事件に引き続いて、今回の逮捕を進めた複数の警官に対して、国家警察対テロ部隊の調査が開始されている。


政治活動とロビイング
BIは、ロビー活動を組織化したことで特に注目されていた。
2003年には、ラップ・グループSniperが「アンチ・フランス人的」で反白人人種主義的であるとして告訴される。当時の内務大臣ニコラ・サルコジは、議会において、このテーマに関してUMPの下院議員 Nadine Morano女史よる質問を受けた。2005年11月には、下院議員François Grosdidierに刺激された200名の下院議員が、暴力や人種差別を正当化しているようにみえるラップ・グループの禁止を要求したが、しかしうまくいかなかった。

2004年には、Prolétaires armés pour le communisme (PAC)の前メンバーであり、自国で複数の強盗と暗殺事件で有罪判決を受けていたCasare Battistiが、identitaireの活動家たちの標的とされた。常に逃亡を余儀なくされていたCasare Battistiは、2006年4月にMa Cavale (我が逃亡)と題する書籍をRivages出版およびGrasset出版から発行した。その中で彼は、とりわけBloc idntitaireを、その「襲撃」の際にイタリア大使館からの資金供与を受けたとして告発していた。


identitaireなスープ (排他的アイデンテティーのスープ・イケズな豚汁)
2003年以来BIは、ホームレス達に「identitaireなスープ」を配給する体制を、まずは自ら直接、次いではサテライト団体を通じて整備し、これを支援した。このスープの配給は、フランスおよびベルギーの複数の都市にて行われ、ストラスブールではAlsace d'abordに近い集団Solidarité alsacienne、ニースではSoulidarietà協会、パリではSolidarité des Français (SDF)が、同様にベルギーではブリュッセルのRenaissance sociale、アンヴァースではVlaams Belangに近いAntwerpse Solidariteitがこの配給を行った。このidentitaireなスープは、豚肉由来の成分を含んでおり、結果的にこれは教義を守るユダヤ教徒ムスリムを締め出すこととなり、彼らの方でもこれを拒絶した。

こうした配給は、紛うことなく「差別と外人嫌い」であると判断されたため、(国民議会議員Catherine Trautmannが行ったように)激しい非難の対象となっている。2006年1月21日には、バ・ラン県の知事がストラスブールにおけるidentitaireなスープの配給を禁止した。パリでも同様にこのスープの配給は禁止されたが、モンパルナス駅前の広場でスープを配給していたSolidarité des Français協会は、2014年5月になるまで活動を続けており、寝袋なども配っていた。2014年のバカンスが明けた9月には、Solidarité des Français協会は消滅していたようで、もはやそのインターネット・サイトも存在していない。

BIとしては、「豚肉はフランスに受け継がれた料理文化の遺産の不可欠な一部である」と主張しており、identitaireなスープを擁護している。ニースのSoulidarietà協会は、「自分たちのものを他人の前に提供してるんだけど」と主張している。


フランスにおける論争
フランスで論争が巻き起こるに先立ち、パリ警視庁は2006年12月28日に、公的秩序を乱すリスクがあるとしてidentitaireなスープを禁止するとの判断をしている。

暫定的審理を申し立てられた地方行政裁判所は、例えこのような配給が明らかに差別的な様相を帯びていると認められたとしても、それを禁止することによって集会の自由を毀損することを正当化するものではない、という理由で判決を保留した。当時の内務相 ニコラ・サルコジは、当時のパリ市長 Bertrand Delanoëの支持を受け、この時国務院に提訴しており、国務院は、第一審が下した判決を破棄しつつ、仮処分裁判官による2007年1月5日の命令によってこれ(lui?)を正当化した。国務院は、地方行政裁判所が、その差別的性格が明白に認められるとしてもこれを禁止することはやり過ぎであると認めるにあたって、地方行政裁判所側に何らかの対立や不一致があったものと推測している。欧州人権裁判所は、2009年6月16日の判決によって、Solidarité des Françaisの基礎には明白な欠陥があると宣言し、Solidarité des Françaisからの欧州人権協定の第6,9,11条に依る申し立ては受け入れられないとした。

フィナンシャル・タイムスに対するインタビューにおいて、Solidarité des Françaisの総裁であり前MNRのメンバーであったOdile Bonnivard女史は、BIとの連携を主張しており、彼女は、フランスには、その文化や文明を共有する人たちは顧みず、外国人たちの要求を重視する傾向があると断言し、さらにムスリムユダヤ教徒のホームレスたちは、そのスープを食べなきゃいけないわけではないのだとして、彼らに食を与えてくれそうな組織は他にもあると明言している。日刊紙Minuteでは、「我々は、「他人たち」の以前に「私たち」を援助したのだ」という言葉によって、その活動を説明している。

これらの言葉によって、たとえそれが配給する側の言い回しとは異なったとしても、法的にこの配給には差別的な性格があると断言しうる。


関連施設と事務所
地元に根付いた戦闘的態度を推奨するles identitaireは、非営利団体の形態でMaisons de l'Identitéと称する5カ所の施設を開設した。それらは、ニースのbastioun(砦)、ブルターニュにおけるTi Breizh、パリにおけるバリケードルーアンのL'Yggdrasil、リヨンのTrabouleである。これらの施設は、活動員が活動するにあたっての集合場所となるべく設置されたもので、一般的にはバー、ボクシング場、図書室、宿泊施設を備えている。今日ではTi Breizhは閉鎖されている。2016年には、ニースで"la citadelle"という新たなl'Identitéの施設がオープンする。


刊行物
BIは隔月のID Magazineを刊行している。この雑誌は、2005年にJeune Résistance誌、Nation運動と提携した雑誌Devenirに代わる形で設立された。2009年下半期の始めに、これは定期刊行物Identitairesに代わる形となってみられなくなっている。
(wikipédia.fr)