パトリック・ヴェイユ「宗教的中立、それは何よりも信仰の自由である」

パトリック・ヴェイユ「宗教的中立、それは何よりも信仰の自由である」

この歴史学者は、1905年の政教分離法の核心である一人一人の信仰の自由が、再び今日において、信仰の急進化に対する闘いの最良の手段である、と考えている。


この数週間で、信仰と宗教的中立に関する対立が一層激しくなりました。共和国大統領は、司教たちにカトリックとヨリを戻したいと求めました。カズヌーヴ氏、サルコジ氏、ヴァルス氏の三名の首相経験者は、カルトを担当してユダヤ人を擁護し、4人目のシュヴェヌマン氏はムスリムを擁護しました。すでに数年前から「ouvert」と称する宗教的中立の支持者たちや、「tout court」という宗教的中立の支持者たちが対立しています。しかしいずれもが、宗教的中立で重要なこと、それは教会と国家との分離であり、これが共和国内に空間の分離を作り出すという点で同意しています。「一種の国家のようなものだけが中立で、人はそのスピリチュアルな信条をどこか他の場所で自由に表明できれば、全てはうまくいく」という人々がいます。また、「その通りだが、全てがうまくいかない、それは信仰の過激化を許すからである」と反論する人々もいます。

よろしい、宗教的中立を二分、三分、四分するこれらの人々は、みな間違っていて、それは深刻です。私たちが生きている時代とは、信仰を口実として続く偏見を、暴力を、犯罪を免れる術を知らないこの国の善男善女たちが、助けを求めている時代であり、私たちが彼らに与えるのは区別し分離することだけなのです。しかるに、信仰しない者も信仰する者も含めた、フランス人全体の連合が今すぐに必要なのです。そう、おそらくその連合は、無知な人々に対して、1905年の法(*政教分離法)の正確かつ詳しい解釈を行うことで実現される範囲内にあるのです(?)。

まず何よりも、当初からこの法は、本国においてもアルジェリアでも、あらゆる宗派の信仰者、キリスト教徒、ユダヤ教徒イスラム教徒、そしてもちろん無信仰者にも適用されることで、世界的に普遍的であると考えられていました。そして宗教的中立においては、分離することは新たなものを創り出す原理のための手段にすぎず、この法の各条項を血の通ったものにしている個人の信仰の自由にすぎません。この信仰の自由をいかなる場合においても認めさせるために、この法の第31条は、他者に圧力を行使する全ての人物には、それが信仰行為を実践するよう強制するためであれ、それを妨げるためであれ、罰金さらには懲役が課されると規定しています。この条文は、過去も現在においても当局から無視されているのですが、しかしこれはその教育上の優れた点によって、宗教的中立を解放し擁護する者の精神を体現していて、この精神が全てのフランス人を互いに理解し再びまとめることができるのです。

もちろん1905年の、国家が教会によって分離されていた頃、それは激変の時であり、時には心的トラウマでもありました。しかし、国家が独立して中立となれば、そこには私たちの信仰の自由を保証し、あるひとつの信仰にもそのアンチにも支配されることなく、それが私たち市民に強要することができないための永遠不変かつ普遍的な目的があります。市民には、信仰の戒律が優先される信仰行為のための場、各自の裁量に任される自宅、公的つまりは自由で多様な空間、そして、ならびに多くの場合には、この自由を確固たるものにすることに優れたあらゆる議論の対象が味方となります。


教育にあたって優れた点
ただしこの法は、いかなる場合にもこの自由を擁護するために、圧力、恐喝、暴力、脅迫によって、これから他者に「ある信仰行為に従事するようもしくはそれを自粛するするよう」決心させてしまう全ての人物に対して、刑事罰を科しています。信仰行為、それは各自がその信条を外面的な手段、徽章をつけたり祭式や儀式など、いわば他者から見える方法によって明示することです。ある信仰行為を実践するよう、もしくはその実践を妨げるよう強制することは、「各個人がその内面でなんらかの宗教的信仰を受け入れたり、もしくは拒絶するための自由な権限」として定義されている信仰の自由を侵害することなのです。

まだこの条文が適用されたことはないのですが、しかし存在し得なければなりません。これらの圧力はこの意味でも、また別の観点でも存在しており、それは市民を護るためのこの国の義務です。しかし何にもまして、この条文には直接的に教育にあたって優れた点があります。中学校や高校で生徒に話すことになった時、「何をおいても、あなたたちには信仰の自由があります。あなたたちのご両親がある価値をあなたに受け渡し、あなたはそれを受け継いでいます。そこから、自由に信仰できる完全な自由の中で、自分の道を作るのはあなたたちなのです。なぜならこの法があなたたちを守るからです」と言うことができます。一人一人の子供が、生に、死に、神が存在するのかしないのか、ある信仰に帰依するのかしないのかに対する内面的な自由において、自らの権利を自覚する必要があります。その子供は、この自由においては、その代償として他者の内面的な自由があるのだということを即座に理解できるのです。

もはや個人の自由を強要するのみではなく、それを宣言しているこの宗教的中立から、少なくとも2つの結果もたらされます。まずは一人一人の若者が、国家、自宅もしくは信仰のための場所といったすでに何らかの規制を受けている場所の外側にある公共の空間においては、宗教に関して自分の兄妹、友人や隣人たちが常に同じ理念を共有しているわけではなく、妥協をしなければならないのだということを理解することができます。1905年以前は、毎回のミサの召集を知らせる鐘が鳴っていました。無神論者たちの耳はこれを容認していました。これからは、日曜日や祭日や祭儀の日にはたいていの場合は教会の鐘が鳴ります。各自が異なる立場に在る権利、例えば学校の食堂で食事に対して異なる立場をとる権利を有するようなあらゆるテーマに対して、各自を尊重することのうちに妥協を見出さなければならず、そして私たちにはそれが可能なのです。

またとりわけ、信仰の自由が保証されるとは、国家という共同体の中で当たりまえにくつろいでいるように感じることを意味します。そうでなければ、選択の自由が存在しません。フランス人は皆、すっかりフランスの歴史の一部となることで、紛れもなく自分の国の市民であると感じています。そこからは、ある信仰に帰依することもしないことも、彼には可能であり、それは個人的な選択です。しかるに、同じフランス人でもユダヤ教ヒンズー教、しかしとりわけイスラム教文化を持った人々には、始めからその信仰とのつながりにおいてのみ認識されてしまう人々がいます。まず何よりも、人は彼らを同じフランス人として見ることはなく、そしてそのために、他者からみても、彼らには単純に市民であるというこの自由がない。しかしながら、1905年にこの法に投票した議員たちには、市民たちはまさにこういうふうに見えていたのです。立法府イスラム教に対してもアルジェリアに対しても例外を作りませんでした。それは、ただちに有効な、普遍的に有効な一つの法を採択しており、今日記憶にとどめ広めていかなければならないのは、このメッセージなのです。

信仰の急進主義に対しては、科学的な見方を教育することよりも、それぞれの市民をフランスの歴史にしっかりと帰属させること、そして信仰の自由を徹底することによって対応しなければならないことは、疑うまでもありません。救助懈怠罪が刑に問われるべきだとされたことが、逆に市民各自が倫理的にしっかりと考えることにならざるをえなかったのと少し似ており、信仰の自由に対するあらゆる毀損が処罰を受けるという性質には、何にもまして教育的に優れた点と解放をもたらす役割があるのです。これによって宗教的中立を、共和国と同程度に重要で自然法として制定された一つの自由であるとして、明瞭かつ単純に教育することができるのです。これが全ての市民に対して、信仰者にも非信仰者にもまとめて均等に、共通した下部構造とならなければならないのです。
(Le Monde紙 2018年5月15日)