シモーヌの宿命

シモーヌの宿命
フィリップ・ソレルス


私はテレビ中継されていた国民議会での妊娠中絶に関する討論を熱心に見ていたことを思い出す。シモーヌ・ヴェイユは偉大だった。言い訳や偽善やねちねちとした言い逃れが横行していた中で、不意に彼女は、そして明らかに真実の声として立ち上がった。私の意見では、集合的イマジネールにおける彼女の偉大な勝利は、この時点から訪れた。すべての自由な精神がずっと以前から待ち望んでいたことを言い、このテーマに関してはもはや古い世界にはどうにもできなくなっていることを示した。ノン、生命の誕生とは至高の価値でもなく、神聖とされた義務でもないのだ。そう、女性たちの自由は許されるべきで、それと同時に、その自由によって男性が嫌な思いをしないですむ自由も。そういう男性は多くはないというのが事実である。

これが、死刑制度の廃止が論理的に始まった重要な時点となる。一つの革命がここで起こり、それは決定的なものであった。

シモーヌ・ヴェイユの時代に私が最も衝撃を受けたのは、彼女の運動の持つ政治を超えた整合性である。ヨーロッパ、人権、基本的な自由主義外交政策、そのすべてが躊躇することも懼れることもなく行われた。そこにどのような名状しがたい逆境があったのかを知っているが、彼女の眼差しは遠くから訪れ、現状よりもはるかに遠くにまで及ぶ。彼女は、同じ時期に活動していた政治家を文字通り子供じみたものとする。つまり、彼女が物理的に放射するもののみで、彼らが日和見主義で、内輪でくだらない話をしていることが明らかになる。有名な決まり文句となった、あまりにフランス的な伝統の痛ましい錯誤、とは逆で、彼女は自分自身のこととして危惧し、直感的にすべての支配に反抗しているのではないかと思う。そうすることが彼女の宿命なのだろうか。その宿命は見えるものだ。ルスティジェ猊下のごとく、同じ理由からこう言おうではないか。

フランス人であることは、私には煩わしかった。こんなフレーズで一本の小説を始めることもできる。私は、テレビでジャン=マリー・ル・ペンを見ることはなかったが、とても間近な所から目にしている、それは街角で、自分がまだ学生だった頃、まさにアルジェリア戦争の時だった。こういう顔付きはあれだ。人は本能的にこれを避ける、美意識の問題である。マルシェ(Marchais)についても同じことだ、そんなことは政治的に考えるまでもないことだ。

いまのフランスの与党はセンスがいいのか。そうであって欲しいものだ。シモーヌ・ヴェイユは美しい、言うまでもなく美しい。美しきもののモラル、いいではないか。
(Le Nouvel Observateur誌 1984年2月24日に掲載)