強姦の犠牲者となったある女性ジャーナリストが、国家ぐるみのあるタ

強姦の犠牲者となったある女性ジャーナリストが、国家ぐるみのあるタブーを打ち破ろうと闘っている



ロイター支局に所属していたニッポンの女性ジャーナリスト、イトー・シオリは、2015年に薬物を投与され強姦(drogué et violé)しされたとして、首相アベ・シンゾの伝記を書いた極右のジャーナリスト(journaliste d'extrême droite)、ヤマグシ・ノリユキを、5月の終わりに正式に告訴した。

性的侵害の犠牲者たち(#meetooと#balancetonporcのアッシュタグのもとに集まっている)による怒涛のような証言によって、アメリカとフランスがゆり動くなか、いまだにニッポンでは当事者である女性が告訴することはまれであり、まだ自らの気持ちを、あまり自由に表明しない国のままである。

「事実を認知させ、社会がタブーとしているものを告発する」ために、2年間にわたってこのジャーナリストは全力をあげ、その全容を語った書籍を出版した、と、彼女に質問することができたLe Figaro紙は記載している。


「それから、もう後は何も」


イトー・シオリは、現在では加害者だとしているこの人物の編集局で研修を希望していて、「その研修に関して事務的で形式的なメールでの連絡」を受けたと回想している。


「業務上」の予定で、50代のヤマグシ・ノリユキと2015年4月3日にあるレストランで夕食をとると、この若いジャーナリストは意識を失う。2017年10月24日に行われた記者会見で、居並ぶ報道陣の前で「Les Échos誌」に対して答えた内容は、これである。

「1時間が過ぎた頃、私は頭がクラクラしてトイレに行きました。洗面台に頭を乗せたことは覚えています。それから、もう後は何も。」


翌朝の5時頃、あるホテルの部屋で目が覚めると、腹部に強い痛みを感じ、ヤマグシ・ノリユキが裸で彼女にのしかかって強姦している(la violer)最中だった。彼女の話では、彼女が浴室に逃げ込んでいるのに、この有名なジャーナリストはまだ彼女を強姦(la voiler)しようとした。加害者と想定されるこの人物はこれを否定しており、彼らの交渉は同意によるものであったと断言している。

どうやってレストランからホテルの部屋まで行ったのか、全く覚えていないため、彼女は強姦者にクスリを飲まされたのだとしている、と「Ouest France紙」は伝えている。


「パンツぐらいお土産にさせてよ。」


この暴行について語る時、イトー・シオリは、この加害者と推定される人物が、彼女を犯した(abusée)後に尋ねたある質問を忘れない。

「パンツぐらいお土産にさせてよ。」 (Puis-je garder ta culotte en souvenir ?)


彼女の行動を成し遂げることを断念させようとしていた地域の警察署が、彼女の訴えを深刻に捉えることとなった流れの、これが仔細である。

「警察官たちも、やはり私に告訴されたくなかったのです。こういう件はよく来るけど、捜査を進めていくのが難しいんだと説明してました。ジャーナリストのキャリアがダメになるよとか、人生がめちゃくちゃになるよとか。」


「その時私は、このニッポンの法体制や社会システムでは、性的暴行の犠牲者にきちんと対応できないのだと分かりました」と、この女性ジャーナリストは記者会見で追求する。


「私の個人的な事例は、社会を換えることができる」


警察署はついにこの件を受け、証人たちから事情聴取をすることになる。その捜査も終わり、裁判所がヤマグシ・ノリユキを容疑者とすることを決定する。しかし、この人物がまさに空港で逮捕される時、同様に首相と親しい殺人事件捜査班のトップが、この逮捕を中止させた。数ヶ月後には司法により不起訴とされる。


彼女がLe Figaro紙に語ったところによれば、それからイトー・シオリが闘っているのは、これらの訴訟処理を告発するためなのである。

「私はジャーナリストです。私の個人的な事例が大したことではないとしても、それは社会を換えることができるのです。」


語られることのないこれらの事項を一変させるため、彼女は週刊誌でその経緯を文書とし、記者会見の場で語った。刑事で有罪とされなかったため、現在は加害者を民事で、また特にブンゲイシュンジュから一冊の本を出版することで追求している。(『Black Box』,仏訳未)
(L'Obs誌 サイト 2017年12月28日)