「凄まじかった」とトンガ諸島で住民たちが証言する

「凄まじかった」とトンガ諸島で住民たちが証言する

政府当局によれば、85%の住民が1月15日に火山の噴火と続く津波による被害を受けた。

 

彼らの声を聞くまでに、時には彼らの電話番号を10回以上叩かなければならない。ブツブツと切れる、もごもごとした遠い声。1月15日、フンガ・トンガ=フンガ・ハーパイ火山のひどい噴火がトンガ諸島にツナミを引き起こしたとき、ポリネシア諸島と外の世界とをつなぐ海底ケーブルが損傷し、即座に電話とインターネットの通信を全て遮断した。ほぼ完全に近い沈黙の5日間が過ぎ、Digicelの作業員がその電話ネットワークを部分的に復旧させることができた。そのおかげで、それ以来接続はまだ不安定で不確実だが、トンガの人たちは自らが目の当たりにした悲劇を少しづつ証言できるようになった。

全ての事件は、爆発のぞっとする轟音から始まった。「私たちの耳がなかば聞こえなくなるほどの、次第に強くなるいくつかの強い音がありました。私たちはすぐに、何かひどいことが起こっている、走って安全な場所に行かなきゃだめだ、と分かりました」とジャーナリストのマリアン・クプは語る。沖合いには、海上にすでに巻波ができていて、荒々しくその様相を変えていた。この若い女性は、首都から数キロメートルの海沿いの村ヌカロハに住んでおり、家を連れて全速力で浜から遠ざかるために、クルマに飛び乗った。彼と同様に国中が、ものすごい大渋滞の中を内陸に向かって移動した。

「空が真っ黒くなって雨が降り始めたのはこの時です。水ではなく、灰や砂利。黙示録のようでした。フロントガラスからはもう何も見えなかった」自分の番がくると、元警官だったトゥルツル・マフアイオロテレはこう語った。妻や息子、従兄弟たち、甥や姪と一緒に、嫁の実家に避難先を確保できた。そこは、停電していて電話も通じず、彼は救命ブイにでもすがりつくようにラジオ局90FMにへばりついた。同局は決して送信を停めていない。「それが私たちに届く唯一の情報です。彼らがいてよかった。即座にツナミのリスクを私たちに届けたのは、彼らです。」沿岸部では、誰にも逃げる時間がなかった。波から逃れるには木に登る以外になかっ人々もいたが、時には15mになる波である。奇跡的に、死者は3名だけだった。

汚染された飲料水、だめになった耕作地

「私たちには損害の規模はすぐには分かりませんでした。それが分かったのは翌々日、自宅に戻ろうとやっと決断した時でした。全ては灰に覆われ、それは動物たちも一緒でした。そして何よりも、どこもぐちゃぐちゃでした。電柱は倒れていて、根が抜けたココヤシ、道端にはひっくり返った家々。そこから、私たちは所在なく片付け始める」と、またマリアン・クプが語る。彼女は義理の娘の家に24時間以上閉じこもったまま、果てしなく降り続くこの灰色の灰を吸い込むことが怖くて外に出る勇気がなかった。

彼女の住む、この火山から65km南にあるトンガタプ島では、50人余りの住民が波にさらわれてしまった。さらに北にあるハーパイ地区では、標高が低い2つの島が押し寄せる波によって一掃された。100名余りの村民が行方不明のままだ。近隣の島で数日間過ごし、彼らは最終的に1月23日に首都に避難した。当局によれば、この国の住民の合計85%、10万人強が被害を受けた。

トゥルツル・マフアイオロテレは、自宅を失うことはなかったが、ニワトリとブタ、家庭菜園の大部分を失った。飲料水の備蓄であるタンクに貯蔵した雨水には、全て火山灰が入っていた。彼は漁もやめた。政府が魚を摂取しないよう勧告したのだ。「私たちはいつも、採取したり漁で獲ったものを食べてきた。今はパンやらコメやらで何とかやっています。外国から援助を受けられて良かった。」

彼の友人で数千キロ離れたところにいるコニセティ・リウアイは、祖国を離れてシドニーにいる前トンガ・オーストラリア商工会議所の所長だが、彼はトンガとオーストラリアに住む同郷人の寄付を集めようと奮闘している。ポリネシアのこの王国では失業率が上がっており、トンガ人の多くが祖国を離れて暮らしている。「この惨劇はふたたび私たちを近づけました。具体的には、3つのコンテナを一杯にする物資、特に水と食料品を得ることができました」とこの起業家はいう。

ニュージーランド、オーストラリア、日本、中国とフランスも、援助物資の運搬を始めている。災害の数日後には、最初の軍用機と船団が島々に到着している。その積荷には何十万リットルの飲料水、脱塩設備、食糧レーション、衛生キット、仮設小屋、発電設備と通信設備が載っている。「今は大半の住民に、早急な必需品に対して生活していくだけのものはあるのですが、私たちは長期間にわたって活動していかなければなりません。たとえば、ペットボトル水の後をどうするかという問題が起こります。プラスチック廃棄物の問題です」と、ユニセフ太平洋諸島代表のジョナサン・ヴェイッチは説明する。

この国は、感染対策として2020年3月に国境を閉鎖しており、そちらは成功していたのだが、海外からの援助物資の配分にあたって人的交流を禁ずることで、Covid-19が島々に押し寄せることも防ごうともしている。このことでプロセスは複雑にはなるが、政府が統括し軍が補佐する復旧活動は、国民と人道的支援組織の現地スタッフの動員によって比較的急速に進んでいる。公立の学校は、1月31日に全校再開されるようだ。

(Le Monde紙2022年1月27日)