ウラジミル・プーチンは二重におかしくなっていった

ウラジミル・プーチンは二重におかしくなっていった

ジェローム・フェノリオ (ル・モンド社 社長)


正面きった戦争がヨーロッパに戻ってきている。2月24日未明、ロシア軍によってウクライナ領内の複数の地点に引き起こされた攻撃が、私たちの大陸では第二次大戦の終結からみられなかったような規模の軍事侵攻となっている。それは予め考慮され、慎重に計画され、そこには今回何の口実も認められない。

2014年のクリミアの時のように、軍の所属章のない兵士たちが活動を開始したわけではない。もはや軍隊の展開はドンバスの2つの傀儡共和国の兵士たちの後ろに隠れては行われてはいない。今回この戦争は、ロシアの元首ウラジミール・プーチンの言葉の一つ一つから想定されていた。彼の目的は明快で、ウクライナを潰すことである。

そしてこの意図の足枷となるあらゆるものに対する彼の威嚇は、次のように明確に述べられている。「我々の進む路上に立つ者、もしくは我々の国家と国民に脅威を与える者は、ロシアの対応が直接即時的であってあなたたちの歴史の中でいまだ見たことがないような結果を生むだろうということを知ることになる」その短いスピーチで彼はこのように述べ、これらの作戦の開始を表明した。事実上の戦争宣言である。

口先では彼が次のように認めていることもはっきりと書いておかなくてはならない。ウラジミル・プーチンは、この重大な紛争のまさに責任者である。始まったばかりのこの攻撃は、西側のいかなる不手際も、歴史的な過ちも、ここ数年来でロシアの体制とその支持者たちが進めてきたいかなる議論も、これを正当しえない。

強者による支配を認めさせようというその意図、公然たる国際法の軽視は、実際にはウラジミル・プーチンが2000年に権力を獲得して以来、彼が二重におかしくなっていったことにその起源を見出す。まず第一におかしくなったことは、彼の人格と固定観念の周囲に形成され、ますます目立つようになった彼の政体がとるその専横的な展開である。何年も何期も経過して、プーチン市民社会を完全な統制のもとにおくこととなった。この体制を、2006年の調査報道ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤの暗殺が印象付けた。現在は投獄されている、体制を批判したアレクセイ・ナワリヌイの2020年8月の毒殺未遂や、その支持者たちへの嫌がらせは、この絶えざる逸脱のもう一つの印である。2022年の始めには、この国家元首に近い1人の寡頭政治家、エフゲニー・プリゴジンを批判したとして、1人の作家が逃亡を余儀なくされている。彼の傭兵である民間軍事会社ワグナーは、シリアやマリ、中央アフリカリビアにおいて、ロシア政府からは一切認められていない略奪という代価で展開していた。

政敵たち、ジャーナリスト、そして今日では議会や裁判官たちといった、何年もかけて規則や強制によって薄められた政界の当事者たちはみな、その富と特権でぼけたその限定されたサークルから、次第に露骨に遠ざけられてしまった。第二におかしくなって行ったのは、排他的なこの集団の変化に直接起因する。2004年の「オレンジ革命」以来、ウクライナの民主主義はロシア政府の完全な引き立て役になってしまっている。その変化は、存立にとっての脅威だと感じられている。プーチンが今日武力によって終わらそうとしているのは、この視点の、精神の、行為の独立である。

それゆえ、ここで冒涜されているのはまさに国際法なのである。まさにヨーロッパの、冷戦終了を経て生まれた安全保障の秩序が脅かされているのだ。西側諸国にできることは何か。民主主義諸国は、これまでのウラジミル・プーチンによる国際法侵害に対応できなかった無能さのツケを支払っているのだ。

2008年にロシア軍が、プーチン氏の指示によってグルジア領の一部を占拠しているのに、この侵攻はいまだに見逃されたままだ。2014年には、プーチン氏の指示によってロシアがクリミアを併合し、ついで親露派分離主義者たちを支持してドンバスに介入しているのに、この異論の余地のないウクライナの主権と領土保全に対する侵害に対して、ヨーロッパとアメリカによる反撃は、たしかに不快ではあるが西側経済に重大な損害を来さないように打算された制裁措置にとどまった。

本日、私たちは認める、これらの制裁は失敗だったと。この制裁では、ウラジミル・プーチンにその根本的な構想を思いとどめさせることはできなかった。彼は勢力圏を横取りすることで、ヨーロッパの地図を描き直したのだ。西側の民主主義諸国は、まさに今日、この失敗を頭に叩き込んで、自分たち自身の経済のためのコストを引き受けることで、プーチン氏の体制に対してさらにずっと強力な措置を採らなければならない。もしも私たちが真に国際法の基本原則を尊重させたいのであれば、これが支払うべき最少の対価なのである。

(Le Monde紙社説 2022年2月25日)